第六話 我、ダンジョンを疑う (10/6書き直し)
夏休みのある日。
マオは自宅一階の広いリビングで、父の博を待っていた。目的は、以前から気になっていたダンジョンについて、博から話を聞くことだ。
この世界に転生して、10年。そして、ダンジョンが現れ始めてからも10年。偶然と言ってしまえばそれまでだが、あまりにも時期が重なりすぎている。
しかも博は、行政のダンジョン研究所で働いている。一般には公開されていない情報まで教えてもらえるとは思っていないが、それでも学校やインターネットで調べるより詳しい話は聞けるはずだ。胸の奥に引っかかっている疑問を、そろそろ確かめておきたかった。
ただし――そこには招かれざる客。いや、いつもの友がいた。
「マオ。宿題終わった?」
「まだだ。我はのんびりでよい」
大きなソファーには、マオとユウが並んで座っている。マオは隣のユウに、疑問の眼差しを向けた。
(何故、おぬしまでおる?)
「ふ~~ん。私、もう七月中に終わらせたよ。後は今日聞くダンジョンのことを、自由研究にまとめるくらいかな」
「…………」
マオの眉が僅かに動いた。夏休みは、まだ十分に残っている。多少宿題が手つかずだからといって、今から焦る必要などない。
(決して先延ばしにしているわけではない。大丈夫)
そう自分に言い聞かせながらも、マオには別の疑問があった。
ユウは昔から勉強がよくできる。学校のテストでも、毎回のように100点を取っていた。勇者だった頃の記憶は失っているものの、当時身につけた知識や感覚の一部が残っているのではないかと、マオは密かに疑っている。
(それとも、勇者の力には学力まで含まれておるのか?)
そこまで考え、すぐに首を横に振った。
(流石にそれはないであろう)
そもそも、小学校の勉強ならマオ自身も問題なくついていけている。テストではユウと同じように満点を取ることも珍しくない。元の世界では大国を治め、毎日のように複雑な書類と格闘していたのだ。小学校の勉強程度なら、理解すること自体は難しくない。
ただし――宿題を早く終わらせる気になるかどうかは、まったく別の話。能力ではなく、マオ本人の気分の問題である。
「マオ、ユウちゃん。お待たせ」
マオがそんなことを考えていると、背後から声が掛かった。振り返れば、ノートパソコンを抱えた博がリビングに入ってくる。
「いや。休みの日だというのに、すまぬな」
「おじさん、よろしくね」
そう言うなり、ユウが姿勢を正した。タブレットを取り出してテーブルに置き、画面を開く。記録する準備は万全らしい。
マオはその手元を見た後、真剣な表情を浮かべるユウに視線を向けた。
(随分とやる気ではないか)
向かいのソファーに腰を下ろした博がノートパソコンを開く。
「マオ。ユウちゃんもダンジョン研究の話を聞きたいんだって」
「そうなの。社会の授業だけだとよくわからないから、自由研究のテーマにしようかと思って」
ユウはそう答えながら、早速タブレットを操作している。
自分と同じようにダンジョンに興味を持っていたことは少し意外だった。だが、マオにとっても都合はいい。
(色々質問しても、自由研究のためだと思ってもらえるかもしれないの)
「それで、二人は何が聞きたいんだい?」
「うむ。父上よ。まず、最初のダンジョンはいつ現れたのだ?」
マオは姿勢を正し、一番知りたかったことを口にした。
ここが重要だった。もし自分が転生した時期とまったく違うのであれば、少なくともマオが原因である可能性は低くなる。
(そうだ。我は何もしておらぬ。何もしておらぬはず)
「あれは、マオが生まれた日だね」
「…………」
マオが固まった。
(同じ日!?)
一気に嫌な方向へ話が傾いた気がする。だが、すぐに考え直した。まだ同じ日だったというだけだ。偶然という可能性は残されている。
(落ち着け、我。まだ何も決まっておらぬ)
「その日、渋谷の地下鉄構内に突然、門が現れたんだ」
「門とな?」
「そう。壁に現れた、簡素な装飾のある門だよ。ただ、その内側が普通じゃなかった」
博はノートパソコンから少し視線を上げ、言葉を選ぶように続けた。
「黒でもない。青でもない。赤でもない。いろんな色が混ざり合っているような、不思議な幕が門の内側に広がっていたらしい」
その説明を聞いた瞬間、マオの表情が消えた。
知っている。いや、知っているどころではない。
(それ……我のダンジョンの入口ではないか)
いくつもの色が混ざり合い、どの色とも言い表せない揺らめく幕。その向こうには、外とは異なる空間が広がっている。元の世界でダンジョンマスターの能力を使った際に作り出していた入口と、その特徴はあまりにも似ていた。
出現した日が同じだけなら、まだ偶然と考えられる。だが、入口の様式まで同じとなれば話は変わってくる。それでも、マオにはこの世界でダンジョンを作った覚えなどない。そもそも、今のマオは、ダンジョンマスターの力そのものを失っている。
(ならば、何故だ?)
頭に浮かんだのは、勇者だったユウを元の世界へ送り返した時のこと。魂の複製。そして、送還魔法。
本来なら、複製した魂を代償としてユウだけを送り返すはずだった。だが、結果は違った。ユウだけではなく、マオ自身まで消滅することなく、この世界に赤子として転生している。あの時、何か想定外のことが起きたのは間違いない。
もし、失われたダンジョンマスターの力まで、あの時に何らかの形でこの世界に渡ったのだとすれば――。
(まさか、我から失われた力が、この世界でダンジョンという形になっておるのか?)
何の証拠もない。ただの推測にすぎない。それでも、簡単に否定できなくなってきた。
マオは膝の上で、そっと手を握った。
(我……やっぱり何かやった?)
「昔はネット上に当時の映像も残ってたんだけど、今は一般には見られないかな」
「どうして?」
ユウが首を傾げる。
博は僅かに顔を曇らせ、言葉を止めた。
「……人が亡くなっているからだね」
先ほどまで穏やかだった声が、僅かに沈んだ。
ユウもその意味を察したらしい。タブレットを操作していた指を止め、それ以上は聞かなかった。
マオも口を閉じる。
学校の教科書には、東京の地下鉄に世界で最初のダンジョンが現れたとしか書かれていなかった。だが、人が行き交う地下鉄に、何の前触れもなく未知の門が現れたのだ。そこで何事も起きなかったはずがない。
ましてや――もし、本当に自分が関係しているのなら。胸の奥に、重いものが沈んでいく。だが、まだ何もわかっていない。ここで勝手に結論を出すべきではない。
「ふむ……。では、父上よ。今もダンジョンは増え続けておるのか?」
「増えているよ。最初のダンジョンが現れてから10年経った今でも、世界各地で新しいものが確認されている」
マオの眉が僅かに寄る。今も増え続けている。もし、自分の失ったダンジョンマスターの力が原因なのだとしたら、本人ですら使えない能力が、今も勝手に動き続けていることになる。
(わからぬ。まだ情報が足りんな)
「ただ、面白いのがダンジョンのできる場所なんだ」
「できる場所?」
ユウがすぐに反応し、タブレットに何かを書き込んだ。
「どういうことなの、おじさん?」
「これまで世界中で多くのダンジョンが確認されている。でも、不思議なことに紛争地帯や軍事施設では、今のところ一つも確認されていないんだ」
「一つも?」
「現在確認されている限りではね。もちろん、まだ発見されていないものや、国によっては情報を公表していない可能性もある」
博はそう言いながらノートパソコンを操作した。
「それと、もう一つ興味深いことがある」
博はノートパソコンの画面を、二人に見えるよう向けた。そこには、公表されている範囲で各国に確認されたダンジョンの数が並んでいた。その中でも、日本の数字だけが明らかに多い。
「世界で最も多くのダンジョンが集中している国。それが、ここ――日本なんだ」
「…………」
マオの動きが止まった。
日本。自分が生まれ、今暮らしている国。家族もユウもいる場所。
(いや。待て待て)
まだ決めつけてはいけない。そう思うのに、頭は勝手に答えを探し始めた。紛争地帯や軍事施設には現れず、日本に最も多く集中している。そこから、マオの中に一つの仮説が浮かぶ。もし、ダンジョンマスターの力が自分から切り離された後も、何らかの形で本人の性質を残しているのだとしたら。
(我は戦争が嫌いだ)
魔王国の方針も専守防衛。自ら他国に攻め込まず、攻めてきた者だけを退ける。だが、それだけでは軍事施設を避ける理由にはならない。元の世界では、マオ自身が兵士の訓練にダンジョンを利用していたからだ。
(ならば、何故軍事施設には現れぬ?我は訓練には使っておったぞ)
そして、日本に集中している理由もわからない。今の自分にとって、最も身近な国だからなのか。
(いやいや。我が日本におるから多いなど、流石に……)
自分で考えておきながら、不安になってくる。
(違うよな?)
できることなら、誰かに力強く否定してもらいたかった。
「じゃあ、ダンジョンがない国もあるの?」
「あるよ。というより、今のところはない国の方が多いね。ただ、ごめん。その辺りについては詳しく話せないんだ」
「そっか。残念」
ユウは少し肩を落としたものの、すぐにタブレットに書き込んでいく。
「まあ、機密もあろうからな」
「うん。ごめんね」
博が申し訳なさそうに笑う。
行政のダンジョン研究所で働いている以上、話してよいことと、そうでないことがある。そこを無理に聞き出すつもりは、マオにもない。何より、今のところは推測ばかり。まだ確信に至る材料はなかった。
「それで、ダンジョンではどんなものが採れるの?いろんな素材や資源が取れるって聞いたんだけど」
気持ちを切り替えたユウが、次の質問をする。
その横で、マオは僅かに目を細めた。少なくとも、元の世界で自分が作っていたダンジョンの基本的な仕組みについてなら、博よりマオの方が詳しい。何せ、ダンジョンマスターは元々マオの能力だった。
マオが作っていたダンジョンは、主に魔王国の者たちが力を鍛えるための場所。内部には様々な環境を用意でき、魔物も配置できる。弱い魔物から始まり、階層が深くなるほど強敵が増えていく。兵士たちは自分の実力に合った階層に入り、日々戦闘経験を積んでいた。もっとも、中には身の丈に合わない場所に勝手に挑む者もいたが。
(後で報告書を読む我の身にもなってほしかったぞ)
「今、一番注目されている資源の一つがクリスタルだね」
博が画面を切り替える。そこには、透明な結晶の中に細かな虹色の光が浮かぶ、不思議な物体が映っていた。
「社会の授業でも少しは習ってると思うけど、ダンジョンから持ち帰られる資源の中でも、特に研究が進められているものなんだ」
「そのクリスタルって、何に使うんですか?」
「代表的なのは発電だね。クリスタルから取り出したエネルギーを熱に変えて、発電に利用できないか研究が進んでいる。この辺りはニュースでも報道されてるよ」
「へぇ……」
「もちろん、他にも色々研究されてる。でも、ごめん。そこから先はまだ話せないんだ」
博が申し訳なさそうに笑う。
マオは複雑な気持ちで画面を見つめた。この世界で重要な資源として扱われている、クリスタル。その姿には、見覚えがある。
元の世界にもよく似たものが存在していた。魔素が濃く集まる場所で凝縮し、結晶となった魔素塊。魔族にとっては、消耗した力を補うために使うものだった。簡単に言えば――。
(こちらで言うところの携帯食。お弁当よな)
魔王だった頃には、マオ自身も何度となく口にしている。味らしい味はない。それでも、消耗した時に食べれば身体が楽になったものだ。
(懐かしいの。……その後、元気になった我にモロイが山ほど書類を持ってきたことまで思い出したが)
僅かに遠い目になる。
もっとも、目の前のクリスタルが元の世界の魔素塊とまったく同じものなのかは、マオにもまだわからない。見た目こそ似ている。だが、この世界の人間たちは、それを食べるのではなく、科学技術を用いて研究し、エネルギー資源として利用しようとしている。
(科学……やはり侮れぬ)
「そして、最近はモンスターから取れる素材も需要が高まってる」
博が次の資料を表示した。
「皮や牙、骨、それに肉だね。愛さんが扱っているようなダンジョン素材製の衣服もあるし、牙や骨も色々なものに加工されている。肉についても、食用として市場に出始めているよ」
マオの目が僅かに見開かれた。ダンジョンのモンスターを倒し、その身体を素材として利用する。今では一部が一般市場にも流れ始めているらしい。先日、愛から渡されたラッシュガードも、ダンジョン素材を使った製品の一つだった。
元の世界でマオが作っていたダンジョンでは、魔物は基本的に訓練用の相手として扱われていた。少なくともマオ自身には、倒した後の身体をここまで徹底して調べ、使えるものを探そうという発想はなかった。
だが、この世界の人間たちは違う。皮。牙。骨。肉。使える部分を調べ、加工方法を考え、さらに新しい用途まで見つけ出していく。
(これは人間が凄いのか。それとも、日本人が凄いのか……)
「お母さんにも聞いたんだけど、教えてくれなかったんです。そのダンジョン素材って、どうやって使えるようにしてるんですか?」
「ごめん。そこについても詳しくは話せないんだ」
ユウが少し残念そうな顔をする。
「話せないの?」
「うん。ダンジョンや、その関連技術には開示が制限されている情報も多いからね。ただ、ダンジョンハンターになれば、活動に必要なことはきちんと教えてもらえるよ」
「ダンジョンハンターかぁ……」
ユウが腕を組む。先ほどまで記録に使っていたタブレットを見つめながら、何かを考えているようだった。
その横顔を見て、マオは僅かに眉を寄せる。
(何故、そこでそんなに真剣な顔をしておる?)
妙な予感がした。
「ところで、食用って大丈夫なんですか?」
ユウが顔を上げた。
「大丈夫だよ。もちろん、きちんと検査をして、安全が確認されたものだけが市場に出ている。ただ、まだ供給量が少ないから、どうしても高級品になるけどね」
「高級品なんだ」
「今はね。ダンジョンハンターとして活動する人も増えてるから、いずれ供給量が増えれば、もう少し安くなるかもしれない」
「…………」
その説明を聞きながら、マオの表情が徐々に渋くなっていった。
(そのうち、我も食うことになるのか……モンスターを)
魔王だった頃には、考えもしなかった。
ダンジョンに入る。モンスターを倒す。皮を利用する。牙や骨を加工する。挙げ句の果てには、その肉まで食べる。
使えるものは余すところなく使う。この世界の人間たちの逞しさに、元魔王は静かに戦慄した。
(日本人……恐ろしい民族よな)




