16. 聖女の密談
冒頭は、聖女レティシア視点です。
空には半分ほど欠けた月が浮かんでいる。
月明かりの差し込む廊下を、一人の女性──レティシア・アルバンが歩いていた。
学園で見せる慈しみに満ちた笑みは、今の彼女の顔にはない。整った顔立ちは人形のように作り物めいていて、足音だけが冷えた廊下に響いていた。
その背中に低い声が投げかけられる。
「レティシア」
彼女は足を止め、振り返る。そこに立っていたのは五十代ほどの男だった。
白銀を帯びた淡い金髪は隙なく撫でつけられ、身にまとう法衣には皺ひとつない。肌は病的なほど白く、整った顔立ちは穏やかにすら見える。
しかし、金灰色の瞳はひどく冷たかった。
「大司教様」
レティシアは、いつものような笑みを顔に貼りつけた。
そこにいたのは、アルディエラ王国の教会の頂点に立つ男──アルヴィン・エーヴェルス大司教だった。
大司教は革靴の踵を鳴らしながら、レティシアへ近づいてくる。
「レオンハルト殿下とは、うまくやっているか?」
「……はい」
「それならいい。最近、ベルメールの長女が派手な動きをしているというからな」
レティシアの眉が、ぴくりと動いた。
大司教は構わず続ける。
「連続魔法を放てるアーティファクトだったか。魔法庁も注目しているという」
忌々しげに鼻を鳴らした。
「女神リュミエラ様から授けられた魔法陣に手を加えるとは。実に罰当たりな行いだ」
苦々しげに吐き捨てると、大司教はレティシアを冷たく見据えた。
「いいか。レオンハルト殿下は次期国王になるお方だ。その隣に立つ者が誰なのかは、教会の未来にも関わる」
「承知しております」
「ならば、決して気を抜くな」
レティシアは頭を下げる。
すると、大司教は口元を愉悦に歪ませた。
「フッ……あの王太子を傀儡にすれば、権力はすべて教会のものだ」
未来を想像したのだろう。彼は低く笑い、やがて声を上げて笑った。
レティシアはその姿を黙って見つめながら拳を握りしめた。
(エスメラルダ……)
その名前を想像するだけで、胸の奥に黒いものが沈んだ。
レティシアは、これまでうまくやっていたはずだった。
エスメラルダは短気で分かりやすかった。少し言葉を重ねるだけで怒り出し、自分から周囲の評判を落としていった。
それなのに、いつからか歯車が狂い始めた。
鉱山の死亡事故を減らし、連続魔法のアーティファクトを作り、少しずつ名声を高めている。
悪女だと囁いていた人々の目が、少しずつ変わり始めている。
そして何よりレティシアが許せなかったのは──レオンハルトの心が、エスメラルダへ傾きつつあることだった。
魔法が暴発した際、エスメラルダが彼を庇った時の顔。
ベリルから、エスメラルダにアーティファクトを譲ってもらったと告げられた時の顔。
ずっとレオンハルトを見つめてきたレティシアには、分かってしまった。彼が自分でも気づかないうちに、エスメラルダを意識し始めていることを。
(今さら、何なのよ)
エスメラルダは、レオンハルトに嫌われていたはずだった。
何度拒絶されても付きまとい、癇癪を起こしていた。それなのに今はレオンハルトの方が追いかけ始めている。
奥歯を噛みしめていると、大司教は踵を返した。
「いいか、失敗するなよ」
「かしこまりました」
レティシアは頭を下げる。
革靴の音が廊下の奥へ遠ざかっていく。
やがて彼女は、ゆっくり顔を上げた。月明かりに照らされる大司教の背中を、冷たく睨みつける。
(最後に笑うのは、この私よ)
月明かりの下で、オリーブ色の瞳が暗く光っていた。
***
決闘から一ヶ月が経った。
アーティファクトは変わらず売れ続けており、私は忙しい毎日を過ごしていた。
嬉しい悲鳴ではあるが、私にはまだまだお金が足りない。
黒薔薇病を治すために必要な一千億ゴールドには、到底届いていない。しかも私に残された時間も多くはない。
そのため今日は、屋敷の自室で新しくお金を稼げる方法を考えていた。
机の上には、売上表や鉱山の資料などが広がっている。前世で培った社畜脳を総動員して数字とにらめっこしていると、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
返事をすると、焦茶の髪をお団子にまとめたメイドが入ってきた。
リボンが巻かれたベージュの箱を抱えており、どこか困惑した表情を浮かべている。
私は首を傾げながらメイドの名前を呼んだ。
「どうしたの? サラ」
「あの、こちらがお嬢様宛に届きまして……」
私は箱へ視線を落とした。
「誰から?」
「……レオンハルト様からです」
「レオンハルト様から……?」
思わず復唱してしまう。
なぜ、私を嫌っているはずの彼から贈り物が届くのか。
疑問が一気に頭をもたげる。
箱は可愛らしい。リボンも丁寧に結ばれ、いかにも高級な贈答品という雰囲気がある。
だが相手がレオンハルトだと思うと、警戒心の方が先に立つ。爆弾とか入っていないだろうか。
(さすがに考えすぎ?)
けれど最近の彼の言動を考えると、まったく安心もできない。
私とサラは互いに顔を見合わせ、緊張した面持ちで箱を開けた。
中に入っていたのは、淡い水色の瓶と手紙だった。
瓶は小ぶりだが、蓋の部分には精巧な彫りが施されていて高級感がある。光を受けると、ガラスの中の液体が柔らかく揺れた。
香水だろうか。そう思いながら、私は手紙を開く。
「『君のために評判の万能薬を取り寄せた。使うといい』……万能薬?」
思わず声に出す。なぜ急に万能薬など。
首を傾げる私に、サラがおずおずと言った。
「お嬢様が倒れられたのを、心配されたのではないですか?」
「ああ……」
魔法を連発して、その後に黒薔薇病の発作で倒れた日のことだろう。
私は頷きかけ、すぐに眉をひそめた。でも、あれからもう二ヶ月ほど経っている。
なぜ今さらこんなものを贈ってくるのか意味が分からない。
それでも「万能薬」という響きには心が揺れた。
(もしかして、黒薔薇病にも効くのかしら?)
もしそうなら万々歳だ。
ブランジェムを大量に集める必要もなくなるかもしれない。
けれど、これはあのレオンハルトからの贈り物である。
善意なのか。気まぐれなのか。あるいは何か別の思惑があるのか。
いくつもの可能性が頭の中でぐるぐる回っていると、サラが再び口を開いた。
「あの、お嬢様。そちらは……」
「ん?」
「あ、いえ。つ、使われるのですか?」
サラの様子がどこか変だ。
私は瓶へ視線を落とし、それから箱の中へ戻す。
「ひとまず、こういうものに詳しい人に聞いてみるわ」
今日は19時過ぎにもう1話更新します!




