第51話 我、学びを活かす
ユウは手にしていた長剣を、そのまま横に一振りした。
刀身に付着していた黒ずんだ血や肉片が勢いよく離れ、通路の壁にまとめて飛び散る。
だが、ユウが手にしている長剣には、先ほどまで付着していた汚れが残っておらぬ。
うむ。
流石、父上がユウのためにあつらえた長剣よな。
刀身の表面に汚れが残りにくいよう、何らかの加工が施されておるのだろう。
これならば戦闘のたびに、刃にこびりついた汚れを落とす手間も少なくて済む。
「さすが、私のセイヴェリア。汚れも残ってない」
ユウは満足そうに刀身を眺め、僅かに口元を緩めた。
「うぬ? セイヴェリアというのは、剣の名前かの?」
「うん。漫画で好きなキャラクターの名前。同じ女の子なのに大きな剣を振るって、すごく格好よかったから」
「なるほどの」
ユウらしい理由よな。
漫画を読んで気に入った名前を、己の剣につけたということか。
確かに、名をつければ一層愛着も湧くだろう。
だが、ユウよ。
その嬉しそうな顔を見る限り、剣を武器というより、大切な宝物のように思っておらぬか?
まあ、大事に扱うこと自体は悪くあるまい。
さて。
我のシールドクローも、このままにはしておけぬな。
内側のソーやクローの隙間には、先ほど切断したゾンビの肉片や黒い汚れがこびりついておる。
この状態で使い続けるのは、いくらなんでも不衛生。
何より、見た目がよろしくない。
我は汚れの付着した二枚を少し離れた位置に浮かせると、火力を絞り、収納部分に火が触れぬよう、クローとソーの表面だけに炎をまとわせた。
淡い炎が刃や爪の隙間をなぞり、付着していた肉片や黒い汚れを焼いていく。
やがて肉片は炭化し、細かな灰へ変わった。
炎を消して二枚を軽く揺らすと、灰の大半が石床に落ちる。
僅かに残ってはおるが、先ほどよりは随分とまし。
うむ。
綺麗になったな。
装甲には焦げ跡一つ残っておらず、クローの可動部分にも異常はない。
ソーも、我が意識を向ければ問題なく回転する。
父上たちが作り上げたシールドクロー。
その性能、実に素晴らしい。
「お前たち、のんびりしすぎだ。装備の手入れをするなら、周囲の確認を終えてからにしろ」
背後から、呆れを含んだ千葉先生の声が届いた。
…………。
しまった。
我、迂闊。
初めての戦闘を終えた安心感から、装備の手入れに意識を向けすぎておった。
千葉先生が先ほど言ったばかりではないか。
戦闘が終わった直後こそ、一番気を抜きやすいと。
汚れを落とすことは必要だが、周囲の安全を確認してから行うべきだったな。
「ユウ。進むぞ」
「うん。行こう、マオ」
ユウはセイヴェリアを構え直し、再び通路の先に視線を向けた。
我も六枚のシールドクローを定位置に戻す。
両腕に二枚。
残る四枚は、ユウと我の動きを妨げぬよう、少し広めに間隔を空けて周囲に配置。
うむ。
先ほど千葉先生から指摘されたことを、今度こそ意識せねばな。
我らは探索を再開した。
石床を踏む足音が、再び通路に響き始める。
先ほどの戦闘場所から離れてもしばらくは腐臭が鼻に残っていたが、進むにつれて少しずつ薄れていった。
だが、完全に消える前に、再び前方から腐臭が漂ってきた。
そこに、不規則な足音まで重なる。
何かを引きずる音。
喉の奥から漏れているような、低く濁った声。
またゾンビか。
「マオ。行くよ」
ユウは足を止め、セイヴェリアの柄を両手で握った。
「うむ。今度は合わせるぞ」
松明の光の中に、四体のゾンビが姿を現す。
先ほどの個体と同じく、衣服は破れ、肌は黒ずみ、身体の一部が腐り落ちておる。
四体は互いに距離を空けることもなく、我らに向かって通路を塞ぐように進んできた。
ユウが床を蹴る。
だが、先ほどのように一人で突出することはない。
我の位置を一度だけ横目で確認し、我と足並みを合わせながら距離を詰めていく。
我もユウの動きに合わせ、四枚のシールドクローを前方に送った。
ただし、先ほどより少し離れた位置。
ユウの左右に一枚ずつ。
残る二枚は我の近くに置き、どちらにも対応できるよう備える。
「マオ。まだ見えづらい!」
「うぬ。分かった」
右側に配置していたシールドクローが、まだユウの視界に入り込んでいたらしい。
我は即座に位置を調整し、ユウの右斜め後ろに下げる。
その間にも、ゾンビは我らに迫っておる。
だが、これほど動きが遅ければ、調整する時間は十分。
ユウが左側のゾンビとの間合いを一気に詰め、横薙ぎにセイヴェリアを振るった。
刃が首元に食い込み、そのまま頭部を切り飛ばす。
我も同時に、近くに残していた二枚を前に出した。
一枚ずつ別のゾンビに向かわせ、それぞれのクローを展開する。
二枚のシールドクローが、それぞれ左右の爪でゾンビの首を挟み込んだ。
内側のソーを回転させると、腐敗した肉が切り裂かれ、二つの頭部がほぼ同時に石床に落ちる。
残る一体が両腕を伸ばし、ユウの背後から掴みかかろうとした。
「ユウ。後ろぞ」
「分かってる!」
ユウは振り返ることなく、一歩だけ横にずれた。
伸ばされた腕が空を掴む。
ユウが身体を回す気配を察し、我は右斜め後ろに置いていたシールドクローを僅かに持ち上げる。
その直後、ユウは身体を回転させ、勢いを乗せたセイヴェリアをゾンビの首に叩き込んだ。
一閃。
首が身体から離れ、残された胴体がその場に崩れ落ちる。
うむ。
今度は我とユウ、ほぼ同時。
敵の数も少なかったとはいえ、先ほどより互いの位置を意識して動けたのではないか?
我は周囲に別の敵がいないことを確かめてから、ユウの援護に回していた二枚を、先ほど調整した位置に戻した。
「ユウ。この位置でも、まだ視界に入るか?」
「うん。少しだけだけど、右側が塞がれちゃうかな」
「ふむ」
先ほどより距離は空けた。
それでも、ユウが身体を右に向けた時には、シールドクローの端が視界に入り込んでしまうらしい。
難しいものよ。
離しすぎれば、敵の攻撃に割り込ませるまでに時間がかかる。
近づけすぎれば、今度はユウの視界を妨げてしまう。
守るだけなら簡単だと思っておったが、動き続ける相手を援護するとなれば、随分と勝手が違うな。
まずは、ユウの視界を塞がぬ位置を探す。
剣の動きについては、実際の剣筋を見ながら覚えていくしかあるまい。
だが、これも経験。
今はまだ、動きの遅いゾンビが相手。
この程度の敵と戦っているうちに、ユウが見やすく、我も動かしやすい位置を見つけておくべきだろう。
「ならば、次はもう少し高く、肩の斜め後ろに置いてみよう。それならどうだ?」
「多分、それなら大丈夫。でも、近すぎたら言うね」
「うむ。頼むぞ」
先ほど千葉先生から注意されたことを、ユウも覚えておるようだな。
黙って我が気づくのを待つのではなく、見えづらければその場で伝える。
我もユウの声を聞き、即座に位置を変える。
その繰り返しで、我らに合った戦い方を見つければよい。
倒したゾンビが完全に動かなくなったことを確認し、我らは再び奥へ進んだ。
通路はしばらく真っ直ぐに続いていたが、やがて前方で二つに分かれておる。
右。
左。
どちらの通路も石造りで、奥は松明の光が届かず、暗闇に包まれていた。
臭いも音も、今のところ大きな違いはない。
さて。
どちらに進むべきかの。
スマートウォッチに表示された地図を確認しても、我らがまだ歩いていない場所は当然ながら表示されておらぬ。
まずは、どちらかを選ぶしかないようだな。
「こうしよう」
ユウが何やら思いついたように声を上げた。
うぬ?
何をするつもりだ?
ユウはセイヴェリアを鞘に収めると、剣を鞘ごと腰から外した。
…………。
ユウよ。
何故、剣を鞘ごと腰から外しておる?
敵の気配でも感じたのかと思ったが、そのような様子ではない。
ユウは鞘に収めたセイヴェリアを立て、その鞘先を石床につけた。
倒れぬよう柄を指先で支えながら、右と左の通路を見比べておる。
まさか。
「いくよ」
ユウが柄から指を離した。
支えを失ったセイヴェリアが僅かに揺れ、鞘ごと石床に硬い音を立てて倒れる。
倒れたセイヴェリアの柄頭が示したのは――右の通路。
「右に行こう」
「本気か?」
「うん」
自信に満ちた顔で頷いておる。
だが、今の判断に根拠など一つもなかったよな?
剣が倒れた方向。
ただ、それだけ。
我、元魔王。
かつては国を治め、軍を動かし、何度も重要な判断を下してきた。
その我が今、剣が倒れた方向を進もうとしておる。
…………。
まあ、ユウが右に行くというのなら、進んでみるかの。
どちらにも明確な違いがない以上、迷い続けても仕方あるまい。
「分かった。右だな」
「うん。セイヴェリアが決めたから間違いないよ」
剣に責任を押しつけるでない。
ユウは石床に倒れたセイヴェリアを拾い上げ、鞘ごと腰に固定し直した。
何やら背後から、千葉先生の深いため息が聞こえた。
恐らく、我と同じく呆れておるのだろう。
だが。
振り返らずにおこう。
何も見なかったことにして、我らは右の通路に足を踏み入れた。
道中、再び数体のゾンビに遭遇したが、先ほどと同じ相手。
すでに動きも弱点も分かっておる。
ユウが前へ出てセイヴェリアで首を落とし、我は左右から回り込もうとした個体をシールドクローで仕留める。
互いの動きを確認しながら戦ったこともあり、今度は危なげなく切り抜けることができた。
最後の一体が石床に倒れ、完全に動かなくなったことを確認すると、ユウが我の周囲に浮かぶシールドクローに視線を向けた。
「マオ。シールドは今の位置でいいと思うけど、もしかしたら剣が当たるかも」
「まだ近いかの?」
「視界は大丈夫。でも、後ろまで大きく振り抜いた時に当たりそう」
「ふむ」
ユウの視界を塞がぬよう、先ほどより高く、斜め後ろに配置してみた。
その位置なら、正面や左右を見る邪魔にはならぬらしい。
だが、それだけでは足りぬ。
今度はセイヴェリアを大きく振り抜いた際、シールドクローが剣の軌道に入り込む可能性がある。
ユウがどの方向から剣を振り、どこまで振り抜くのか。
盾を置くならば、その剣筋まで覚えねばならぬのだな。
「これも練習あるのみよ。ユウの剣筋を覚えながら、我も位置を調整していこう」
「うん。私も大きく振る時には言うようにする」
「頼むぞ」
最初から完璧な位置を見つけられるとは限らぬ。
戦いながら互いの動きを覚え、その度に修正していけばよいのだろう。
これも経験よな。
我らは再び通路を進んだ。
やがて前方の石壁が途切れ、新たな分かれ道が姿を現す。
一方は、そのまま真っ直ぐ。
もう一方は、右へ曲がって奥に続いておる。
どちらの通路にも松明が並び、その先は薄暗い。
音も臭いも、今のところ違いは感じられぬな。
さて。
今度は、どちらに進むかの。
「ではでは~」
ユウが楽しげに、腰のセイヴェリアに手を伸ばした。
…………。
また剣を立てて、倒れた方向に進むつもりか?
「ユウ。少し待つがよい」
我が止めると、ユウは柄に手を掛けたまま首を傾げた。
「どうしたの?」
「今度はセイヴェリアに任せる前に、一度周囲を確認しておこう」
「セイヴェリアなら、きっと正しい道を選んでくれるよ」
「剣が道を知っておるはずなかろう」
そもそも、先ほど右を選んだことが正解だったのかすら、まだ分かっておらぬ。
行き止まりではなかっただけで、遠回りをしている可能性もあるからな。
我は二つの通路の前に立ち、周囲を見回した。
床。
壁。
天井。
何か目印となるものはないか。
モンスターの足跡。
武器でつけられた傷。
誰かが通った痕跡。
罠を隠した不自然な継ぎ目。
授業で教えられたことを一つずつ思い出しながら、目に入るものを確かめていく。
う~~む。
床には足跡らしきものは見当たらぬ。
壁や天井にも、すぐに分かるような違いはない。
どちらも同じ道に見えるが……。
うぬ?
我は、真っ直ぐに続く通路の松明に目を留めた。
炎の先端が、僅かにこちら側へ傾いておる。
一つだけではない。
通路の奥に並んでいる幾つかの松明も、同じ方向へ傾いていた。
炎から昇る細い煙も、真上には上がらず、通路の奥からこちらに向かって流れておる。
対して、右の通路はどうだ?
こちらの炎も燃えながら僅かに揺れてはいる。
だが、煙はほぼ真上に昇っており、一定の方向には流れていない。
これは――。
確か、授業で習ったの。
閉ざされた石造りの通路では、行き止まりに近づくほど空気が滞りやすい。
反対に、奥が広い空間や別の通路、通気口や縦穴に繋がっていれば、僅かに空気が流れる場合がある。
無論、風があるからといって、必ず最深部に続くわけではない。
別の部屋や縦穴に繋がっているだけという可能性もある。
それでも、何も手掛かりがない今、剣を倒して決めるよりは余程ましよな。
「ユウ。あれが見えるかの?」
我は真っ直ぐに続く通路の松明を指差した。
「松明だね。少し揺れてる」
「炎だけではない。煙を見るがよい」
「煙?」
ユウが目を細め、松明の上に視線を向けた。
「真っ直ぐな道の煙は、こっちに流れておるだろう?」
「うん。少しだけだけど、流れてるね」
「では、右の方は?」
ユウが右の通路に顔を向ける。
こちらの松明も炎は揺れているが、細い煙はほとんど真上に昇っておる。
ユウは二つの通路を何度か見比べた後、何かに気づいたように目を見開いた。
「あっ。右は煙が上に昇ってるだけだ」
「うむ。真っ直ぐな道の奥からは、こちらに向かって空気が流れてきておる」
「じゃあ、真っ直ぐな方が先に続いてるの?」
「少なくとも、右よりは行き止まりである可能性が低い。広い場所か、さらに先に続く通路があるのだろう」
最深部に続いているとまでは断定できぬ。
だが、今ある手掛かりを基に考えるなら、真っ直ぐ進む方がよいはず。
「ユウ。真っ直ぐ進むぞ」
「うん」
ユウはセイヴェリアの柄から手を離した。
今度は剣の倒れた方向ではない。
周囲を観察し、見つけた手掛かりを基に選んだ道。
我らは互いに頷き、真っ直ぐに続く通路に足を向けた。
その時。
背後から、小さく息を吐く音が聞こえた。
…………。
今、千葉先生が安堵したように息を吐いたの。
だが、選んだ道が正しいからとは限らぬ。
先ほどのように剣に判断を任せず、我らが周囲を確認し、根拠を持って道を選んだことに安堵したのかもしれんな。
しかし。
この見分け方は、授業できちんと習っておったはず。
それなのに、実際に分かれ道に立った時には、すぐ思い出すことができなかった。
知識として覚えているだけでは足りぬ。
必要な時に思い出し、目の前の状況と結びつけてこそ、初めて役に立つということか。
我、情けなし。
剣を倒して道を決めようとしたユウを、あまり笑えぬの。




