19. ベリルとお揃いの香り
新事業を始めて一ヶ月後。
私は、とあるパーティ会場へやってきていた。
会場へ向かって一人、廊下を歩く。
背筋を伸ばして自分の体を見下ろすと、ドレスに縫い付けられた宝石たちがきらきらと光を返した。
ドレスの胸元には、小粒のダイヤモンドが星屑のように散りばめられている。耳元と首元は深い青のサファイアが揃い、指先には大きなダイアモンドの指輪が輝いていた。
どれもアーティファクト事業の成果の褒美として、父から贈られたものだ。
前世ではアクセサリー売り場の前を通っても足早に立ち去っていた。それが今では、かつて一生働いても買えなかったような宝石を、惜しげもなく身につけている。
(美しいものを身につけるって、こんなに楽しいのね!)
歩くたびに宝石が光を散らし、その輝きを纏っているだけで胸が弾む。こんな風に心まで満たされるなんて知らなかった。
(この生活を守るためなら、いくらでも稼いでやるわ!)
そう決意を新たにしながら、私はシャンデリアの光が煌めく会場へ足を踏み入れた。
途端、招待客たちがざわめいた。視線が一斉にこちらへ向くと同時に、悪女に関する噂が囁かれ始めた。
アーティファクトの件は、学園の生徒を中心に広がっている。だがそれは、あくまで若い世代の話だ。
今日のパーティに参加しているのは、比較的年齢の高い貴族たちが多い。彼らにとって、女神リュミエラが授けたとされる魔法陣を書き換える行為は、まだ受け入れがたいものらしい。
つまり悪女のレッテルは根強く残ったままだ。
(今日こそ、このレッテルを剥がしてみせるわ!)
そのためにとっておきの秘密兵器を用意してきたのだ。
そう気合いを入れた、その時だった。
「エスメラルダ」
前から声をかけられる。
「げ」と声が出かけたが、寸前で飲み込んだ。
「……レオンハルト様。ご機嫌よう」
無視するわけにもいかず、私は淡々と挨拶を返した。
規模の大きいパーティだから、出くわしても向こうからは無視してくれるだろう。そう期待していたのだが開始早々に打ち消された。
内心でため息をつく。
レオンハルトは、一人で立つ私を見て鼻で笑った。
「エスコート役もいないのか?」
「……相手の方は別の方とお話しされていて、少し遅れているだけですわ」
「ふん。強がりはよせ」
勝手にエスコート役がいないと断定されてしまった。
(怒ったら負けよ)
自分に言い聞かせる。ここで言い返したら、いつもの悪女扱いである。
私は素数を小さく呟きながら、気持ちを落ち着かせることにした。
その間もレオンハルトは私の見栄だの強がりだのと、聞いてもいない言葉を得意げに並べ続けている。まともに相手をするだけ無駄だと素数を数え続けた。
「もしお前が懇願すれば、少しの間エスコートしてやっても──」
「971、977、983……」
「おい、聞いてるのか!?」
レオンハルトがそう怒鳴った瞬間だった。
「お待たせしました」
後ろから声がかかり、レオンハルトの言葉が止まる。私の後ろに立っていた人物を見て、彼は目を剥いた。
招待客たちのざわめきの種類が変わった。女性を中心に、華やかな声が上がる。
「レディ、お手を」
そこに立っていたのは、ベリル・ランフォードだった。
銀色の髪が光を含んでさらりと揺れ、濃紺の瞳が優しげに細められる。相変わらず、現実離れした美貌だった。
微笑むだけで、周囲の空気がきらきらと輝く。星でも舞っているのではないかと思うほどだ。
私はなるべく彼の顔を直視しないようにしながら、差し出された腕にそっと手を添えた。
「待ちくたびれましたわ」
「遅くなって申し訳ありません」
ベリルはそう言いながら、私だけに分かる程度に笑みを深めた。
レオンハルトがものすごい剣幕で睨んできたが気づかないふりをする。そのままベリルにエスコートされ、会場の中心部へ向かった。
すると、女性を中心に貴族たちが次々と集まってくる。
「ベリル様、ご参加されていたのですね」
「今日も麗しいですわ」
「お会いできて光栄です」
甘やかな声が飛び交う。
まるで私は存在していないかのようだ。あるいは小蝿でも見るような視線を向けられる。
だが別に構わない。今日の主役は私ではない。私の商品だ。
すると、一人の令嬢がうっとりとした表情で言った。
「ベリル様、なんだかいい香りがされますね」
「気づかれましたか?」
ベリルはふわりと笑った。
その表情を見た令嬢が何人か、くらりとふらつく。
(いずれ死人が出そうね……)
そんなことを考えていると、彼はあろうことか私の腰をそっと引き寄せた。
(近い近い近い!)
平静を装ったまま、内心で叫ぶ。彼は周囲の令嬢たちへ見せつけるように微笑んだ。
「実は、エスメラルダ様と一緒の香水をつけているのですよ」
その瞬間、令嬢たちの視線が一斉に私へ突き刺さった。
痛い。とても痛い。悪意と嫉妬と困惑が針のように刺さる。
私は表情だけは崩さず、内心で耐えた。香りに気づいた令嬢は、少し引きつった笑みで言う。
「で、ですが……エスメラルダ様とは、少し匂いが違う気がしますが」
「えぇ、よくお気づきで」
ベリルは満足そうに微笑んだ。
「実はこの香水、秘密があるんですよ」
その言葉に、貴族たちの反応が変わった。令嬢たちの瞳に興味が混じる。
私は微笑みながら、ここへ来るまでの馬車の中を思い出していた。
*
「まさかお礼が『一緒にパーティに参加してくれ』だなんて。嬉しいな」
向かいに座るベリルは、はにかむように笑った。
今日、私とベリルは同じ馬車でパーティ会場へ向かっていた。
決闘でベリルが勝った日、彼は「貴方の願いを何でも一つ叶えます」と言った。
正直、特に願いなどなかった。
アーティファクトを使って宣伝してくれただけで、こちらが感謝したいくらいである。
けれど、あの日から何かにつけて「願いは決まった?」「何でもいいよ」と迫られるようになった。何度「ありません」と断っても、彼は引かない。
(意外と頑固ね!)
若干呆れながら、絶世の美貌を持つベリルを見つめる。
やがて私は断ることを諦め、素直に甘えることにした。それが「私と一緒にパーティへ参加してほしい」という願いである。
ベリルは楽しそうに笑いながら言った。
「それで? 何か宣伝したいんだろう?」
「……どうして分かるのですか」
私は思わず目を見張った。
そう、今日はミラと共に作った商品の宣伝のためにパーティへ参加したのだ。
ベリルには一言も言っていなかったのに、見抜かれていたらしい。だが分かっているなら話は早い。
私は鞄から、淡い紫色の瓶を取り出した。
「それは?」
「香水です。こちらを纏って、今日のパーティに参加していただきたいのです」
ベリルは「ふうん」と相槌を打ち、素直に手首を差し出した。
私はその手首に軽く手を添え、香水を吹きかける。やわらかな花の香りが、馬車の中へふわりと広がった。
「へぇ、いい香りだね」
「ありがとうございます」
「でも香水なんてたくさんあるだろう? 売れるのかな」
「ただの香水ではありませんわ」
私はにやりと笑った。
「実はこの香水──人によって香りが変わるのです」
ベリルの瞳が、興味深そうに光った。
お読みいただき、ありがとうございます。
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