第89話 我、終わって脱力
「待て! 俺たちはまだ――」
「いいから。出ていきなさい」
26番組の者が食い下がろうとしたが、大林先生のひと言で言葉を詰まらせる。
うむ。
言葉も冷たいが。
何より、その圧が冷たい。
先ほどまで薄く笑っておったというのに、不正を働いた者を見る目には一切の温度がない。
反抗しようにも、相手はS3級ハンター。
それに、大林先生の後ろで試験監督をしておるハンターたちも、恐らく相当な実力者なのであろう。
先ほどの魔力操作。
あれだけ薄く魔力を広げながら、受験者に悟られぬよう監視しておったのだとすれば見事なものぞ。
S級か。
あるいは、それに近い者たちなのかもしれぬな。
我は改めて試験監督たちに視線を向ける。
特に気になるのは、あの二人。
一人は、有名な俳優に似た雰囲気を持つ筋骨隆々の男。
黒いサングラスまでかけており、腕を組んで立っているだけで妙な迫力がある。
そして、もう一人。
こちらは正反対。
すらりとした体格に整った顔立ち。
何ぞ。
アイドルにでもいそうな青年よな。
…………。
しかし。
我としては、あのグラサンの御仁に一度でよいから『アイルビーバック』と言ってほしいの。
絶対に似合う。
…………。
我、何を考えておる。
今は試験中ぞ。
そのような、どうでもよいことを考えている間にも、ホールの扉が開き、別の職員たちが中に入ってきた。
どうやら、近くで待機していた職員たちが騒ぎを聞きつけたらしい。
最初に摘発された組。
そして26番組。
何人かはまだ何か言おうとしておったが、大林先生や試験監督たちを前にして抵抗できるはずもなく、そのまま職員に連れられて強制退場となった。
扉が閉まる。
…………。
静かになったの。
「騒がしかったわね」
大林先生は何事もなかったかのように前に戻ると、壁の時計を確認した。
「中断させてしまった分、試験時間を五分延長します。続けてください」
涼しい顔で言うの。
だが。
ホールの空気は明らかに先ほどまでと違う。
誰も口を開かぬ。
問題用紙に視線を落としてはおるものの、妙に背筋が伸びている者までおるぞ。
まあ。
目の前で二組まとめて失格にされたのだ。
こうもなろう。
…………。
さて。
我には関係ないな。
我、もう終わっておるし。
我は大林先生に視線を向け、手を上げる。
「はい」
大林先生がこちらを見る。
「あら?」
「終わったの」
その瞬間。
また周囲から小さなどよめきが広がった。
…………。
今度はすぐ静かになったな。
まあ。
つい先ほど、大林先生から『喋らない』と注意されたうえ、不正をした者たちが目の前で連れていかれたばかり。
流石に同じことを繰り返す者はおらぬか。
大林先生が我の席まで歩いてくる。
「確認だけど、本当にいいの? 提出したら修正できないわよ」
「よい。見直しも終わっておるし、名前もきちんと書いておる。ばっちりぞ」
「やべっ……」
…………。
む?
今。
どこかから小さな声が漏れたの。
我は声のした方を見そうになり、やめる。
もしかして。
名前を書いておらなんだのか?
…………。
危なかったな。
気づけたのであれば、今のうちに書くがよい。
「ならいいわ」
「うむ。すまぬの」
大林先生が我の問題用紙と解答用紙を回収していく。
よし。
これで我も終了。
筆記具を片づけ、鞄を持つ。
それから武器ケースも忘れずに持って、と。
周囲の邪魔にならぬよう静かに席を離れ、出口へ向かう。
すると。
扉の前に立っていたのは――。
あのグラサンマッチョ。
我が近づくと、男は僅かに口元を持ち上げた。
おお。
笑った。
強面なのに、笑うと意外と親しみやすいの。
そのまま男は扉へ手を伸ばし、我が通れるよう静かに開けてくれた。
…………。
もし本当に俳優であったなら。
我、ファンになっておるかもしれぬ。
「すまぬ。ありがとう」
「気にするな。よく頑張った」
おお。
気遣いまでできる。
ナイスな男よ。
モロイも、これくらい素直に我を労ってくれておればよかったものを。
我の右腕でありながら、小言ばかり。
隠しておいた菓子を見つけては勝手に食い。
高級な茶葉まで勝手に使い。
仕事を少し休もうものなら、すぐに書類を持って追いかけてきおった。
…………。
いや。
待て。
モロイがおったからこそ、魔王国があそこまで発展したとも言えるの。
我が面倒がって後回しにした仕事も、あ奴が逃がしてくれなかったからな。
…………。
うむ。
今となっては、感謝しておるぞ。
菓子の恨みは別だが。
まあよい。
さて。
ユウは何処におるかの。
ビルの外へは出るなと言われておったから、どこかで待っているはず。
我はまず、一階に降りて探すことにした。
そして――。
「…………」
一階に着いた我は、目の前の光景を見て立ち止まった。
…………。
「降りるんじゃなかったの」
受付付近。
そこにおったのは、先ほど三階の試験会場で失格を言い渡された二つのパーティー。
合わせて10人。
職員たちを相手に、未だ声を荒らげておる。
…………。
情けなし。
不正をしたのは己らであろうに。
それを棚に上げて他に責任を押しつけるとは。
見ておるだけで、げんなりするの。
「なんで失格なんだ! おかしいだろ!」
「そうだ! それに、証拠がないだろ!」
いや。
監視カメラに残っておると、つい先ほど言われたではないか。
それに、試験監督のハンターたちにも気づかれておる。
我が心の中で呆れていると、受付の奥に立っていた女性職員が、騒ぐ者たちを前にして口を開いた。
「逆にお聞きしますが、事前に注意事項はご確認いただけましたか? 試験開始前にも、スマートウォッチやスマートグラスなど、通信・情報表示が可能な機器の使用は禁止だと説明していましたよね?」
おお。
受付のおばちゃん。
言葉遣いは丁寧。
だが、一歩も引かぬ。
腕を組むわけでも、声を荒らげるわけでもなく、淡々と正面から受け止めておる。
一階で受付をした時には見なかった御仁だが。
この様子。
もしや、こういう者たちの扱いに慣れておるのか?
「なんだ、騒がしいな」
「どうしたんだろう?」
む?
聞き慣れた声に振り返る。
少し離れたところから歩いてきたのは、千葉先生とユウ。
おお。
ちょうどよかった。
「マオ。試験終わったの?」
「うむ。終わらせたぞ」
「早かったね」
おぬしに言われたくはないの。
我より先に、40分ほどで出ていったではないか。
千葉先生は我らの会話よりも、受付前で騒いでいる者たちに視線を向けた。
「なんかあったってことか」
…………。
千葉先生。
その顔。
恐らく、何となく察しておるな?
「簡潔に説明すると、カンニングで失格になった面々ぞ。今、それについて職員に文句を言っておる」
我が受付付近を指で示すと、千葉先生は「ああ……」とでも言いたげな顔になり、僅かに苦笑した。
「カンニングするほどだった?」
ユウ。
そう言ってやるでない。
一応、我としてはそれなりに難しい問題もあったと思うぞ。
おぬしが40分で終わらせただけだ。
「また12月まで待たないといけないのか! 今すぐ再試験を受けさせろ!」
「そうだ! まだ試験時間は残ってるだろ!」
「できません」
女性職員は即答。
「本免試験は、定められた規律と管理のもとで行われています。不正行為によって失格となった方を対象に、その場で再試験を行うことはできません」
「知らねぇよ! そんなのそっちの都合だろ!」
…………。
酷いの。
試験は年二回。
次は12月。
今ここで失格となれば、数か月待たねばならぬ。
腹が立つ気持ちそのものは分からぬでもない。
だが。
だからといって。
不正した者だけ特別に今すぐやり直させろ、とはならぬであろう。
「お前ら。そこまでにしろ」
む?
我の隣におった千葉先生が、騒いでいる者たちに歩み寄る。
「あら、千葉さん」
女性職員が千葉先生に気づき、僅かに表情を緩めた。
「後は俺が」
「そう? なら、お任せします」
「待て!」
女性職員が受付の奥に戻ろうとしたところで、一人が呼び止める。
だが。
「待つのはお前らだ」
低い声。
それだけで、先ほどまで騒いでいた何人かが口を閉じた。
千葉先生は女性職員と入れ替わるように前へ出ると、10人を順番に見渡す。
「なんだ、お前!」
「千葉茂雄」
千葉先生は面倒そうに名乗り。
「S1級ハンターだ」
…………。
静かになったの。
先ほどまであれほど威勢よく騒いでおったというのに。
S1級。
そのひと言だけで、露骨に勢いが消えた。
うむ。
流石にハンターを目指しておる者ならば、その階級がどの程度のものかは知っておるよな。
「お前ら。カンニングしたんだってな」
「あれは……」
一人の男が言葉を詰まらせた後、それでも反論するように声を上げる。
「できる環境が悪いだろ!」
「そうだ! あんなガバガバな状態なら、できて当たり前じゃないか!」
…………。
すごい理屈よな。
不正ができる。
故に、不正をしてもよい。
そのような理屈が通るのであれば、世の中から規則というものが消えてしまうと思うぞ。
千葉先生も同じようなことを思ったのか。
僅かに眉を上げた。
「でも、バレてんだろ」
「…………」
「…………」
うむ。
ごもっとも。
随分と急所に刺さったようだの。
あれほど口々に文句を言っておった者たちが、一斉に黙った。
千葉先生は小さく息を吐く。
「いいか。後で、お前らを担当していた指導者からも説明されると思うが――」
一度、言葉を切る。
「わざとだ」
「……は?」
何人かが間の抜けた声を漏らした。
「聞こえなかったか?」
千葉先生は、騒いでいた者たちを真っ直ぐ見据える。
「わざと、不正しやすい環境を残してるんだよ」
その言葉を最後に、受付付近が静まり返った。
先ほどまであれほど喚いておった10人が、誰一人として言葉を発さぬ。
千葉先生に何か言い返そうとしておる者もいるようだが、口を開きかけては閉じておる。
どうやら、まだ頭の中で言葉を整理できておらぬようだの。
「いいか」
千葉先生が10人を順番に見渡す。
「ハンターってのは、命を懸ける仕事だ」
む?
言っておる相手は、あの者たち。
だが。
千葉先生。
これは我とユウにも聞かせておるな。
何となく分かる。
中学時代。
我らが何度も向けられた、教師としての顔ぞ。
「本免を取って正式なハンターになれば、誰も見張ってねぇダンジョンの中で活動することになる。そこで誰も見てねぇからって、好き勝手していいと思ってんのか?」
誰も答えぬ。
「ダンジョンの内部を勝手に撮影して世間に流す。持ち帰った素材やクリスタルを、決められた正規のルートを通さず横流しする。機密に指定された情報を外に漏らす。やろうと思えば、規則を破る機会なんざいくらでもある」
千葉先生の声は大きくない。
だが、一つずつ。
逃げ道を塞ぐように言葉を重ねていく。
「だから本免試験じゃ、知識や実力だけを見てるわけじゃねぇ。不正しようと思えばできそうな、こんな緩い環境でも規則を守れるか。それも試験の一つなんだよ」
なるほどの。
やはり。
あの妙に緩い電子機器の扱い。
完全に使えぬよう没収するのではなく、スマートウォッチをリストバンドで覆うだけ。
あれそのものが、試験の一部だったということか。
しかも実際には、大林先生や試験監督のハンターたちが監視しておる。
不正ができそうに見えて。
やればバレる。
…………。
中々に意地が悪い。
だが。
ハンターになった後のことまで考えるのであれば、理には適っておるの。
それにしても。
千葉先生。
随分と懇々と説教しておるな。
…………。
懐かしい。
我も中学時代、何度こうして怒られたことか。
「でも……」
ようやく一人が顔を上げた。
「そんなことなら、最初からスマートウォッチも眼鏡も全部没収するとか、できたはずだろ」
「はぁ……」
千葉先生が深いため息を吐く。
「お前ら、大人だろうが」
「…………」
「いちいち『悪いことができないようにしてください』って、そこまで面倒見てもらわねぇと規則も守れねぇのか。子供じゃねぇんだぞ」
「…………」
また黙った。
今度は全員、視線まで落としておる。
うむ。
耳が痛かろうな。
だが。
正論ぞ。
試験開始前に説明も受けた。
資料にも書かれておった。
それでも己の意思で破ったのだ。
使える状態にしていた方が悪い、では通らぬよな。
「それにな」
千葉先生は腕を組み、さらに続ける。
「お前らが今まで教えられてきたハンターの仕事なんざ、まだ一部だ。本免を取ってから初めて知らされることも山ほどある」
…………。
そうなのか?
我も知らぬぞ。
いや。
知らされておらぬのだから当然か。
「ダンジョンに関する情報には、機密も多い。一般人には口外できねぇ情報を扱うことだってある。そんな仕事に、これくらい緩い条件を見つけただけで規則を破る奴を就かせられると思うか?」
…………。
出来はせぬな。
少なくとも。
我が責任者であったとしても、信用はせぬ。
あれほど事前に注意されておったのだ。
それでも不正をした。
その時点で信用を失ったと言われても、仕方あるまい。
「ちなみに、こいつらは何回目だ?」
む?
千葉先生が、先ほどのおばちゃん職員に顔を向ける。
「不正行為?」
「そうだ」
「全員、一回目よ」
「そうか」
…………。
何の確認ぞ?
千葉先生は再び10人に視線を戻した。
「なら、一回目はまだやり直せる」
「え?」
下を向いていた者たちが、一斉に顔を上げる。
「今回の本免試験は失格。それは変わらねぇ。だが、仮免資格までは取り消されない。次の試験にも申し込める」
おお。
一度で全て終わりというわけではないのか。
それならば。
失敗した後に改める機会は残されておるのだな。
「ただし」
千葉先生の声が低くなる。
「今回の不正は記録に残る。本免に合格したとしても、しばらくは協会から活動状況を厳しく確認されると思え」
「そこまで……」
「当たり前だろ。一度、信用を裏切ってんだからな」
うむ。
それも当然よな。
「それと、勘違いすんなよ。次の試験を真面目に受けて、単純に実力不足で落ちただけなら何度でも受け直せる。そこは問題じゃねぇ」
千葉先生はそこで一度言葉を切った。
「だが、次にまたカンニングをする。それ以外でも、故意に重大な規約違反をする。そうなったら話は別だ」
先ほどまで僅かに安心していた者たちの顔が、再び強張る。
「仮免資格は取り消し。ハンター資格を根拠に登録してる銃火器や武器も、そのまま持たせておくわけにはいかねぇ。一度、協会の管理下でハンター立ち会いのもと回収される」
「…………」
「さらに、やった内容によっちゃ資格取消だけじゃ済まねぇ。法に触れることまでやれば――」
千葉先生の目が細くなる。
「最悪、刑務所行きだ」




