第35話 我、共に先へ
その後も、我とユウは短い休憩を挟みながら、何度か千葉先生に再戦を挑んだ。
まずはユウ。
次に我。
少し休み、呼吸が整うたびに、再び測定室の中央に立つ。
ユウはロングソードを両手で握り、先ほどよりも速く、鋭く踏み込む。
我も二枚の盾を魔力で操り、正面だけでなく左右や背後から攻撃を重ねる。
だが――。
何度挑んでも、一撃も届かぬ。
ユウが上段から斬りかかれば、僅かに身体をずらして躱される。
横薙ぎに振るえば、ファルシオンの腹で受け流され、軌道を変えられる。
背後に回り込もうとすれば、その前に進路を塞がれ、逆に距離を取らされてしまう。
我も同じ。
二枚の盾で挟み込もうとしても、その隙間を抜けられる。
正面から拳を繰り出せば、手首の近くにファルシオンの腹を添えられ、拳の軌道を逸らされる。
背後から盾を戻しても、まるで初めから知っていたかのようにしゃがみ込まれ、避けられてしまう。
右。
左。
前。
後ろ。
あらゆる方向から攻めておるというのに、千葉先生はそのすべてを見切っておった。
我もユウも、決して手を抜いておらぬ。
むしろ、挑むたびに動きは良くなっておる。
ユウの踏み込みは鋭さを増し、最初は大きかった動きの無駄も少しずつ消えていった。
身体が、勇者だった頃の戦い方を思い出し始めているようにも見える。
我も強化魔法こそ使っておらぬが、今の身体で出せる力は十分に使っておる。
それでも――。
当たらぬ。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
ユウが両膝に手をつき、肩を大きく上下させておる。
全身を覆う測定着は汗を吸い、ユウの身体にぴったりと張りついていた。
その内側では、長い髪も汗に濡れ、首筋や背中に張りついておるのだろう。
「う、うむぅ……」
我も近くの壁に手をつき、乱れた呼吸を整える。
疲れた。
我、かなり疲れた。
魔力で盾を動かしながら、自身も攻撃に加わる。
それを何度も繰り返しておれば、流石の我でも息が切れるわ。
だが、それ以上に納得がいかぬ。
ここにある盾は、我が元の世界で使っていたシールドクローとは違う。
ユウのロングソードも、かつて勇者だった頃に使っていた剣そのものではない。
だが、本来の武器ではないというだけで、ここまで一方的になるものか?
「……腑に落ちん」
我は呼吸を整えながら、少し離れた場所に立つ千葉先生を見つめた。
千葉先生は両手のファルシオンを下ろし、首元の汗を腕で軽く拭っておる。
多少は汗をかいている。
呼吸も、最初に比べれば僅かに深くなっておるな。
だが、それだけ。
我とユウのように肩で息をしているわけでもなく、足元がふらついている様子もない。
まだまだ余裕が残っておる。
我らの動きは確かに良くなっておる。
だというのに、千葉先生との差は一向に縮まらぬ。
それが、なおさら悔しかった。
「二人とも、その年にしてはすごかったな」
千葉先生はファルシオンを壁の収納庫に戻しながら、こちらへ顔を向けた。
「身体能力と武器の扱いだけなら、もう十分ダンジョンでも通用するぞ」
「先生……慰められても、あまり嬉しくない」
ユウは膝に手をついたまま、悔しそうに唇を尖らせておる。
「うむ……流石に我も、自信をなくしたぞ」
我も素直に頷いた。
これほど何もできぬとは思わなんだ。
一撃くらいは入れられる。
いや。
何度か挑めば、一度くらいは千葉先生を追い込める。
そう思っておった。
だが、現実は一撃も当てられず、我に至っては二度も命を取られたことになっておる。
魔王としての威厳が、少しばかり揺らいでおる。
「お前ら、俺を舐めすぎなんだよ」
千葉先生は呆れたように言いながら、近くに置かれていたスポーツドリンクを手に取った。
蓋を開け、そのまま喉を鳴らしながら飲んでいく。
うむ。
実に美味そうに飲むの。
我も喉が渇いた。
だが、それよりも。
千葉先生よ。
その言い方では、我らが悪いようではないか。
いや。
実際、少しばかり侮っておったのかもしれぬが。
S級ハンターとはいえ、こちらは魔王と勇者。
そう考え、心のどこかで負けるはずがないと思っておった。
その慢心を、見事に叩き潰された形よな。
「ご苦労様」
ガラスの向こうから、父上の声が聞こえた。
父上は計測器へ視線を落とし、表示された数値を確認しながら、満足そうに頷いておる。
「おおよその測定はできたから、もう大丈夫だよ」
おお。
ようやく終わりか。
我、安堵。
「武器を片づけて、二人とも更衣室のシャワーを浴びておいで。着替えたら、更衣室の外で待っていてね」
シャワー。
それはありがたい。
今は疲労と敗北の衝撃で気にならなくなっておるが、ようやくこの測定着を脱げるのだ。
測定着は汗で身体に張りついておるし、その内側では髪も首元もすっかり汗に濡れておる。
このまま普段着に着替えるのは、流石に気持ちが悪いからな。
「わかった。行こう、マオ」
「うむ」
ユウが重そうに身体を起こし、我の隣に並んだ。
我らは互いに疲れ切った顔を見合わせる。
…………。
魔王と勇者。
何度挑んでも、千葉先生に一撃も与えられず。
揃って汗だく。
揃って息も絶え絶え。
…………。
我、少し悲しい。
だが。
このまま終わるつもりはないぞ。
千葉先生よ。
いつの日か、必ず一撃入れてやるからな。
我とユウは使った武器を収納庫に戻すと、逃げるように測定室を後にした。
否。
決して逃げたわけではないぞ。
ただ、一刻も早く汗を流したかっただけだ。
…………。
少しくらいは、敗北した場所から離れたかった気持ちもあるがな。
我らは足早に廊下を進み、更衣室に戻った。
扉が閉まると同時に、我は背中にある測定着のジッパーに手を伸ばす。
汗で生地が肌に張りついており、少しばかり脱ぎにくい。
くっ。
何故、着る時だけでなく、脱ぐ時まで我を苦しめるのだ。
我はどうにかジッパーを下ろすと、まず頭を覆っていた生地を外した。
内側に収めていた長い髪が、汗を含んだまま背中にこぼれ落ちる。
そのまま肩から測定着を引き剥がしていった。
ユウも隣で悪戦苦闘しておる。
「マオ。これ、脱ぎにくい」
「我も同じぞ。汗で身体に張りついておるからな」
どうにか両腕を抜き、測定着を脚から引き下ろす。
脱いだ測定着は見事に裏返しになったが、今は直しておる余裕などない。
我はそれを脱衣籠に放り込み、そのままシャワー室に飛び込んだ。
すぐに蛇口を捻る。
頭上から温かな湯が降り注ぎ、汗に濡れた髪と身体を包み込んだ。
「おお……」
思わず声が漏れる。
心地よい。
温かな湯が肩や背中を流れ落ちるたび、身体に溜まっていた疲労まで少しずつ洗い流されていくようだ。
先ほどまで酷使していた腕や脚にも、じんわりと熱が染み込んでくる。
生き返るの。
我は目を閉じ、しばらく頭から湯を浴び続けた。
身体の疲れは残っておる。
千葉先生に一撃も入れられなかった悔しさも消えてはおらぬ。
それでも、先ほどよりは少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「マオ。S級って、すごいんだね」
隣のシャワーから、ユウの声が聞こえてきた。
いつもの明るさはない。
温かな湯の落ちる音に混じり、その声には隠しきれぬ悔しさが滲んでおる。
ユウよ。
我も、そう思う。
「うむ。正直なところ、一撃くらいは当てられるものだと思っておった」
我は濡れた前髪を掻き上げながら答えた。
最初は、千葉先生を少しばかり驚かせてやろうと思っておった。
ユウが届かなかったのなら、我が代わりに一撃を入れる。
その程度はできると、本気で考えていたのだ。
だが、結果はどうだ。
一撃も届かぬ。
何度挑んでも、避けられ、受け流され、最後には弄ばれた。
我に至っては、模擬戦の中とはいえ二度も命を取られておる。
…………。
思い出すだけでも、少し胸が痛むの。
「私も」
ユウが小さく答えた。
その後、しばらく言葉が続かなかった。
シャワーから流れ落ちる湯の音だけが、静かな室内に響いておる。
「マオが見た夢の話。それに、私が見た夢の話」
やがて、ユウがゆっくりと言葉を続けた。
「私たちが勇者と魔王だったっていうの、ただの夢だったのかも」
…………。
ユウ。
それは違う。
我は胸の内で、はっきりと否定した。
我は本当に魔王だった。
そして、ユウも間違いなく勇者だった。
元の世界で我の首を執拗に狙い、我が送還魔法を使う原因となった、あの勇者本人ぞ。
夢などではない。
思い込みでもない。
我が今も覚えている、紛れもない過去だ。
だが。
ユウがそう考えてしまうのも、無理はないよな。
こ奴には元の世界での記憶がほとんど残っておらぬ。
時折見る夢と、身体に残った僅かな感覚だけ。
それを頼りに、自分が勇者だったのかもしれないと思っておるのだ。
その上、今日の戦いでは、勇者だったはずの自分が千葉先生に一撃も届かなかった。
自信を失うのも仕方あるまい。
我はユウの気持ちを置き去りにせぬよう、静かに口を開いた。
「どのみち、今の我らはまだ幼い。身体の大きさも違えば、今の身体で引き出せる力も以前とは違う。夢に出てくる魔王や勇者と同じように戦えぬのは当然ぞ」
我も以前より身体が小さい。
魔力も能力も残ってはおるが、この身体での戦闘経験はまだほとんどない。
元の世界と同じように動けると思う方が、無理のある話だったのだ。
我、慢心。
ユウはさらに違う。
勇者として身につけた技は身体に残っておるようだが、その使い方を頭では理解しておらぬ。
剣を握れば自然と動けても、相手の動きを読み、状況に応じて技を選ぶところまでは戻っておらぬのだろう。
それでも、あれだけ動けた。
ならば、これから覚え直せばよい。
今の身体に合った戦い方を一から身につければよいのだ。
「そうなんだけどね」
ユウは小さく息を吐いた。
「私、浮かれてた」
その声が、温かな湯の音に紛れそうなほど小さくなる。
我は隣との仕切りに視線を向けた。
姿は見えぬ。
だが、ユウが俯いている様子は、何となく想像できた。
勇者かもしれない。
普通の人間よりも強い。
剣を握れば、何故か自然と身体が動く。
それらを知り、心のどこかで自分は特別なのだと思っておったのだろう。
…………。
それは、我も同じぞ。
我は魔王。
元の世界では、ほとんどの者が我に敵わなかった。
今の身体になっても、普通の人間を遥かに超える力を持っておる。
だからこそ、S級ハンターとはいえ、人間である千葉先生に負けるとは思っておらなんだ。
ユウだけではない。
我も浮かれておったのだ。
魔王という過去に。
己が持つ力に。
そして、今も強者であるという思い込みに。
その慢心を、千葉先生に正面から打ち砕かれた。
…………。
悔しい。
実に悔しい。
だが、悪いことばかりでもないのかもしれぬな。
今の我らが、どれほど未熟なのか。
ダンジョンに入る前に知ることができたのだから。
「前を向くがよい、ユウ」
「マオ?」
「我らは、まだ一歩しか踏み出しておらぬ。ならば、これから二歩、三歩と進めばよい。それに、何度か後ろに下がったとしても、そのたびに前に進めば、いずれ辿り着く」
我、為政者。
元の世界でも、何度となく後ろに下がってきた。
国を治める中で、物事が思いどおりに進まぬこともあった。
戦いでも望んだ結果を得られず、判断を誤ってやり直したこともある。
だが、その都度、再び先に進めばよいだけよ。
立ち止まらぬ限り、歩みが消えることはない。
「顔を上げ、先に進むぞ」
「うん!」
先ほどまで沈んでいたユウの声に、少しだけ明るさが戻った。
姿は見えぬが、きっと顔も上げておるのだろう。
うむ。
ユウは、その方がよい。
「そうと決まれば、まずはしっかり身体を洗い、着替えるぞ」
どれほど立派なことを口にしても、身体は疲れ切っておる。
前に進むにしても、今はこの疲れを取るのが先よな。




