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【連載版】悪女の優雅で素晴らしい贅沢生活 〜過労死した私、社畜スキルで稼ぎます〜  作者: 海城あおの
第一章 悪女は贅沢な人生を諦めない

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1. 社畜、悪女に転生する

 


 電気の落ちたオフィスの広間。その暗がりを裂くように、ひとつだけパソコンの画面が青白い光を放っていた。

 時計の針はとっくに日付をまたぎ、外のオフィス街は眠りへ沈もうとしている。その静まり返った空間で、私は前のめりになり、必死にキーボードを叩いていた。


「ここを変更すると……全部作り直しじゃない……? そうなると別機能との整合性が……」


 誰もいないフロアに、独り言だけが虚しく響く。

 私の脳裏には、夕方に上司から投げつけられた無茶な指示が、耳鳴りのように反響していた。


「そんな! この仕様でいいって言われたはずです!」

「だけどクライアントが追加機能を欲しいってさ。納期はそのままでな」


「そんなの無理です!」と訴えようとしたが、上司は面倒そうに頭を掻き、返事もせず会議室から出て行ってしまった。

 残されたのは、対応できるのは自分しかいないという現実。重い絶望が容赦なく襲った来た。

 モニターにはエラーコードが赤く連なり、もう一つのモニターにはチャットがひっきりなしに光り続けている。


『社長が直々にとってきた案件だぞ』

『絶対に間に合わせろ』

『納期に間に合わなかったらお前が責任をとれ』


 システムエンジニアになって七年。

 休日出勤は当たり前。長時間の残業も当たり前。

 椅子を三つ並べて二時間ほど眠り、また十数時間と働く。食事と言えばゴミ箱に溢れた栄養ゼリーか、デスクに転がるエナジードリンクの缶。それが日常だった。


(私、なにしてるんだろう……)


 激務に追われ続けた結果、実家には五年以上帰っていない。

 友人との連絡も途絶え、休日もすべて仕事に消えた。必死に仕上げた成果も上司の手柄となり、同僚からもただの便利屋として扱われている。


 誰にも必要とされない。無味乾燥な日々。


 目の前が霞んでいく。モニターの文字が滲んでいく。

 指先が氷のように冷たくなっていき、手が思うように動かない。

 真っ暗なオフィス。人の気配も声もない世界。

 私は一人そのまま、ゆっくりと体が前に傾き──キーボードに倒れ込んだ。




 *



 はっと目が覚めた。

 目の前には見慣れぬ天井が広がっている。繊細な模様が彫り込まれた天井は、昔ヨーロッパ旅行で見た宮殿のようだ。


「エスメラルダ様! 気がつきましたか!?」


 見知らぬ若い女性たちが、慌てたように駆け寄ってくる。


(エスメラルダって……誰?)


 日本で生まれ、日本人として育った私。

 そんなキラキラした名前、人生で一度も名乗ったことはない。

 だが、その名前を聞いた瞬間、頭の奥がちくりと痛んだ。奇妙な引っかかりが残る。

 私が上半身だけむくりと起こすと、周りにいたメイド服を着た女性たちは、焦ったように手を伸ばしてきた。


「駄目です、エスメラルダ様!」

「まだお休みになっていてください!」


 口々に心配そうに声をかけられ、胸がきゅっとなる。


(こんな風に心配されるの、いつぶりだろう)


 そう思った次の瞬間、気づいた。

 慢性的に悩まされていた頭痛がない。何年も続いていた肩こりも、嘘のように消えている。

 ふと、さらりと頬を撫でた髪に視線を落とす。仕事の激務で手入れがほとんどできず、乾燥してパサパサになった黒髪はどこにもなかった。代わりに、指が吸い込まれそうなほど滑らかな紺色の髪が流れ落ちていた。


(わ、私は一体……?)


 メイドたちの制止の声を振り切って、ベッドから降りる。

 部屋の隅にある白く重厚なドレッサーが目に入り、思わず鏡を覗き込んだ。

 その瞬間、目を見開く。


 紺色の長い髪が肩に流れ落ち、緑色の瞳が鏡越しにこちらを射貫く。美しい容貌なのに、どこか強情さを秘めた目つき。

 その顔を目にした瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。記憶の底に沈んでいた挿絵が、ぱっと蘇る。

 学生時代に読んだ一冊の小説。そこに描かれていた、破滅へ向かう悪女の姿。


(『聖女の微笑みの裏には』に出てくる悪女……確か──)


「エスメラルダ・ベルメールじゃない……!?」


 私の声が、部屋に響き渡った。



 私が名前を叫ぶと、背後にいたメイドたちは一斉に顔を見合わせた。戸惑いと困惑が入り交じった視線が交差し、ひそひそと小声が漏れる。


「どうしたのかしら急に……」

「ご自身のお名前を叫ばれるなんて……」

「もしかして……」


 不安げな囁きが重なり、空気が重く沈んでいく。

 すると三つ編みのメイドが青ざめた顔で近づいてきた。足取りは震えているが、その目には必死さが滲んでいる。

 そして私の前でしゃがんで視線を合わせたあと、声を張り上げた。


「倒れた衝撃で記憶が混乱して……!?」


 あまりにも唐突な言葉に、私は思わず「へ」と間が抜けた声を漏らしそうになる。だが私の声が出るより先に、メイドは一息もつかずに続けた。


「えぇ、間違いございません! 貴方様はアルディエラ王国のベルメール公爵家の令嬢──エスメラルダ・ベルメール様でございます!!」


 メイドは涙を滲ませ、必死な様子で訴えてくる。その優しさはありがたい、大変ありがたい……のだが、その言葉は同時に、私の最後の逃げ道を断ち切った。


(アルディエラ王国……ベルメール公爵家……)


 もう疑いようがない。

 ここは間違いなく「聖女の微笑みの裏には」の世界だと確信してしまう。

 頭がまっ白になり、絶望が波のように押し寄せる。それでも目の前のメイドは今も真っ青な顔で、私の身を案じてくれている。

 これ以上この優しいメイドを不安にさせるわけにはいかないと、私は動揺を隠し、なんとか微笑みを浮かべた。


「そう……そうよね。ありがとう」

「っ……!?」


 その瞬間、空気が一変した。メイドが目を見開き、他のメイドたちも一斉にこちらを凝視する。


(え、なに? もしかして中身が違う人物だとバレた……?)


 背中に冷たい汗が流れる。だが誰も追求してこない。

「い、いえ……」と彼女たちは困惑したまま、ぎこちなく頭を下げるだけだった。

 私は頭の中を整理したくて、しばらく一人にしてほしいと頼んだ。メイドたちは戸惑ったような視線をこちらに向けながらも、逆らうことなく静かに部屋を後にする。

 扉が閉まり、静寂が訪れる。

 私は立ち上がり、足下のおぼつかない感覚のまま窓際へと向かうと、一人用のソファーに身を沈めた。


「はぁ……」


 思わず深いため息が漏れる。

 手の甲を額にあて、天井を仰ぎながら、前世の記憶をたぐり寄せた。


『聖女の微笑みの裏には』


 それは、私が学生時代に流行っていたシリーズ小説だった。

 聖女レティシアと王太子レオンハルトの愛を描いた、いわゆる王道恋愛ファンタジーである。ありきたりの設定に見えて、世界観の作り込みやキャラクターの心理描写が丁寧で、読み進めるほど引き込まれていく作品だった。何より物語の随所に散りばめられた"謎"が読者を惹きつけ、多くの人気を集めていた。


 そしてエスメラルダ・ベルメールは、序盤に登場する悪役である。


 レオンハルトの婚約者候補として登場し、彼に想いを寄せていた一人である。けれど、レオンハルトの心が次第にレティシアへ傾いていくにつれ、エスメラルダは次第に孤独と嫉妬に呑み込まれていく。


(最初は、よくある当て馬ポジションだと思っていたけど……確か、)


 ──彼女は「黒魔法」に手を出し、世界を混沌に陥れるのだ。


 この世界には、魔法が存在する。

 そしてエスメラルダが手を出したのは、禁忌とされている「黒魔法」だった。魔物を操り、人の心を歪め、国すら揺るがす危険な力。強力な分、代償も重い。

 エスメラルダはなんと、自身の寿命を差し出してまで「黒魔法」に手を染めてしまうのだ。

 一時は、国全体を混乱と危険に陥れたエスメラルダ。だが最終的には聖女レティシアの「白魔法」と、レオンハルトが力が重なり、彼女の計画は阻止される。

 そして最後に待っていたのは、断罪。逃げ場のない結末──処刑による"死"である。


 そこまで思い出して、全身の血の気が引いていく。


「このままじゃ私……処刑ルート一直線じゃない!」


 前世は社畜の果てに過労死。

 次の人生は悪女として処刑。

 あまりにも救いがない。慈悲がなさすぎる。神などいないのか。

 頭がズキズキと痛み始めて、思わず両手で抱えてしまう。


「私は人並みの生活をしたいだけなのに──!」


 私の絶叫が、部屋に響いた。




今日はあと4話更新します!



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