第55話 我、文句なし!
セーフスポットを出て、少し歩いた先。
我らは、最深部に続く巨大な扉の前に立っておった。
先ほどは少し離れた場所から眺めていたが、近くで見ると、その大きさがよく分かる。
見上げなければ上端が見えぬほど高く、左右の石壁に食い込むように鎮座しておる。
ふむ。
デカいの。
「これ、どうやって入るのかな?」
「押せばよいのではないかの」
見たところ、取っ手も鍵穴もない。
ならば、押して開けるしかあるまい。
我は扉に両手をつき、ゆっくりと力を込めた。
…………。
うむ?
見た目に反して、随分と軽い。
僅かに押しただけで、巨大な扉が音を立てながら奥へ開いていく。
「簡単に開くの」
我は人一人が覗けるほどの隙間を作ると、そこから扉の向こうを窺った。
内部には、これまでの細い通路とは比べものにならぬほど広い石室が広がっておる。
松明の光に照らされた石造りの空間。
その中央に、一つの大きな影が佇んでおった。
さて。
中には何がおるのか……。
「ゾンビ?」
隣から覗き込んだユウが、小さく呟いた。
「うむ。だが、人型ではないの。あれは……カバかの」
腐りかけた分厚い皮膚。
大きく膨らんだ胴体。
床に根を張るような、太く短い四本の脚。
そして、我らの身体など容易に噛み砕けそうなほど巨大な口。
間違いない。
カバよな。
これは、我も初めて見る。
ゾンビ目の猛獣種。
授業で習った分類では、猛獣種の中でも中程度の脅威とされるモンスターだ。
人型のゾンビとは違い、身体そのものが大きく、力も強い。
特に厄介なのは、あの大きく開く口と、巨体を活かした突進。
まともに受ければ、人間など簡単に押し潰されるだろう。
しかし、カバか。
元の世界にはおらなんだ動物が、この世界のダンジョンではモンスターとして現れておる。
我、混乱。
授業で習った時から思っておったが、我のダンジョンマスターの力が、こちらでは別の能力に変わってしまった可能性もあるのか?
…………。
いや。
別物になったのではなく、この世界に存在する生き物を取り込み、こちら側に適応したのかもしれぬ。
まだ、何とも言えぬな。
今は、目の前の敵が先だ。
「ユウ。こ奴は、大きく開く口が厄介よ。我のシールドクローで隙を作る故、そなたが決めよ」
「わかった」
それだけで、我らには十分だった。
ユウは短く答えると、腰のセイヴェリアに手を掛けた。
その表情から、先ほどまでの軽さが消える。
「よし」
我も六枚のシールドクローを展開し、それぞれの位置を確かめた。
四枚は我の前方。
残る二枚は、ユウの左右に一枚ずつ。
では、挑もうかの。
我は巨大な扉に両手を当て、一気に押し開いた。
開け放たれた扉の向こうで、ゾンビカバが我らに顔を向ける。
次の瞬間。
太い四肢が石床を蹴り、巨体が真っ直ぐこちらに突っ込んできおった。
速い。
あの巨体からは想像できぬ速度よな。
まずは、その突進を止める。
「止めるぞ!」
我は四枚のシールドクローを、ゾンビカバの進路上に重ねるように展開した。
直後、巨体が真正面からシールドクローに激突する。
重い衝撃が魔力を通じて我に伝わった。
四枚の盾が僅かに押し込まれる。
同時に、行く手を阻まれたゾンビカバが前脚を石床に強く踏み込み、その足元から細かな亀裂が走った。
だが、止められぬほどではない。
我は押し返されるシールドクローに魔力を流し込み、突進を真正面から受け止めた。
少しずつ。
確実に、その勢いを殺していく。
やがて、ゾンビカバの巨体が動きを止めた。
今ぞ。
我は左胸のショルダーホルスターに手を伸ばし、魔王を抜いた。
同時に、突進を受け止めていた四枚のうち二枚を動かす。
左右から下顎の下に潜り込ませ、その巨大な口を一気に打ち上げた。
ゾンビカバの頭部が跳ね上がり、無防備な顎の下が露わになる。
我は片手で魔王を構え、浮き上がった頭部に照準を合わせた。
射線上に、ユウはおらぬ。
その先にも、守るべきものはない。
引き金を絞る。
魔王から放たれた弾丸は、ゾンビカバの顎下に突き刺さった。
下顎の骨を砕き、口腔を斜めに抜け、上顎の側面を抉って外へ突き抜ける。
巨体が衝撃に仰け反った。
だが――。
「吹き飛ばぬか」
弾丸は確かに頭部の一部を破壊した。
それでも、人型のゾンビを撃った時のように、頭部そのものを吹き飛ばすには至らぬ。
脳には当たらず、致命となる場所を外したようだな。
流石は猛獣種。
身体の大きさだけでなく、頭部そのものも人型とは比べものにならぬほど大きい。
だが、顎を撃ち抜かれても、ゾンビカバは倒れなかった。
おお!
腐りかけた口が、我の想像を遥かに超える大きさまで開かれていく。
上顎が大きく持ち上がり、下顎が石床に触れそうなほど下がった。
我らの身体など、容易に丸呑みにできそうな口よな。
そのまま、突進を止めているシールドクローに噛みつこうとしておる。
クローごと噛み砕き、破壊するつもりか。
しかし――。
「それを待っておった!」
我は引き金から指を外し、魔王を持つ手を下げると、六枚のシールドクローに意識を集中させた。
下顎を打ち上げた二枚を、そのまま左右へ回り込ませ、分厚い顎を強く挟み込む。
続いて、突進を受け止めていた残る二枚を上顎へ回した。
ゾンビカバが口を閉じるより早く、左右から食らいつかせる。
上下の顎を押さえた四枚のシールドクローに魔力を流し込み、巨大な口が閉じぬよう、その場に固定する。
ゾンビカバは頭を激しく振り、強引に口を閉じようとする。
だが、四枚のクローは離れぬ。
牙が噛み合うこともなく、巨大な口は開かれたまま。
更に、ユウの護衛につけていた残る二枚を呼び戻す。
狙うは、巨体を支えている左右の前脚。
二枚のシールドクローが低い位置から回り込み、それぞれの前脚に食らいついた。
太い脚を挟み込み、クローの内側に備えたソーを動かす。
回転する刃が腐肉を裂き、その奥にある太い骨へ食い込んだ。
そのまま、一気に破壊する。
支えを失ったゾンビカバの巨体が前方へ傾き、石床に腹を打ちつけた。
これで、すぐには動けぬ。
だが、それでよい。
「ユウ!」
「うん!」
我の声を受け、ユウが床を蹴った。
両手でセイヴェリアを握り、動きを封じられたゾンビカバへ一気に駆け込んでくる。
後は、首置いてけウーマンが、その首を刎ねてくれるわ。
「はぁぁぁぁぁっ!」
ユウがセイヴェリアを振るう。
一閃。
…………。
いや。
我が思い描いておった一閃とは違う。
ユウが狙ったのは、首ではなかった。
真正面から懐に滑り込み、大きく開いた口の奥に、セイヴェリアの刃を水平に差し込んだのだ。
そのまま刀身を深く食い込ませ、ゾンビカバの右脇を、地面すれすれの姿勢で一気に駆け抜ける。
勇者の膂力によって押し進められた刃が、口の奥から胴体の中心を通り、腐肉と骨を真横に断ちながら、尻まで一息に走り抜けた。
まるで、巨大な魚を一太刀でおろすかのような剣筋。
次の瞬間。
ゾンビカバの上半分が、下半分からゆっくりとずれた。
ずしりと重い音を響かせ、上下に分かれた二つの肉塊が石床に崩れ落ちる。
それきり、ゾンビカバは動かなくなった。
沈黙。
「よし!」
ユウがゾンビカバの背後で足を止め、セイヴェリアを振り抜いた姿勢のまま、満足そうに声を上げた。
「うむ……流石よな」
威力については、何も言うことはない。
巨大な口から入り、尻まで一太刀で斬り抜けるなど、普通の人間にできることではあるまい。
だが……。
首だけを狙ったのではないのだな。
…………。
うむ。
我が驚いておるのは、そこよ。
だが、まあよい。
首以外も狙えると分かったのだ。
今は、それでよしとしよう。
それにしても、あっさりと終わったの。
我はシールドクローをゾンビカバから離し、周囲に視線を巡らせた。
広い石室の中にあるのは、上下に斬り分けられたゾンビカバの亡骸だけ。
壁際や天井付近にも目を向けるが、他にモンスターが潜んでいる気配はない。
動くものも見当たらぬな。
我は魔王を左胸のホルスターに収めた。
「これで、しまいか」
「そうみたい」
ユウもセイヴェリアを構えたまま周囲を確かめ、それから僅かに肩の力を抜いた。
「お前ら、少しくらいは苦戦しろよ……」
後ろから、千葉先生の呆れたような声が聞こえてきた。
何ぞ?
そう言っておる割に、どこか嬉しそうではないか。
口元も、僅かに緩んでおるように見えるぞ。
我が不思議に思いながら見ていると、千葉先生は一度ゾンビカバの亡骸に視線を向け、それから我とユウを順番に見た。
「突進への対処も、その後の連携も問題なし。相手の動きを封じて、確実に仕留めた」
そこで千葉先生は、小さく頷く。
「よくやった。文句はない」
「やったぁ!」
「う~~む!」
ユウが満面の笑みを浮かべ、我も思わず胸を張った。
千葉先生が、我らの戦いを「文句はない」と認めてくれた。
我、嬉しい。
三年間、何度も注意され、失敗するたびに叩き込まれてきたことが、ようやく実戦でも形になったのだ。
無論、一般には中程度の脅威とされる相手とはいえ、力量では今の我らが大きく上回っておった。
苦戦するほどの相手ではなかったのだ。
それでも、我とユウの連携を認めてもらえたことに変わりはない。
「よし。先ほどのセーフスポットまで戻るぞ」
「はい!」
「うむ!」
我は六枚のシールドクローを周囲に戻し、ユウもセイヴェリアを構え直した。
戦いは終わった。
だが、ダンジョンから出るまでは探索の途中。
油断せず、まずはセーフスポットに戻るとしよう。




