第75話 我、まだ学びの途中
どうにか日が沈みきる前に、森林の手前でセーフスポットを見つけることができた。
危なかったの。
空はすでに赤みを失い始め、森の奥には薄暗い影が広がっておる。
あと少し遅ければ、暗くなった中で寝床を探すことになっていたやもしれぬ。それは避けられて何よりぞ。
「では、野営の準備をしてしまおうかの」
我は荷物を下ろし、昨日と同じように寝床を整えようとする。
その時。
「お前ら。よく気づいたな」
「む?」
千葉先生が、少し感心したように我とユウを見る。
「正直、今日中には気づかないと思ってたぞ」
「先生、それって……」
「もちろん、俺は最初から知ってた」
であろうな。
我らの指導役なのだから、知らなかったと言われた方が困る。
しかし、本当に気づけてよかったの。
まさか、疑似デジタルマッピングにこのような落とし穴があるとはの。
「環境型の落とし穴の一つだ。確かに、このダンジョンの最深部は北にある。そこは授業でもやったな」
「うむ。だから我らは、疑似デジタルマッピングを見ながら方角を確認して進んでおった」
「そうだね。全然疑ってなかった」
ユウの言うとおり。
画面に北と表示されておる。
ならば北。
我ら二人とも、それを当然のものとして受け入れてしまっておった。
「もし明日もそのまま進んでたら、そこで訓練中止。引き返させるつもりだった」
「それは……恐ろしいの」
一日以上も方向を間違え、そのまま気づかず訓練まで中止。
危なかった。
本当に危なかったぞ。
「でも、先生」
ユウが少し不満そうに千葉先生を見る。
「こういうことって、授業ではやらなかったよね?」
うむ。
それは我も思った。
最深部は北にある。
そう教わった。
疑似デジタルマッピングについても習った。
だが、その二つを混同するなとは聞いておらぬ。
「全部教えてたら、自分で気づく機会がなくなるだろ」
「それはそうだけど……」
「教室で説明して覚えることもある。実際にやって、失敗して初めて身につくこともある。今回は後者だ」
そう言われてしまうと、何も言えぬの。
実際、我はもう二度と疑似北と本当の北を間違えぬ自信がある。
これほど歩いて間違えたのだからな!
忘れようにも忘れられぬわ!
「でも、一つ気になるんですけど」
「なんだ?」
ユウが森林の方に視線を向ける。
「このまま今の北……マッピングだと東に進んで、本当に大丈夫なんですか?」
「ユウ。それはどういうことであろう?」
「だって、私たち、スタート地点からかなり西に進んじゃってるんだよ」
「…………」
おお。
確かに。
我らは昨日から今日まで、本来進むべき北ではなく西へ進み続けた。
今から方向だけを九十度変えて北へ進んだとしても、入口から真っ直ぐ北へ進む経路からは大きく外れておる。
「ああ。それなら心配するな」
ほう。
随分とあっさり言うの。
千葉先生よ。
どうやら、まだ我らに話しておらぬことがあるようだの。
「原理は分かってないが、この訓練ダンジョンは、どこからでも実際の北に進み続ければ最深部に辿り着くことが過去の攻略記録で分かってる」
「何処からでも?」
「ああ。東西にどれだけずれててもだ」
…………。
また妙な仕組みぞ。
見た目は何処までも広がる草原と森林。
だというのに、北へ進み続ければ最後には同じ場所へ辿り着く。
普通に考えればおかしい。
だが、そもそもダンジョンそのものが普通ではないのだから、今更かもしれぬな。
「じゃあ、もしスタート地点から本当の北に進んでたら……今のマッピングだと東だけど、そのまま最深部に着いたってことですか?」
「ああ。一番短い経路で辿り着いてたな」
…………。
何ということぞ。
我ら、自ら遠回りしておったのか。
ふむ。
ということは――。
「先生。帰りは、我らが今まで進んだ分も歩かねばならぬということか?」
「そういうことだな」
…………。
我、悔しい!
最深部へ着けば終わりではない。
入口まで帰って、初めて攻略完了。
つまり、今回の間違い。
帰りにも響くではないか!
「じゃあ先生」
ユウが今度は別の疑問を口にする。
「私たちが中にいる間に、別のハンターが入ってきたらどうなるんですか?」
うむ。
それも気になるの。
これほど広いとはいえ、同じ入口から何組ものハンターが入れば、いつか何処かで出会っても不思議ではない。
戦闘中に鉢合わせでもしたら危険ぞ。
「そこも心配いらん。原理は分かってないが、別の探索者同士が内部で重なることはない」
「む?」
そうであったかの?
…………。
いや。
待て。
何か、元の世界でモロイから似たような報告を受けた記憶があるような……。
…………。
駄目だ。
思い出せぬ。
「あの門な。一組が入った後、およそ五分で入口側の接続先が別の内部空間に切り替わるらしい。その間、次の組は入場禁止だ」
「別の内部空間?」
「簡単に言えば、入口は同じでも中は別ってことだ。接続先が切り替わった後に別のハンターが入っても、お前らが探索してる場所には出てこない」
「では、途中で外に出れば?」
「同じ内部空間には戻れん。だから入る前の点呼と準備を徹底しろって教えてるんだ」
「なるほどの……」
我は腕を組む。
確かに。
ダンジョンに入ってから忘れ物へ気づいたところで、取りに戻れば仲間とは合流できぬ。
ならば、入る前に必要な物を確認するのは当然。
五人で潜るのであれば、五人全員が揃っていることを確かめてから入る。
それすらできぬ者が、命を懸けてダンジョンに入る資格などないよな。
しかし。
このような仕組み、我には覚えがない。
「そんな能力、我にあったかの?」
「お前が作ってたダンジョンにも、似た仕組みはなかったのか?」
「そう言われてもの」
我とて、自分で作ったダンジョンに探索者として入った経験などない。
それに、今この世界に存在するダンジョンが、我の能力そのものから生まれたのかも、まだ分かっておらぬ。
似てはおる。
非常に似てはおるのだがの。
「まあいい。話を戻すぞ」
「うむ」
「環境型で自然環境が再現されている場合、その環境は基本的にこの世界の自然法則に沿って動く」
我はお気に入りのシートを敷き、その上に野営用のマットを広げながら千葉先生の話に耳を傾ける。
「昼と夜があるなら時間経過の目安になる。太陽があるなら、今回みたいに方角を判断する材料にもできる。風や地形、植生なんかもそうだ」
「なるほどの」
「ただし」
千葉先生が指を一本立てる。
「絶対じゃない」
うむ。
そこは重要よな。
「そもそも太陽がない環境型もある。昼夜がない場所もあるし、外と同じ自然法則がそのまま通じない例外も確認されてる。だから『環境型だから絶対こうなる』とは考えるな」
「周囲を見て、そのダンジョンごとに判断するということか」
「そういうことだ」
「分かった」
うむ。
今回、我らはスマートウォッチばかりを見ておった。
画面に表示された北を信じ、周囲に広がる景色を見ているつもりで、肝心なものを見ておらなんだ。
太陽。
あれほど大きな目印が、ずっと頭上にあったというのにな。
…………。
我。
まだまだぞ。
「先生。一つ質問ぞ」
我は簡易毛布を取り出しながら、森林に視線を向ける。
「明日は、あの森林に入るのであろう?」
「そうなるな」
「何か注意することはあるかの?」
「それ、私も聞きたい」
ユウもか。
しかし。
ユウよ。
聞くのはよいが、携帯食を食い過ぎてはおらぬか?
我の目の前には、開封済みの袋。
一。
二。
三。
四。
…………。
四袋。
まだ夕食の途中ぞ?
我、少し心配。
「そうだな。以前、授業でもやったが――」
千葉先生はユウの携帯食には何も言わず、森林に視線を向けた。
「まず足元。それから頭上。木々や茂みの動きと音にも注意しろ。自分たちが通った場所のマーキングも忘れるな。森林は草原と違って見通しが利かねぇ。戦闘になっても目の前の敵だけを見るな。必ず周囲を把握しろ」
「うむ」
草原とは、また違う探索になる。
明日は明日で、気を引き締めねばならぬようだの。
「でだ、白崎」
「はい?」
千葉先生の視線が、ユウの前に並んだ空袋へ落ちる。
「食料の残り、ちゃんと管理してるんだろうな?」
「……大丈夫です。多分」
…………。
ユウよ。
そこはしっかりと言い切るのだ。
締まらんの。




