第37話 我、好敵手と勝負
我とユウが千葉先生に手も足も出なかった、その翌日。
我ら二人は、母上と千葉先生と共に、とある出版社の編集部を訪れておった。
理由は簡単ぞ。
母上が企画していた新しい漫画の連載が、正式に決まったのだ。
とはいえ、実際に連載が始まるのは、まだまだ先らしいがな。
今日は、その新作漫画について編集担当者と打ち合わせを行うことになっておる。
我とユウは母上についてきただけだが、千葉先生は監修者として、編集担当者との顔合わせに参加することになっておる。
我とユウは幼い頃から何度か母上について来ておるため、この編集部には顔見知りも多い。
我らの姿に気づき、笑顔で手を振ってくれる者。
忙しそうに書類を抱えたまま、軽く頭を下げる者。
机に積まれた原稿と向き合い、我らが来たことにすら気づかぬ者。
実に様々よな。
…………。
何人かは、目から光が消えておるが。
大丈夫かの?
締め切りという魔物と戦っておる最中なのだろうか。
「細崎先生。本当に俺まで来てよかったんですか?」
千葉先生は、少し居心地が悪そうに周囲を見回しておる。
普段は教師やS級ハンターとして堂々としている千葉先生だが、出版社という慣れぬ場所では勝手が違うらしいな。
「千葉先生。気になさらないでください。きちんと編集部の許可は取っていますから。それに、今日は監修をお願いする方として、編集担当者との顔合わせもありますし」
母上は慣れた様子で答えた。
流石、長年この場所へ通っておるだけのことはある。
周囲がどれほど慌ただしくとも、まったく動じておらぬ。
「うむ。我も何度も来ておるぞ」
「私も。他の漫画家さんとも、よく話してたし」
ユウが得意げに胸を張る。
…………。
ユウよ。
おぬしは気づいておらぬかもしれぬが、その漫画家。
少し前まで、小学校を題材にした漫画を描いておったぞ。
おぬしと話していたのも、単に子供好きだったからではあるまい。
恐らく、取材の意味もあったのだろうな。
本人が楽しそうだったから、我も黙っておったが。
「いや~~。何というか、すごいところですね」
千葉先生は編集部を見回しながら、素直な感想を漏らした。
机。
棚。
段ボール。
大量の紙。
作業用の端末。
壁には様々な作品のポスターや、発売予定を示す紙まで貼られておる。
人も絶えず行き交い、遠くからは電話の声や紙をめくる音が聞こえてくる。
静かなようで、どこか落ち着かぬ。
まるで、戦場の司令室のようよな。
「これでも、数年前よりは随分とすっきりしているんですよ」
母上が苦笑しながら答えた。
…………。
これで?
我が幼い頃に来た時は、さらに物が多かったということか。
確かに、以前は床にまで資料や段ボールが積まれ、歩く場所を探す必要があった気もするな。
うむ。
少しは進歩しておるらしい。
そんな他愛のない会話をしていると、編集部の奥から一人の人物が近づいてきた。
頭には見慣れたベレー帽。
片手には、分厚い原稿の束。
そして我とユウを見つけた途端、面白い獲物でも見つけたかのように目を輝かせておる。
母上について編集部へ来るたび、何かと我らに絡んでくる人物。
否。
会うたびに新しい原稿を持ち出し、勝負を挑んでくる漫画家。
島元先生だ。
「細崎先生、お久しぶりです。それに……」
島元先生の視線が、我とユウに止まる。
「ふっ。久しいの、島元先生よ」
「こんにちは」
「今日もいい喋り方だね。それに、ユウちゃんも元気そうで何よりだ」
そう。
この島元先生。
初めて会った時、我の喋り方を不思議がることなく、むしろ格好よいと褒めてくれた稀有な人物なのだ。
幼い我に向かって、随分と目を輝かせておったよな。
その時から、我の中での評価はかなり良い。
…………。
ただし。
会うたびに自分の描いた漫画の原稿を持ち出し、我らに勝負を挑んでくるのはどうかと思うがの。
最初の頃は、我らに感想を聞きたいだけなのかと思っておった。
だが、何度か会ううちに理解した。
この御仁。
本気で我らと勝負しておる。
我とユウが面白いと言えば勝ち誇り、少しでも首を傾げれば、何処が悪いのかと食い下がってくる。
そして次に会う時には、必ず新しい原稿を持ち出し、我らへ勝負を挑んでくるのだ。
何とも負けず嫌いな漫画家よな。
「ちょうどいいところに来た!」
島元先生は手にしていた原稿を高く掲げた。
「新しい原稿だ! 見てくれ! 勝負だ!」
ふっ。
やはり来たか。
我は胸の前で腕を組み、不敵に笑う。
「望むところよ」
漫画を愛する者からの挑戦。
受けぬ理由などない。
「ダメ出ししてあげるね」
「かかってこい!」
島元先生も負けじと声を張り、手にしていた原稿を我らに差し出した。
ならば、いざ勝負。
我とユウは原稿を受け取り、近くにあった椅子に腰を下ろすと、机の上に広げた。
我は表紙に視線を落とすと、慣れた手つきで一枚目をめくる。
ふむ。
最初の数ページで、続きを読みたいと思えるか。
人物が何を感じているのか、表情から伝わってくるか。
台詞を読んだ時に、何処か引っかかるところはないか。
そして、物語の勢いが途中で途切れておらぬか。
我とユウは、これまで何度も島元先生の原稿を読ませてもらってきた。
今では、以前よりも見るべきところが少しずつわかるようになっておる。
…………。
くっ。
今回も魂がこもっておるの。
一コマごとに感じられる、島元先生特有の勢い。
少しばかり線が荒く見える部分もあるが、それすら作品の熱へ変わっておる。
何より、この御仁にしか描けぬ独特の癖。
これが、たまらん。
悔しいが、面白いではないか。
「ところで、細崎先生」
我らが原稿を読み進めていると、島元先生がふと母上に声をかけた。
「こちらの方は?」
どうやら、先ほどから母上の隣に立っている千葉先生が気になっていたらしい。
「あっ、そうでした。まだご紹介していませんでしたね」
母上は我らの近くに立つ千葉先生へ顔を向けた。
「こちらは、娘たちの担任をしてくださっている千葉先生です。それと、連載開始はまだ先ですが、今回の新作漫画でも監修をお願いしています」
「初めまして。千葉茂雄です」
千葉先生は、普段我らに見せている少し気だるげな態度を引っ込め、島元先生に軽く頭を下げた。
「ダンジョンハンターをしながら、この子たちの担任をしています」
「ダンジョンハンターの方でしたか」
島元先生が興味深そうに千葉先生を見る。
うむ。
目に炎が見えるぞ。
それに対し、千葉先生は何やら島元先生の顔を確かめるように見つめた。
「あの、もしかしてですが……『炎シリーズ』の島元先生ですか?」
む?
千葉先生。
知っておるのか?
「そうだよ」
島元先生は少し照れたように笑い、ベレー帽の位置を直した。
「有名ってほどじゃないけど、それを描いている島元です」
謙遜しておるな。
恐らく、千葉先生は以前、雑誌か単行本で島元先生の顔を見たことがあるのだろう。
それにしても。
母上の漫画だけでなく、島元先生の作品まで知っておるとは。
千葉先生。
思っていた以上に、漫画を読んでおるのだな。
「そうだ。よかったら、僕の原稿も見ていってよ。ぜひ意見を聞かせてほしいな」
この島元先生の凄いところは、決して妥協しないことだ。
我らが子供だからといって、適当に感想を聞き流したりはせぬ。
どのような言葉であろうと、まずはしっかりと受け止め、その意味をきちんと考える。
納得できれば取り入れ、違うと思えば己の考えを返してくる。
流石よな。
「そうしたいのはやまやまですが、流石に素人の俺が原稿に意見するのは申し訳ないですよ」
千葉先生は興味を惹かれているようだが、恐れ多いとでも言いたげに僅かに身を引いた。
「島元先生。申し訳ないのですが、千葉先生にはこの後、編集担当の方との顔合わせがありますので、原稿を見ていただくのは打ち合わせが終わってからでもよろしいですか?」
母上が申し訳なさそうに告げると、島元先生は少しだけ残念そうな顔をした。
だが、すぐに力強く頷く。
「なら、待とう。その間、マオちゃんとユウちゃんに僕の原稿を見てもらうよ」
「二人とも、島元先生のお仕事を邪魔しないようにね」
「うむ」
「はーい」
島元先生は満足そうに頷くと、千葉先生を真っ直ぐに指差した。
「千葉君。後で勝負だ!」
うむ。
実に熱いお方よ。
「勝負って、何をするんですか……」
困惑する千葉先生は母上に案内され、編集部の奥にある打ち合わせスペースに向かった。
残された我とユウは、そのまま島元先生の原稿を読み進めていく。
一枚。
また一枚。
読み進めるたび、紙の上に込められた熱が伝わってくる。
「ねえ、島元先生」
ユウが一枚の原稿を見つめたまま、首を傾げた。
「この子、前はもっと細くなかった?」
「あっ、気づくか」
島元先生の肩が僅かに揺れた。
「どう? 可愛くない?」
「う~~ん……」
ユウは誤魔化すことなく、改めて描かれた人物をじっくりと見つめる。
「ちょっと太ったかなって思う」
その言葉を聞いた瞬間、島元先生は悔しそうに顔を歪め、原稿を置いた机を軽く叩いた。
…………。
その反応。
恐らく、担当編集者にも同じところを指摘されたのであろうな。
島元先生。
心当たりがありすぎる顔をしておるぞ。
「でも、この場面の意味は、わかりそうでよくわからない」
ユウは次の原稿に視線を移し、少し考えるように眉を寄せた。
「だけど、何を伝えたいのかは何となくわかるし、気持ちも伝わってくる。私は好きだよ」
「そうか!」
先ほどまで悔しそうにしていた島元先生の表情が、一気に明るくなった。
「ユウちゃんも、わかってくれるか!」
うむ。
立ち直るのが早い。
だが、その嬉しそうな顔を見る限り、ユウの言葉は島元先生が最も伝えたかったところに届いたようだな。
その後。
もちろん千葉先生も、島元先生の原稿を見ることになった。
編集担当者との顔合わせを終えて戻ってきた母上と千葉先生は、先ほどよりも少し表情が和らいでおる。
どうやら、打ち合わせは無事に終わったようだな。
だが、千葉先生が息をつく暇はなかった。
戻ってくるなり島元先生に捕まり、半ば強引に原稿を手渡されてしまったのだ。
「これが、生原稿……」
千葉先生は原稿を前にして、僅かに手を震わせておる。
…………。
昨日、我とユウの攻撃を平然とかわしておった男と、同一人物とは思えぬな。
S級ハンターをここまで緊張させるとは。
生原稿というものは、それほど凄まじい力を秘めておるのか。
我、少し面白い。
それだけではない。
千葉先生は原稿を読み終えると、鞄から持参した色紙を取り出し、ちゃっかり島元先生のサインまで貰っておった。
出版社へ来ると聞いた時から、機会があれば誰かに頼むつもりで用意しておったのであろうな。
さらに、二人で並んで写真まで撮っておる。
先ほどまで「素人が意見するのは申し訳ない」と遠慮しておったというのに、欲しいものはしっかり手に入れておるではないか。
中々にしたたかよな。
ちなみに。
今回、我から指摘するところは一つもなかった。
悔しいが、文句なし。
島元先生の原稿は、それほど見事な出来だったのだ。
「ふふっ! マオちゃんには勝ったな!」
島元先生は我の沈黙を勝利と受け取ったらしく、実に満足そうに胸を張った。
…………。
我が何も言わなかったことまで、きちんと勝敗に数えるのか。
相変わらず、勝負へのこだわりが強いお方よ。




