第九話 我、秋を堪能 (10/8書き直し)
秋。
夏の刺すような暑さもようやく和らぎ、山々の木々が少しずつ赤や黄色に染まり始めていた。吹き抜ける風にも、真夏とは違う涼しさが混じっている。
そんな季節を、マオはかなり気に入っていた。
(うむ。実によい季節よな。何より、焼き芋が美味い)
そんな秋の休日。マオは母の由紀やユウたちと共に、山あいのキャンプ場に来ていた。
この世界に転生してから、キャンプという言葉自体は何度も耳にしている。自然の中で火を起こし、食事を作り、皆で過ごす。元の世界で言えば野営に近いのだろうが、実際に参加してみれば、似ているのは屋外で過ごすという点くらいだった。
兵士たちとの野営では、敵襲に備えて最低限の荷物しか持てず、休息中であっても交代で見張りを立てる。いつでも移動できるよう警戒を解くことはない。
だが、ここは違う。大きなテントやタープを堂々と張り、周囲を警戒することなく火を起こす。折り畳み式の椅子やテーブルまで並び、食材も飲み物も大量に用意されていた。
何より――緊張感がまるでない。
「う~~。外は日差しがキツイ」
「眠い」
タープの下では、椅子に深く身体を預けた石田と森田が、早くもだらけきっていた。秋とはいえ、昼の日差しはまだ少し強い。それでも真夏に比べれば随分と過ごしやすいはずなのだが、この二人にはそれでも厳しいらしい。
(石田殿、森田殿。まだ何もしておらぬぞ?)
「先生。太陽が僕たちを殺しにきています」
「せめて旅館に行きませんか。温泉に入りたいです」
今度は杉田と諏訪部。二人も別のタープの下で横になり、すでにキャンプを満喫するというより休養に来たような有様だった。
マオは呆れながら、改めて周囲を見渡す。
赤や黄色に染まり始めた山。澄み渡る青空。目の前を流れる川。これほど自然に囲まれているというのに、何故そこで旅館を求めるのか。
(……まあ、温泉には我も入りたいがな)
その一方、中村と神谷は紅葉を眺められる場所に折り畳み椅子を置き、すでに完全なくつろぎ態勢に入っていた。傍らには、水と氷をたっぷり入れたクーラーボックス。中村がそこから缶ビールを取り出す。
「酒を飲めれば、どこでもいいよ」
「癒される~~」
冷え切った缶のプルタブを開け、二人はビールを喉に流し込んだ。飲み終えた後に漏れる満足そうな息。
その様子を見た途端、マオの視線が缶ビールに吸い寄せられた。
(羨ましい!我も飲みたい!)
元の世界にいた頃なら、酒くらい普通に嗜んでいた。だが、今は10歳。当然ながら飲めない。回転寿司では博に目の前でビールを飲まれ、今度は山の中で中村と神谷に見せつけられている。
(この身体になってから、酒に関してだけは理不尽なことばかりよ……)
そんな愚痴を胸の内でこぼしている一方、別の場所では六人とは対照的に、意気揚々と準備を進めている者たちがいた。
「安元。もう少し炭を分けられるか?置き方を変えて、弱火、中火、強火で使えるようにしてくれ」
「わかった。これくらいでどうだ?」
「いいな。肉と野菜は下処理してあるから、火が安定したらすぐ焼けるぞ」
大きなバーベキューコンロの前では、安元と小野坂が手際よく炭を整えている。その横では仁が、事前に切って持ってきた肉や野菜をクーラーボックスから取り出し、焼く準備を進めていた。
(仁殿はともかく、アシスタント諸君も一部を除けば見違えるほど元気だの)
夏休みに由紀の仕事を手伝った時には、仕事部屋で全員が死屍累々となっていた。それが今日は、随分と顔色がいい。石田と森田は今にも眠りそうだが、少なくとも締め切り前のように目から光が消えてはいなかった。
(締め切りがないだけで、ここまで人は変わるものなのだな)
むしろ、その事実の方が少し恐ろしい。
「愛さん。本当にいいの?キャンプに誘ってもらった上に、アシスタントのみんなまで一緒で」
「いいのよ。賑やかな方が楽しいし、私もいつも由紀さんの漫画を楽しませてもらってるんだから。でも、どうしても悪いと思うなら――」
「ママ。仕事の話はなしで」
「あら、残念」
少し離れた場所では、由紀と愛がのんびり話していた。仕事の話に持っていこうとした愛を、野菜をコンロに並べ始めた仁がすかさず止める。
今日は完全に仕事から離れているからか、由紀の表情も穏やかだった。締め切り直前の疲れ切った姿を見たばかりのマオとしても、その様子には少し安心する。
そして、愛はこんな場所でも隙があれば仕事につなげようとしていた。以前、マオとユウにダンジョン素材製のラッシュガードを渡した時も、同封した手紙の追伸で、由紀に特別デザインを頼めないかと書いていた人物である。
(愛殿。相変わらず商魂逞しいの)
もっとも、そういう抜け目のなさをマオは嫌いではない。今回は仁が先回りして止めてくれた。
(うむ。良い仕事ぞ、仁殿)
そんな皆の姿を眺めていた時、頭上から飛行機の音が聞こえた。
マオが空を見上げる。すでに機体は遠くへ過ぎ去り、青空には白い飛行機雲だけが残されていた。
その光景に、この場にいない家族のことを思い出す。父の博。
アメリカでの調査を終えて帰国した直後、今度は別の連絡が入り、家でゆっくり休む間もなく再び海外へ向かった。今回の行き先はエジプト。新たに確認されたダンジョンの調査らしい。アメリカから帰ってきたと思えば、次はエジプト。行政のダンジョン研究所で働いているとはいえ、本当に目まぐるしく世界中を飛び回っている。
(父上……いつになったら日本で落ち着けるのだろうな)
そして、その原因となっているダンジョン。以前、博から詳しい話を聞いて以来、自分とまったくの無関係だとは思えなくなっていた。もし、本当に失ったダンジョンマスターの力が何らかの形で関わっているのだとすれば――。胸の奥に、小さな罪悪感が浮かぶ。
(……いや。我は何もしておらぬ。多分。きっと)
「マオ!この川、冷たいよ!」
ユウの声が、その思考を遮った。視線を向けると、いつの間にか靴を脱ぎ、ズボンの裾を捲り上げたユウが浅瀬に入っていた。澄んだ水の中で足を動かしながら、楽しそうにこちらへ手を振っている。
「ユウよ。そうはしゃぐな。足を滑らせるぞ」
「大丈夫だよ!ほら、マオも来て!」
相変わらず元気である。
(まったく。子供よな)
そう思いながらも、マオの口元は自然と緩んだ。
陽光を反射した川面が、細かな光を散らしている。赤や黄色に染まり始めた葉が時折風に舞い、水面に落ちてゆっくりと流れていった。静かで、穏やかな景色だった。
(まあ、我も子供なのだがな)
少しくらい付き合ってやろう。そう思い、マオが靴を脱ぎ始めた時――。
「石田、森田。皿を用意しろ」
背後から、小野坂の低い声が聞こえた。何事かと振り返れば、タープの下で椅子に座った石田と森田は動いていない。
「……石田。森田」
二度目。さらに声が低くなる。
二人の肩が僅かに動いた。聞こえてはいる。だが、目を閉じたまま動こうとしない。
(寝たふりをしておるな)
しびれを切らした小野坂は、手にしていたトングをコンロの脇に置くと、二人の前まで歩いていった。腕を組む。
二人はまだ動かない。
次の瞬間――。
「あいたっ!」
「痛い!」
小野坂の拳骨が、二人の頭に落ちた。石田と森田が揃って頭を押さえ、恨めしそうに小野坂を見上げる。
「さっさと働け」
タープの入口に立つ小野坂。その背後から差し込む日差しも相まって、何やら妙な迫力があった。
それでも二人は反論を試みる。
「キャンプに来てまで働かされるなんて……」
「横暴だ……」
小野坂の眉が僅かに動く。ちょうどその時、コンロから肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。小野坂が深く息を吐く。
「文句があるなら……肉、なしな」
「すぐ用意します!」
「皿はどこですか!」
即座に二人が立ち上がった。先ほどまで一歩も動こうとしなかったというのに、我先にタープを飛び出し、皿やコップを探し始める。
「…………」
マオはその鮮やかな変わり身を眺めた。
(肉の力、強いな)
そして、それを一言で動かした小野坂にも感心する。
(皆の扱いをよくわかっておるの)
そのやり取りを眺めながら、マオもズボンの裾を捲り上げた。靴を脱ぎ、浅瀬に片足を入れる。
「むっ……」
ひやりとした水が肌に触れ、想像以上の冷たさに足が止まった。だが、秋の日差しの下では、それすら心地よく感じられる。
「マオ!魚がいる!」
「む?」
ユウの隣まで歩き、指差された水中に目を凝らす。大小様々な石の隙間を縫うように、小さな魚が何匹も泳いでいた。
「うむ。小さいな。それに、なかなか素早い」
「捕まえられるかな?」
「素手では難しいだろうな。動きを読んで――」
その瞬間。背中を、不意にぐっと押された。
「なっ!?」
完全に不意を突かれた。身体が前に傾き、咄嗟に踏ん張ろうとした足が濡れた石の上で滑る。そのまま浅瀬に倒れ込んだ。秋の冷たい水が、服の中まで一気に入り込む。
「…………!」
マオは川底に手をつき、すぐに上半身を起こした。濡れた髪が頬に張りつく。
(冷たい!ものすごく冷たいぞ!)
「あははははっ!マオ、びしょびしょ!」
顔を上げる。すぐ近くでは、ユウが腹を抱えて笑っていた。
「…………」
犯人は考えるまでもない。マオは頬に張りついた髪を後ろに払い、服から滴る水を気にしながらゆっくりと立ち上がった。
(ユウ……おぬし、やったな?)
先ほどまでの穏やかな気分は消えた。元とはいえ魔王に不意打ちを仕掛けたのである。たとえ今は10歳の少女であろうとも、このまま終わらせるわけにはいかない。
「ユウ。後ろに虫がおるぞ」
「えっ!どこ!?取って!」
ユウが慌てて後ろを振り返る。当然、虫などいない。
(ふっ。かかったな)
無防備になった背中に近づき、マオは両手を伸ばした。
「ふっ!」
「え?」
背中を軽く押す。ユウの身体が前に傾いた。咄嗟に踏ん張ろうとしたようだが、濡れた川底では耐え切れない。マオと同じように、そのまま浅瀬に倒れ込んだ。大きく水が跳ねる。次の瞬間、ユウが勢いよく上半身を起こした。
「つめたっ!」
長い髪を顔に張りつかせ、身体を小さく震わせながらマオを見る。
その表情を前に、マオは満足そうに胸を張った。
(うむ。見事)
「ユウよ。先に仕掛けたのはそちぞ」
「マオ~~!」
「ふっ。魔王に戦いを挑んだことを――」
「やったな~~!」
「むっ!」
最後まで言わせてもらえなかった。ユウが両手で水を掬い、そのまま勢いよく飛ばしてくる。冷たい水が、マオの顔を直撃した。
「…………」
前髪から、ぽたぽたと雫が落ちていく。
(やりおったな)
「ふっ。ならば受けて立とう!」
マオも負けじと水を掬い、勢いをつけてユウに浴びせる。
「きゃっ!」
「ふはははっ!どうした勇者よ!」
「まだまだ!」
「むっ!」
先ほどより多くの水が飛んでくる。マオは咄嗟に腕で顔を庇った。
(流石、勇者。水を掛けるだけでも遠慮がない!)
ならば、こちらも負けてはいられない。
「くらうがよい!」
「きゃあっ!」
「まだまだよ!」
「こっちだって!」
そこからは、完全な水の掛け合いになった。マオが浴びせれば、ユウも返す。右から。左から。互いに隙を探し、時には足元を狙い、不意を突いて顔にも浴びせる。
最初は仕返しのつもりだった。だが、いつの間にかマオ自身も夢中になっている。
冷たい。濡れた服は重い。髪からは絶えず水が滴っている。
それでも――楽しい。
気づけば二人とも、頭の先から足元までびしょ濡れになっていた。
「マオ!ユウ!危ないから岸の近くで遊べ!それと、あまり長く入ってるなよ!」
川岸から、小野坂の声が飛んできた。
「む?」
二人が揃って周囲を見る。夢中になっているうちに、最初にいた浅瀬から離れ、川の中央寄りまで来てしまっていた。
「すまぬ!」
「はーい!」
二人は素直に返事をすると、急いで岸に近い浅瀬に戻った。足元が安定したところで、マオは濡れた服の裾を軽く絞る。
「ユウ。一旦ここまでだ」
「うん」
ユウも素直に頷いた。だが、その顔を見ればわかる。まだ勝負を終えるつもりはない。
「決着は水鉄砲だね」
予想どおりだった。マオの口元が僅かに上がる。
実は、キャンプ場の近くに川があると聞いた時点で、マオも水遊びをする可能性は考えていた。そして――水鉄砲を持ってきている。
(ふっ。考えることは同じというわけか)
「よいだろう。ならば我が腕前、見せてくれよう」
「絶対に負けないから!」
「ふっ。勇者よ。魔王に勝負を挑んだこと、後悔するがよい」
水鉄砲であろうとも、勝負は勝負。負けるつもりなどなかった。
――その後。
二人はバーベキューの肉を腹いっぱい食べた。そして、また川で遊ぶ。今度は水鉄砲を持ち出し、ずぶ濡れになるまで走り回った。疲れれば、再び肉を食べる。そんなことを繰り返しているうちに、気づけば日は大きく傾いていた。
そして、夕方。
焚き火の近くに置かれた椅子に腰を下ろし、マオは焼きたての焼き芋を両手で持っていた。熱々の芋を半分に割る。黄金色の中身から、白い湯気が立ち上った。
「おお……」
一口頬張る。ほくほくとした柔らかな食感。その直後、優しい甘さが口いっぱいに広がった。マオの頬が自然と緩む。
(焼き芋は正義)
隣では、ユウも同じように焼き芋を頬張っていた。
「おいしいね!」
「うむ。実に美味い」
昼間の水掛け合いで、どちらが勝ったのか。その後の水鉄砲で、決着はついたのか。そんなことは、もうどうでもよかった。
マオは色づく山々を眺めながら、もう一口焼き芋を頬張る。昼間より冷たくなった秋風が、火照った頬を優しく撫でていった。
(うむ。やはり秋は、よい季節よな)




