17. サラのお願い
数日後。
「というわけで、これが何か分かるかしら?」
私は情報ギルドを訪れていた。
薄暗い部屋で、オーナーは水色の瓶を手に取り「ふむ」と頷いた。
「こちらは?」
「突然届いたのよ。レオンハルト様からね」
「おや、何でですかね」
「私が知りたいわよ」
ため息まじりに答えると、オーナーは小さく笑った。
彼は瓶を眺め、蓋や底の刻印を確認し、軽く香りを嗅ぐ。それから机の上に静かに置いた。
「残念ながら、これは万能薬ではありません」
「……そう」
分かっていたが、希望が絶たれるのは少し堪えた。一瞬でも黒薔薇病が治るかもしれないと思ってしまった自分がなんだか悔しい。
オーナーは続けて説明する。
「貴族社会で流行っている香油ですね。ですが、何かを治すような効能はないようです」
「呆れた。王太子という人が、堂々と偽物を万能薬と言い張るなんて」
「花のような香りがして、リラックス効果は期待できるみたいですよ。気分が変われば、痛みや痒みが和らぐこともあるかもしれません」
オーナーは一応フォローするように言った。けれど、私は呆れが止まらなかった。
つまり香りの良い気休めである。王太子がそんなものを万能薬として贈ってくるとは。
(少しでも信じた私が馬鹿だったわ……)
私はこめかみを押さえた。
オーナーは少しだけ笑った後、「ところで」と声を低くした。いつもの軽さが薄れ、情報屋の顔になる。
私は思わず背筋を伸ばした。
「ブランジェムのことですが、新しい情報を得ました」
「!」
私は身を乗り出す。
オーナーは指を一本立てた。
「ブランジェムの流通が制限されている、というお話はしましたよね」
「えぇ」
「制限をしているのは、おそらく──教会です」
予想していなかった名前に息を呑んだ。
アルディエラ王国において、教会は王家に並ぶ第二の権威だ。
女神リュミエラを祀り、民衆からの支持も厚い。貴族社会にも深く根を張っている。
(確か原作では、教会がレティシアを崇拝していたわよね)
聖女と呼ばれるレティシアを支え、彼女に味方する者もいたはずだ。
けれど同時に、大きな組織だからこそ腐敗や秘密を抱えている描写もあった。原作ではレティシアとレオンハルトが、その謎に迫っていたはずである。
「なぜ、教会がブランジェムを制限しているのかしら?」
「そこまではまだ分かっていません」
オーナーは慎重に言葉を選ぶように答えた。
「ただし、教会はブランジェムを完全に市場から消しているわけではありません。ごく少量ですが、今も流通は続いています」
「? それが何かおかしいの?」
「ブランジェムそのものを誰にも知られたくないなら、完全に囲い込むこともできるでしょう」
オーナーは机の上に置かれていたブランジェムを手に取った。
白みがかった透明な鉱石が、薄暗い部屋の中で淡い光を返す。
「それをしていないということは、石そのものが秘密の核心ではない可能性があります」
「つまりブランジェム単体では意味がない?」
「えぇ。あるいは、別の何かと組み合わせる必要があるのかもしれません。推測にすぎませんが」
ブランジェムは粉々にして飲むことで黒薔薇病の症状を抑えられる。だが、それ以外にも何か使い道があるのだろうか。
ベリルは言葉を続けた。
「ブランジェムには、魔力をよく通す性質があります。現在、その性質について詳しく調べているところです」
「結果が出るまで待て、ということね」
「申し訳ありません」
「いいわ。曖昧な情報を確定事項のように話されるより、ずっとましよ」
私が答えると、オーナーはわずかに目を細めた。
「結果が分かり次第、すぐにお伝えします」
「お願いするわ」
私は息を一つ吐き、椅子の背もたれに体を預けた。
まだ謎は多い。けれどブランジェムの流通を制限しているのが教会だと分かっただけでも、大きな一歩だ。
ひとまず今はオーナーの情報を待つしかない。
(それまでに、新しいお金稼ぎの方法を考える!)
そう決意しながら、私は情報ギルドを後にした。
*
屋敷へ戻り、自室でお茶を飲みながら一息ついていると、扉を叩く音が聞こえた。
返事をすると、サラが姿を見せた。
いつもなら一礼して要件を告げる彼女が、今日はどこか緊張した面持ちで立っている。「どうしたのかしら」と思っていると、サラは私のそばまで歩いてきた。
「あの、お嬢様。お願いがあって参りました」
「お願い?」
サラは一度唇を結び、視線を落とした。
「あ、あの……」
かなり言いづらそうだ。私はカップをソーサーに戻し、彼女の言葉を待つ。
するとサラは、意を決したように顔を上げた。
「レオンハルト殿下の万能薬を譲ってもらえないでしょうか!」
叫ぶような声だった。
まさかの申し出に、私は目を瞬かせる。
「万能薬を?」
「不躾なお願いなのは承知しております! だけど、どうしても治したい人がいるんです!」
サラは深く頭を下げた。いつも控えめで、決して出過ぎたことを言わない彼女がここまでして頼んでいる。
ただごとではない雰囲気を感じつつ、私は口を開く。
「申し訳ないけど、あの『万能薬』は偽物だったの」
「え……」
「ただの香油よ。心を落ち着かせる程度の効果はあっても、何かを治す効能はないの」
サラは絶句した。大きく見開かれた瞳から、すっと希望が抜け落ちていくのが分かった。
その悲痛な顔を見て、胸が痛む。黒薔薇が刻まれる腕を、服の上からそっと押さえた。
私も同じだった。
万能薬という言葉に一瞬だけ期待した。黒薔薇病が治るかもしれないと、ほんの少しだけ思ってしまった。
その希望が潰えた時の苦しさを、私はまだ覚えている。
自分には他人を構う時間などない。
三年以内に一千億ゴールドを稼がなければならない。自分の命を守るだけで精一杯だ。
それでも、目の前で泣きそうな顔をしているサラを見捨てることはできなかった。
「一体、誰を治したいの?」
尋ねると、サラは少しだけ間を置いた。
それから掠れた声で答える。
「……私の、姉です」
「どこか悪いのかしら?」
「悪いと言いますか、何というか……」
歯切れが悪い。病気というわけではないのだろうか。
私が首を傾げていると、サラは意を決したように続けた。
「実は、双子の姉──ミラは、嗅覚が鋭いんです」
「嗅覚?」
「はい。一般的な生活が営めないほどで……。医者にも相談したのですが、どこもお手上げで。そんな時に万能薬の存在を知って、もしかしたらと思ってお願いしたんです」
嗅覚が鋭すぎて、生活ができない。聞き慣れない話だし、病気と呼べるのかも分からない。確かに医者も困るだろう。
そして同時に、別の感情が芽生える。
一般的な生活が営めないほど鋭いとは、一体どんな状態なのだろう。
興味が湧き、気づけば私は口を開いていた。
「ねぇ、そのお姉さんに会えないかしら?」




