第36話 我、学びの大切さを知らされる
シャワーを浴び終えた我とユウは、備えつけのドライヤーで髪を乾かし、持ってきた服に着替えた。
汗に濡れた測定着から解放され、ようやく人心地ついた気分よな。
我は身支度を整え、ユウと共に更衣室を出た。
すると、廊下には父上と千葉先生が待っておった。
父上は先ほどまでと変わらぬ作業着姿。
一方の千葉先生は、すでに私服に着替え、鞄を片方の肩に掛けておる。
どうやら、我らがシャワーを浴びている間に着替えを済ませたらしい。
こうして改めて見ると、なかなか格好よいの。
細身のシャツに、黒いスラックス。
その上から、少し丈の長いジャケットを羽織っておる。
…………。
まあ。
結局、ジャケット姿なのは変わらぬがな。
「じゃあ、少し会議室に行こうか」
父上は我らが出てきたことを確認すると、そう言って廊下を歩き始めた。
我とユウはその後に続き、近くにある第一会議室に通された。
室内には長い机と椅子が並び、壁際には大型のスクリーンが設置されておる。
研究所の会議室というだけあって、学校の教室とは随分と雰囲気が違うな。
余計な装飾はなく、必要な物だけが整然と並べられておる。
「好きなところに座って。あっ、何か飲む?」
父上は机の上にパソコンを置きながら、部屋の隅にある自動販売機を示した。
「ここの自販機は、福利厚生で無料なんだよ」
「なら、スポドリがいい」
ユウが迷うことなく答えた。
「我は……コーヒーで」
先ほどから喉も渇いておるし、少し甘い物も欲しい。
今の気分なら、温かいコーヒーも悪くないよな。
「お前ら、自分で動けよ。博士をパシらせるな」
千葉先生が呆れたように我らを見る。
ふっ。
甘いの、千葉先生。
父上は博士である前に、我の父上ぞ。
ならば、可愛い娘のために飲み物を用意するのも当然よ。
「いいよ。どのみち、僕のカードをかざさないと使えないからね」
父上はそう言って、自動販売機に向かった。
…………。
うむ。
どうやら、父親だから動いてくれたわけではないらしい。
いや。
それでも我らの分を取ってくれるのだから、流石は父上ぞ。
しばらくして、父上が二本の飲み物を手に戻ってきた。
「はい。ユウちゃんはスポーツドリンク。マオちゃんはこれでいいかな?」
「うむ。ありがたい」
我の前に置かれたのは、淡い茶色の缶。
手に取ると、ほんのりと温かい。
うむ。
流石は父上。
我が好きなカフェオレ系を選んでくれておる。
「コーヒーじゃねぇし」
千葉先生が、缶の表示を見ながらぼそりと呟いた。
千葉先生。
そのような細かいツッコミはいらぬぞ。
コーヒーが入っておるのだから、広い意味ではコーヒーでよかろう。
我は缶のプルタブを起こし、一口飲んだ。
甘い。
苦みも少ない。
うむ。
我、満足。
「さて」
父上がパソコンを操作しながら、我とユウを見る。
「現段階でわかっていることだけ、二人に説明するよ」
先ほどまで柔らかかった父上の表情が、研究者のものに変わった。
パソコンを操作すると、壁のスクリーンに複数のデータが映し出される。
数値。
波形。
幾つもの棒グラフ。
さらに、円周上に幾つもの項目が並び、中心から外側へ伸びる線で能力を示した図もある。
うむ。
随分と細かく数値が出ておるな。
「まずは、マオちゃんから」
父上が画面を切り替えると、我の測定結果が大きく表示された。
「魔力測定と模擬戦中の記録を見る限り、マオちゃんは全体的なバランスがいい。その中でも、特に高いのは体内の魔力反応、盾を動かしていた時の魔力操作、それに相手の動きを認識する速さだね」
ふむ。
確かに、グラフの中でもその三つが大きく外側に伸びておる。
そして、父上が次に指したのは別のグラフ。
そこには、認識の速さと実際の身体動作を示す二つの数値が並んでおった。
「視線や神経反応を見る限り、相手の動きはきちんと認識できている。ただ、認識してから実際の動作へ移るまでに、僅かな遅れがあるんだ」
「うむ~~」
思い当たる。
千葉先生が目の前におることも、その手にあるファルシオンが動いておることも、確かに見えていた。
それなのに、盾を受け止める動きから千葉先生への対処に切り替えられず、首や胸元に刃を添えられた。
おそらく、元の世界にいた頃の我と、今の身体の作りが違いすぎることが原因なのだろうな。
以前の我は、今とは身体の大きさも、その動かし方もまるで違った。
力も桁違いで、空を飛ぶことさえできた。
その頃の感覚で動こうとしても、今の身体では同じようには動けぬ。
頭と身体の間に生じておる僅かなずれ。
まずは、それを直さねばならぬということか。
「次は、ユウちゃん」
父上が画面を切り替える。
「ユウちゃんは、力と速度が大きく突出しているね。相手の動きを認識する速さと、体内から検出された魔力反応も高い。ただ、力や速度を十分に制御できていない部分がある」
「制御?」
「速く動けても、止まる位置や次の動きまで考えられていなければ、相手には簡単に読まれる。力が強くても、必要な場所へ正確に当てられなければ意味がないからね」
なるほど。
ユウの剣筋そのものは悪くなかった。
むしろ、挑むたびに鋭くなっておった。
だが、千葉先生はユウが次に動く場所を先に読み、攻撃が届かぬ位置へ誘導していた。
ユウには力と速度がある。
ただ、それを戦いの中で扱うための知識と技術が、まだ足りておらぬのだ。
そう考えると、父上の説明にも納得できる。
我は魔力操作に長け、相手の動きを認識する速さにも優れておる。だが、今の身体を使いこなせていない。
ユウは力と速度に優れるが、それを制御する技術と知識が足りない。
つまり、我らにはそれぞれ別の課題があるということよな。
「マオ。私たち、思ったより弱いのかな」
ユウが少し不安そうに画面を見上げた。
確かに、グラフだけを見ておると、外側にまだ随分と余白が残っている。
「ただ、このグラフだけを見て残念がる必要はないよ」
父上がパソコンを操作すると、スクリーンに新たなグラフが表示された。
名前や顔写真は出ておらぬ。
だが、先ほどの我らと同じ項目が並んでいる。
「これは誰のだ?」
「C級ハンターの測定結果だよ」
我は三つのグラフを見比べた。
…………。
低い。
筋力。
速度。
魔力反応。
相手の動きを認識する速さ。
脳波や神経反応、それに実際の身体動作。
その他の項目を含め、表示された全ての基礎数値で、我とユウはC級ハンターを明らかに上回っておる。
「もちろん、C級ハンターの中でも能力には個人差があるよ」
父上は我らが早合点せぬよう、すぐに言葉を続けた。
「ただ、この人はC級として標準的な実力を持つハンターだ。基礎能力を比較する目安としては、十分に参考になる」
なるほど。
極端に弱い者を選び、我らを安心させようとしているわけではないのだな。
「こうして比較すると、マオちゃんもユウちゃんも、測定された全ての基礎数値でC級ハンターを大きく上回っていることがわかるだろう?」
「ということはだ」
千葉先生が椅子の背もたれに身体を預け、腕を組んだ。
「お前たち二人は、ダンジョンに挑むための基礎能力をすでに持っているってことだ」
千葉先生は画面に映るグラフを見ながら、言葉を続ける。
「少なくとも、力が足りないせいでダンジョンに入れないってことはない。むしろ、基礎能力だけなら十分すぎるくらいだ」
ふむ。
ならば、我らが千葉先生に一撃も当てられなかったのは、能力が低いからではないのだな。
力はある。
だが、使いこなせておらぬ。
先ほどの模擬戦で、その事実を突きつけられたということか。
「だけど、二人とも知識と経験が足りていない」
父上が我らに視線を戻した。
「マオちゃんは、今の身体を正確に動かすための訓練が必要。ユウちゃんは、力と速度を制御するための訓練が必要だね。それに、ダンジョンの仕組みやモンスターについても、これからしっかり学ばないといけない」
「つまり、測定上の基礎能力だけならC級以上。ただし、ハンターとしてはまだ未熟ってことだ」
千葉先生の言葉が、胸に刺さる。
だが。
先ほどまでのように、自分たちが弱いのではないかと落ち込む必要はなさそうだ。
我らには、すでに力がある。
足りぬものがわかったのなら、後は身につければよいだけぞ。
「ダンジョンの仕組み。モンスターの特徴。安全に探索する方法。それに、武器や魔法の使い方も含めてね」
「勉強をしっかりしろってことだよ」
千葉先生の言葉に、ユウが僅かに頬を膨らませた。
「勉強かぁ……」
「嫌そうな顔をするな。知識がないままダンジョンに入れば、どれだけ力があっても簡単に死ぬぞ」
千葉先生の声は軽い。
だが、その言葉には冗談とは思えぬ重さがあった。
実際にダンジョンで戦い、何度も危険な目に遭ってきた者だからこその言葉なのだろう。
「詳しいトレーニング内容は、学校側とも相談して決めるよ」
父上はそう言いながら、画面に映る我らのグラフを見つめた。
なるほど。
我の場合は、頭が認識した動きに身体を追いつかせる。
ユウの場合は、突出した力と速度を無駄なく扱えるようにする。
同じS組であっても、必要な訓練は違うということか。
その横では、千葉先生も難しい顔をして数値を確認しておる。
どうやら、先ほどの測定は、単に我らの強さを数値として調べるだけのものではなかったらしい。
筋力や速度、魔力反応をはじめとした基礎数値。
それらを模擬戦の中で、どこまで使いこなせるのか。
そこまで含めて測っておったのだな。
…………。
我、少し感心。
だが。
千葉先生。
測定のためとはいえ、我らを少しばかりからかいすぎではなかったかの?
我が不満を込めて視線を向けても、千葉先生は気にした様子もなく、椅子の背もたれに身体を預けておる。
どうやら、反省するつもりはないらしい。
「まだ詳しいところは、これから調べないとわからないけどね。今すぐ説明できるのは、このくらいかな」
父上がパソコンを操作すると、スクリーンに表示されていたグラフが消えた。
うむ。
現時点でわかることは、我らにはすでにダンジョンへ挑めるだけの基礎能力があること。
そして、その力を十分に使いこなすためには、それぞれに合った訓練が必要ということだな。
「うむ。わかった」
我はカフェオレを一口飲みながら頷いた。
甘い味が口の中に広がる。
…………。
そうだ。
「父上よ」
ここで我は、一つ思い出した。
使えるものは使う。
それが魔王というもの。
ならば、今こそコネを使う時ではないか。
「何だい、マオちゃん?」
「我の武器を作れぬか?」
父上が僅かに目を丸くした。
その隣では、千葉先生が呆れたように我を見ておる。
「お前、まだ諦めてなかったんだな」
千葉先生よ。
最初にコネを使うのかと聞いたのは、そちではないか。
ならば、今がその使いどころよ。
我は元の世界で使っていたシールドクローに近い武器を欲しておる。
先ほど使った訓練用の盾でも、戦えぬわけではない。
魔力で操えることも、先ほど実際に見せておる。
だが、ただの盾では、大きさも、形も、拳を振るう時の使い勝手も、我には合わぬ。
何より、腕に装着して戦うことを前提に作られておらぬのだ。
我の身体と戦い方に合った武器があれば、先ほどよりも遥かに戦いやすくなるはずぞ。
「そうだね……」
父上はすぐには答えず、少し考えるように顎に手を添えた。
「正式な装備としてすぐに用意するのは難しいけど、魔力操作に対応した研究用の試作品としてなら、申請できるかもしれない」
「本当か!」
思わず身体が前に出る。
「ただし、どういう武器なのか、詳しくわからないと作れないよ。形や大きさだけじゃなくて、どう使うのかも説明してもらわないと」
「それなら問題ない」
我の頭には、かつて使っていたシールドクローの姿がはっきりと残っておる。
だが、我自身が絵にするとなると、少しばかり不安がある。
我、絵はそれほど得意ではないからな。
ならば――。
「詳しい形は、母上に絵にしてもらう」
母上なら、我の説明を基に、外形や爪の動きまで絵に起こしてくれるはずぞ。
それを試作の参考資料にすれば、父上にも構造を伝えやすい。
「贅沢だなお前」
千葉先生が、さらに呆れた声を漏らした。
父上には、試作品の相談。
母上には、形を伝えるための絵。
確かに、普通に考えれば贅沢なのかもしれぬ。
だが。
頼れる者には、遠慮なく頼る。
それもまた、魔王の知恵ぞ。
…………。
無論。
父上と母上には、きちんと感謝するからな。




