第40話 我、雨の日を楽しむ
【お休みのお知らせ】
来週の更新はお休みさせていただきます。
更新は8月3日より再開いたします。
ご不便をおかけして申し訳ございませんが、再開までお待ちいただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。
六月に入り、湿り気を帯びた日が続いておる。
窓の外では朝から雨が降り続き、空を覆う雲も厚い。
雨そのものが嫌いなわけではない。
だが、湿気で床はべたつくし、髪はまとまりにくい。それに、外へ出るたび傘を差さなければならぬのも面倒よな。
そして、今日は日曜日。
学校も休み。
我、のんびり。
このような日は無理に外へ出ず、部屋に籠もるのもありよ。
我はベッドに腰を下ろし、壁に背中を預けながら、ユウと並んでアニメを見ておった。
机の上には菓子と飲み物。
窓を叩く雨音を聞きながら、暖かい部屋で物語を楽しむ。
うむ。
実に贅沢な休日よな。
画面の中では、勇者たちが魔王城に攻め込み、魔王の配下と戦っておる。
しかし、漫画もアニメもそうだが――。
どうして魔王は、毎回のように敵なのだろうな。
我、悲しい。
魔王だからといって、皆が皆、人類を滅ぼそうとしているわけではないぞ。
我など、むしろ戦争を避けるために苦労しておったというのに。
…………。
まあ。
画面に映る魔王は、何の理由もなく隣国へ攻め入り、民から重い税を取り立て、気に入らぬ部下を平然と処刑しておる。
あのような政治をしていれば、勇者が討伐に来るのも当然か。
我でも止めに入るかもしれぬな。
「マオ。何でこいつ、あの攻撃で死なないの?」
ユウが画面の中で吹き飛ばされた男を指差した。
建物の壁を突き破るほどの攻撃を受けたというのに、その男は服の埃を払いながら立ち上がっておる。
確かに。
あれは普通ならば死んでおるな。
「嫌みな奴だが、仕方あるまい。こ奴がおらぬと物語が進まぬからの」
「でも、さっきから味方の邪魔しかしてないよ?」
「うむ。そこも含めて必要なのであろう」
我は何故、こ奴を庇っておるのだろうな。
理由はわかっておる。
少しだけ。
本当に、少しだけだが。
モロイに似ておるのだ。
口を開けば主人公に小言を浴びせ、余計な仕事を増やし、それでいて肝心なところでは的確に助言する。
嫌みなところも、実にそっくりよな。
…………。
いや。
本当に多少ぞ。
モロイの方が、もっと遠慮なく我に小言を言ってきおったからな。
あの男と同じにされては、モロイも不満であろう。
その時、机に置いていた我のスマホから、短い電子音が鳴った。
むう。
良いところだったというのに。
我は画面から渋々視線を外し、スマホを手に取った。
さて、何ぞ?
『魔王様。そろそろ予定の時間です。早く動きましょう。でないと遅れます』
…………。
AIモロイめ。
相変わらず、我を監視しておるような言い方をしよる。
もっと普通に知らせることはできぬのか。
いや。
このような話し方に設定したのは我であったな。
予定の時間になったら知らせるよう頼んだのも我。
ならば、文句を言うのは筋違いか。
しかし、声や口調を似せたところで、これは本物のモロイではない。
今頃、あ奴は元の世界で何をしておるのだろうな。
…………。
元の世界に残った我よ。
戸棚に隠した菓子や茶葉は、こまめに場所を変えておけよ。
まあ、今はよい。
「ユウ。時間ぞ」
「え~~。まだ見ていたいのに」
ユウはベッドの上で身体を丸め、名残惜しそうに画面を見つめておる。
「ならば、ここにおるか?」
「行く」
返事が早い。
ならば、初めから文句を言うでない。
我はアニメを停止し、菓子やジュースを片付けてから、外出用の服に着替えた。
多少雨に濡れても困らぬよう、乾きやすい薄手の上着を羽織る。
長い髪も邪魔にならぬよう一つにまとめ、必要な物を鞄に入れた。
財布。
スマホ。
ハンカチ。
うむ。
準備万端。
鞄を手に取ると、ユウがどこか不満そうな顔をしておる。
「そんなに楽しみなの?」
部屋を出ようとする我を見ながら、不思議そうに尋ねてきた。
「ユウは違うのか?」
「う~~ん。この雨じゃなかったらね」
そう言うでない。
雨だからこそ、見られる景色もあるのだぞ。
晴れた日と同じ場所であっても、雨粒に濡れることで色は深まり、まるで別の姿に見えることもある。
我らは部屋を出て階段を下り、玄関に向かった。
我は鞄を肩に掛けると、傘立てから長傘を手に取る。
「ほれ、ユウ。たまには我に付き合うがよい」
「はーい」
ユウの返事には、まだ僅かに不満が混じっておる。
だが、行かぬとは言わぬのだな。
我は玄関の扉を開け、傘を広げて雨の中に足を踏み出した。
隣に並んだユウも傘を開く。
雨が布地を細かく打ち、傘の上から絶え間なく音が降ってくる。
道の端には浅い水たまりがいくつもでき、通り過ぎる車のタイヤが細かな水しぶきを散らしておった。
駅に着いた我らは改札を通り、電車に乗り込んだ。
休日とはいえ、この雨だ。
車内に人はそれほど多くない。
我とユウは窓際の席に並んで腰を下ろした。
発車すると、窓を伝う雨粒の向こうで、街並みがゆっくりと流れ始める。
「ユウ。外を見るのだ」
「外?」
「そろそろ見えてくるぞ」
しばらく待っていると、線路沿いに咲くアジサイが姿を現した。
青。
紫。
淡い桃色。
雨に濡れた花は色を深め、重なった花びらには小さな水滴が幾つも残っておる。
窓越しであっても、その美しさは十分に伝わってきた。
我、感動。
「うむ。何とも美しい」
晴れた日とは違う。
雨に濡れ、薄暗い景色の中でこそ、アジサイの色が鮮やかに浮かび上がって見える。
これを見るために、わざわざ雨の日を選んだのだ。
「……そうだけど」
ユウが我と窓の外を交互に見ておる。
その顔。
『これを見るためだけに、わざわざ電車に乗ってきたの?』
とでも言いたげよな。
安心せよ。
本当の目的地は、まだこの先ぞ。
「ここで降りるぞ」
「はーい」
我らは目的の駅で電車を降り、再び傘を開いて歩き始めた。
雨脚は先ほどよりも少し弱くなっておる。
それでも空気は湿り、歩くたび、靴底が濡れた路面を捉える感触が伝わってきた。
駅から少し離れた通りを進み、我は一軒の喫茶店の前で足を止める。
古びた木製の扉。
雨に濡れた深い色の外壁。
窓から漏れる暖かな光。
看板には落ち着いた文字で店名が書かれており、通りの喧騒から少しだけ切り離されているように見える。
我、入店。
扉を開くと、外の湿った空気に代わり、甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
店内には木製の机と椅子が並び、壁際には古そうな時計や飾り皿が置かれておる。
流れている音楽も穏やかで、雨の日に実によく合う雰囲気よな。
「何か、雰囲気のあるお店だね」
ユウも店内を見回し、少し興味を持ったようだな。
ふふふ。
だが、驚くのはまだ早いぞ。
我らは入口の傘立てに濡れた傘を入れると、窓際の席へ案内された。
腰を下ろしてから、店員から渡されたメニューをユウの前に置く。
「ふふっ。ユウよ。このメニューを見れば、おぬしが我を褒めたたえることは間違いないぞ」
「そんなに?」
「うむ。我、確信」
何せ、ここには――。
「うわぁ! プリンアラモード! すごい!」
ユウの表情が一瞬で明るくなった。
写真には、大きなガラスの器に盛られたプリンと果物。
その隣には、クリームをたっぷりと添えた、厚みのあるパンケーキまで載っておる。
「それに、このパンケーキ! すごくふわふわしてそう!」
「ふっ。見事であろう」
予想どおりの反応よな。
我、満足。
雨の中を付き合わせたのだ。
これくらいの礼はしてもよかろう。
「付き合ってくれた礼よ。ここは我が奢る。好きなものを頼むがよい」
「いいの!?」
「無論ぞ」
「じゃあ……プリンアラモードと、パンケーキ。それから、この季節限定のパフェも気になるし……」
…………。
待て。
ユウよ。
一つ選ぶのではないのか?
「飲み物も頼んでいい?」
「う、うむ。好きにせよ」
我は魔王。
一度口にした言葉を、簡単に取り消すわけにはいかぬ。
たとえ、ユウが想像以上に注文したとしてもだ。
そして、しばらくして。
我らの机には、色とりどりの甘味が並んでおった。
艶のあるプリンと、鮮やかな果物。
柔らかそうに重なったパンケーキには、蜜がゆっくりと流れ、添えられたクリームも少しずつ形を変えておる。
さらに、その隣には、季節の果物を何層にも重ねた大きなパフェ。
…………。
ユウよ。
本当に、すべて頼んだのだな。
雨に濡れたアジサイも美しかったが、目の前の光景も負けてはおらぬ。
「マオ、これ美味しい!」
「うむ。こちらのプリンも中々ぞ」
匙を入れると、プリンは僅かに揺れた。
口に運べば、卵の濃い味とほろ苦いソースが広がっていく。
うむ。
美味い。
続いて、ユウが切り分けたパンケーキを一口もらう。
軽い。
だが、噛めばしっかりと甘みが広がる。
これは見た目だけではないな。
実に見事。
「マオ、来てよかったね」
「うむ。AIモロイに探させた甲斐があった」
雨の日に美しい景色を眺められ、その近くで美味い甘味まで食べられる店。
我が伝えた条件に見事に合っておる。
さすがAIモロイよ。
褒めてつかわす。
窓の外では、変わらず雨が降っておる。
ガラスを伝う水滴の向こうに、濡れた街並みがぼんやりと見えた。
目の前には、嬉しそうに甘味を頬張るユウ。
電車の窓から見た、美しいアジサイ。
そして何より、甘くて美味いプリンアラモードに、柔らかなパンケーキ。
我、超満足。
…………。
だが。
会計の際、我は少しだけ後悔した。
ユウ。
おぬし、少し頼みすぎではないか?
いや。
笑顔で食べておったから、よいのだがな。
よいのだが――。
我の財布は、随分と軽くなってしまったぞ!




