第88話 やらかしておる。我ではないぞ
テストが始まると同時に。
我、気づく。
何やら微かな魔力の流れを感じるの。
問題用紙に向けていた意識を少しだけ周囲に広げてみれば、間違いない。
誰かが魔力を使っておる。
しかも、一人ではない。
ふむ。
少し確認してみるか。
我は問題に取り掛かる前に、ほんの僅かな間だけ目を閉じた。
視界から入る情報を遮り、周囲を流れる魔力だけに意識を集中する。
…………。
やはり。
前方。
大林先生。
そして、先ほど問題用紙と解答用紙を配っていた試験監督たちの何人か。
そこから魔力を感じる。
量そのものは多くない。
むしろ、周囲に溶け込ませるように薄く広げておるような……。
我は目を開き、問題用紙を見るふりをしながら大林先生に軽く視線を向けた。
本人は前方に用意された椅子に腰を下ろし、静かに受験者たちを見渡しておる。
特に何かしているようには見えぬ。
手を動かしているわけでもない。
術式らしきものも見当たらぬ。
ならば。
何の魔法ぞ?
ふむふむ。
…………。
わからん。
我の知る魔法とは少し使い方が違うのか、それとも単純に魔力を周囲に流しておるだけなのか。
少なくとも、今の我にはそれ以上までは読み取れぬ。
む?
我が大林先生を見ていると、ふと視線が重なった。
…………。
目が合ったよな?
大林先生。
こちらを見ながら、ほんの僅かに口元を緩めておる。
何ぞ、その笑み。
まさか。
我があの魔力に気づいたことまで、気づかれたのか?
…………。
あり得るの。
S3級ハンター。
しかも、千葉先生が実力を認めておる御仁。
我が思っている以上に、魔力の扱いにも長けておるのかもしれぬ。
まあよい。
今はテストぞ。
余計なことに気を取られて点数を落としては、本末転倒だからの。
我は意識を問題用紙に戻す。
問題は全部で五枚。
解答方法はマークシートと記述式の二種類か。
最初からざっと目を通してみる。
ふむ。
マークシートの方は、学校で習った内容が中心のようだな。
ハンターに関係する法律。
装備の扱い。
ダンジョン内で守るべき基本事項。
モンスターや素材に関する知識。
救助や緊急時の対応。
この辺りは、千葉先生に何度も復習させられたものばかり。
一方。
記述式の方は少し違う。
状況を示され、それに対してどのような判断をするのか。
何を優先するのか。
何故その判断をしたのか。
訓練ダンジョンで実際に体験し、覚えてきたことを問われておるように見える。
なるほど。
ただ知識を暗記しておればよいというわけではないのだな。
よし。
これならいける。
我は筆記具を握り、最初の問題から順番に解き始めた。
…………。
………………。
……………………。
ふう。
我は一度手を止め、壁に掛けられた時計を見る。
試験開始から、40分ほど経過したところか。
目の前に残っているのは、あと一枚。
思っていたより順調ぞ。
ここを終わらせた後、最初からもう一度見直す時間を取っても十分に余裕がある。
うむ。
悪くない。
むしろ。
我、かなり良いのでは?
そんなことを考えながら最後の一枚に視線を落とした、その時。
「はい」
静かなホールに声が響いた。
む?
この声。
ユウ?
我だけではない。
問題用紙に向いていた受験者たちの顔が、一斉にユウの方に向いておるな。
当然よな。
まだ開始から40分程度しか経っておらぬ。
試験時間は120分。
まだ三分の一ほどしか使っていないのだ。
「どうしたの?」
大林先生がユウを見る。
「終わりました。提出します」
…………。
おお。
流石はユウ。
本当に終わらせおった。
先ほど。
『早めに終わらせてのんびりしよ』
などと言っていたが。
まさか本気で40分ほどで終わらせるとはの。
周囲から小さなどよめきが広がる。
「もう終わったのか?」
「嘘だろ……」
「まだ半分も経ってないぞ」
あちらこちらから小声が漏れる。
まあ。
そうなるよな。
我も知り合いでなければ驚くぞ。
「喋らない」
大林先生の声が響いた。
「テスト中です」
それだけ。
声を荒らげたわけでもない。
だが。
ホールは一瞬で静まり返った。
流石よな。
皆、先ほどまでのどよめきが嘘のように問題用紙に視線を戻しておる。
大林先生はユウの席まで歩いてくると、解答用紙に視線を落とした。
「いいの? 一度提出したら、もう修正はできないわよ」
「大丈夫です」
即答。
迷いなし。
ユウよ。
本気で残り時間をのんびり過ごすつもりだったのか?
流石よな。
「分かったわ。なら回収します」
大林先生が問題用紙と解答用紙を受け取る。
「ビルから出なければ、試験終了までどこにいても構いません。ただし、他の試験会場には入らないこと」
「は~い」
ユウはすぐに筆記具を片づけ、席を立った。
そして我の横を通り過ぎる時、こちらをちらりと見る。
…………。
何ぞ、その顔。
どことなく満足そうに見えるのは気のせいか?
まあよい。
早く行くがよい。
我が軽く頷くと、ユウはそのまま何事もなかったようにホールを出ていった。
…………。
あっさりよな。
周囲からまだ視線を向けられておるというのに、最後まで気にした様子なし。
我も見習うべきかもしれぬ。
まあよい。
我も残りを進めよう。
我は再び問題用紙に向き直る。
最後の一枚を解き。
最初に戻る。
一問ずつ。
問題文を読み直し。
マークシートの位置を確認。
記述内容にも抜けがないか見直していく。
そして。
試験開始から一時間を少し過ぎた頃。
我。
完成。
全問解答済み。
見直しもした。
マーク位置も確認。
記述にも問題なし。
もちろん。
名前も書いておる。
以前の宿題のように、何か一つ忘れておるなどということもない。
…………。
多分。
いや。
大丈夫。
完璧ぞ。
ならば我も提出するとしよう。
そう思い、挙手するため大林先生を探した。
…………。
おらぬな。
いや。
おる。
ただし。
何ぞ?
先ほどまで前方にいた大林先生が、いつの間にか受験者の席の間に移動しておる。
それだけではない。
一人の受験者。
眼鏡をかけた若い男の腕を、しっかりと掴んでおる。
「はい。失格」
…………。
む?
失格?
何やら。
面白いことになっておるな。
いや。
我も答案を提出したいのだが。
少しくらい見てもよかろう。
「何がですか!? 手を放してください!」
青年が椅子から半ば立ち上がり、大林先生に掴まれた腕を引こうとする。
だが。
動かぬ。
大林先生。
見た目は細身なのに、流石S3級。
片手で押さえておるだけなのに、青年の腕がびくともしておらぬ。
「駄目よ」
大林先生の声は落ち着いている。
先ほどまでと変わらぬ。
「君、スマートウォッチを使ってカンニングしたわね」
「は、はぁ!?」
何?
カンニングとな?
我は思わず身を乗り出しそうになり、寸前で止めた。
いかん。
我。
テスト中。
だが。
気になる。
非常に気になるぞ。
あの眼鏡の青年。
中々の度胸よな。
本免試験で。
しかも、大林先生が試験官だというのにカンニングとな?
「何言ってるんだ! 俺はちゃんとリストバンドで隠してるぞ!」
青年は掴まれていない方の腕を持ち上げる。
確かに。
スマートウォッチの画面は、受付で渡されたリストバンドによって覆われておる。
見ようとしても画面そのものは確認できぬ。
「いいえ。確認したわ」
大林先生はそう言うと、空いている手を青年の顔に伸ばした。
そして。
眼鏡を外す。
む?
何ぞ?
ただの眼鏡ではないのか?
大林先生は取り上げたそれを軽く持ち上げ、青年に見せる。
「最近、多いのよね。スマートグラスで問題用紙を撮影して、外部にいる人間から答えを教えてもらおうとする人」
なるほど。
眼鏡型の端末か。
見た目だけでは普通の眼鏡とほとんど変わらぬの。
「そ、それはしてない!」
青年の顔に焦りが浮かぶ。
「たとえそれがスマートグラスだったとしても、俺はスマートウォッチなんて見てないだろ!」
「そうね」
大林先生。
あっさり認めた。
「見てはいなかったわ」
「なら!」
「でもね」
大林先生は青年の言葉を遮り、その手首に視線を落とす。
「問題を解いている間、君は毎回、問題番号の辺りをそのペンで軽く叩いていたわよね?」
…………。
そんなところまで見ておったのか?
「その直後、リストバンドの下にあるスマートウォッチが振動していた」
青年の表情が固まる。
「しかも、毎回振動する回数が違ったわ」
…………。
ほう。
我、興味津々。
なるほど。
スマートグラスで問題を外に送り、ペンで叩いて今どの問題を解いておるのか合図する。
そして返ってきた答えは、スマートウォッチの振動で受け取る。
一回。
二回。
三回。
振動する回数そのものを答えに対応させておけば、画面を見る必要すらないということか。
なるほどの。
そのようなやり方もあるのか。
いや。
感心するところではないな。
「知らない! いい加減にしてくれ!」
青年が声を荒らげる。
だが、大林先生は表情を変えぬ。
「なら、確認する?」
「何をだよ!」
「あなた一人じゃないもの」
…………。
む?
大林先生の視線が、青年から少し離れた席に移る。
「あなたのパーティー」
周囲の何人かが僅かに身体を強張らせたように見えた。
「全員、ほぼ同じタイミングでスマートウォッチが振動して、その直後に解答を書いていたわよね」
…………。
全員?
それは。
かなり露骨では?
いや。
普通なら分からぬと思ったのか。
リストバンドで画面は隠れておる。
音も出ない。
振動だけ。
しかも一人だけではなく、仲間全員で同じ方法を使う。
だが。
相手が悪かったの。
「そんな証拠、どこにある!」
「あるわよ」
大林先生が顎でホールの天井を示した。
我もつられて見上げる。
そこには、こちらを向いた監視カメラ。
「そこの監視カメラ」
大林先生は天井の一角を示しながら、薄く笑った。
「問題番号を叩いて、その直後に解答していた動き。全部残ってるわよ」
「…………」
先ほどまで声を荒らげておった青年が、黙り込む。
露骨に視線を逸らし、何か言い訳でも探しておるように見えるの。
「認める?」
「……いえ、その……」
先ほどまでの勢いはどこへ行った。
明らかに歯切れが悪くなっておるではないか。
「ちなみに」
大林先生は青年の腕を掴んだまま、ホールの後方に視線を向けた。
「気づいてるのは私だけじゃないわよ。後ろにいる試験監督のハンターたちも、あなたたちが何をしていたのか把握してるから」
なんと!
大林先生だけではないのか。
我は問題用紙から顔を上げぬよう注意しながら、後方に立つ試験監督たちに意識を向ける。
しかし。
どうやって気づいた?
スマートウォッチはリストバンドで覆われておる。
振動だけなら、少し離れた位置から普通に見ていても分からぬはず。
大林先生ならS3級ハンター。
その身体能力や感覚で気づいたと言われれば、まだ納得できなくもない。
だが、後ろにいる試験監督まで同じように気づいておるとなると……。
…………。
いや。
待てよ。
我は先ほど感じたものを思い出し、そっと意識を集中させた。
視線ではなく。
魔力の流れ。
試験開始直後から、このホールには大林先生や試験監督たちが流している微かな魔力があった。
先ほど確認した時には、何をしているのかまでは分からなかったが――。
ふむ。
…………。
変わっておるな。
最初はホール全体に薄く広がっているように感じていた魔力。
だが今は、その流れが明らかに偏っておる。
青年がおるパーティー。
そこを囲むように、薄い魔力がゆっくりと渦巻いておる。
そして。
もう一か所。
少し離れたところに座る別のパーティーの周囲にも、同じような魔力の流れ。
…………。
これは。
感知魔法か?
いや。
我の知るものとは少し違う気もする。
それにしては、あまりにも魔力が薄い。
普通なら、魔法を使っておること自体に気づかぬほど。
…………。
いや。
薄いからこそか。
もし受験者の中に魔力を感じ取れる者がおったとして。
堂々と感知魔法を使えば、『何かされている』と警戒される。
ならば、気づかれぬほど薄く魔力を広げ、その中で起きる変化だけを拾っておるのか?
…………。
推測ではある。
だが。
それならば、試験開始直後から魔力を流し続けていた理由にも説明がつくの。
ふふん。
生まれ変わったとはいえ、我は元魔王。
これほど薄く抑えられた魔力ともなれば、そう簡単に気づけるものではあるまい。
我ほどの者でなければ――。
…………。
流石、我。
いや。
今はそれよりもだ。
「さて」
大林先生が青年から視線を外した。
そして。
我が先ほど魔力を感じた、もう一つの場所に顔を向ける。
「あと、そこの26番組」
「えっ!?」
数席離れたところから、驚いた声が上がった。
おお。
やはり、そちらもか。
大林先生はにこりと笑う。
実に柔らかな笑顔。
だが。
我には先ほど地下駐車場で見た笑みと、どこか同じものに見えた。
「あなたたちも同じよ」
「ちょっ、待ってください!」
「残念ね」
大林先生は軽く手を振った。
「ばいばい」




