第31話 我、認識を改める
五月。
世間はゴールデンウィークへ突入。
そして我は――。
だらけておる。
流石に少しずつ慣れ始めたとはいえ、普段の授業に加えて、ダンジョン科の専門授業。
さらには、体力づくりのためのトレーニングまでこなしてきたのだ。
少しくらい休んでも、罰は当たるまい。
だが、いつまでもこうしてだらけているわけにもいかぬ。
何故なら――。
「ユウ。そろそろどいてくれ」
「この漫画を読み終わったらね」
何故、我の上で漫画を読んでおる?
ユウはソファーに横たわる我の腹へ頭を乗せ、上半身を預けたまま漫画を広げておった。
「何故、我の上で読む?」
「え? 理由って要る?」
…………。
そう言われると、返す言葉がない。
いや。
本来ならば、理由は必要であろう。
だが、ユウの中では、我の上で漫画を読むことに何の疑問もないらしい。
しかし、そろそろ動かねばならぬ。
「ユウ。今日は父上の研究所へ行く日ぞ。そろそろ準備せよ」
「うるさいな~。私はもう準備できてるよ」
「我ができておらぬ」
「じゃあ、早くした方がいいんじゃない?」
誰のせいで動けぬと思っておる。
仕方あるまい。
我は身体を僅かに捻り、ユウの下から抜け出した。
「わっ」
ユウが慌てて漫画を持ち上げる中、我はソファーから立ち上がる。
そして両腕を上へ伸ばし、凝り固まった身体をゆっくりとほぐした。
「いいクッションだったのに」
「我は人ぞ」
人を当然のようにクッション扱いするでない。
…………。
まあ、よい。
今は準備が先だ。
我は自室へ戻り、研究所へ向かうための支度を始めた。
持ち物を確認。
服装も問題なし。
忘れ物もない。
うむ。
準備完了。
「父上。準備ができたぞ」
「わかった」
父上は、すでに作業着へ着替えておるな。
研究所へ向かうのだから、当然か。
…………。
そして、その隣では、母上が鞄を手に出かける準備をしておった。
何故、母上まで行く気になっておる?
「母上よ。今日は留守番ではないのか?」
「え? 私も取材したいんだけど」
「ごめん。流石に駄目だよ」
父上よ。
そこは、もう少しきちんと説明してもよかろう。
「仕方ないか。まあ、まだネームもできてないし」
…………。
それは、それでまずいのではないか?
母上。
締め切りは大丈夫なのか?
「じゃあ、行こうか。ユウちゃんも行くよ」
「はーい」
ユウは元気よく返事をすると、すぐに立ち上がった。
先ほどまで我をクッション代わりにしておったのが、嘘のような素早さよな。
「行ってきます」
「行ってくる」
「お邪魔しました。おばさん、またね」
「気をつけてね」
そうして我とユウは、父上の車へ乗り込んだ。
向かう先は、父上の勤める研究所。
我、楽しみ。
…………。
いや。
楽しみにしてばかりもおられぬな。
どこまで力を見せるべきか、未だに答えは出ておらぬのだから。
だが、漫画に出てくるような巨大で近未来的な施設を想像すれば、期待してしまうのも仕方あるまい。
白衣を着た研究者たちが行き交い、見たこともない装置が並び、巨大な実験施設まであるのかもしれぬ。
うむ。
やはり、楽しみぞ。
車は街中を抜け、そのまま進み続けていく。
だが、気づけば周囲の建物は少なくなり、道の両側には木々が増えておった。
窓の外に広がるのは、深い緑に覆われた山々。
街中を走っていた時の騒がしさも遠ざかり、車が道を進む音だけが、静かな車内へ響いておる。
いつの間にか、完全な山道へ入っておるな。
「どこへ行くんですか?」
ユウが窓の外を眺めながら尋ねた。
「ごめん。詳しい場所は言えないんだ。一応、東京都内ではあるよ」
「ふむ。奥多摩かの」
我、推理。
「はは。そこはどうかな?」
父上は楽しそうに笑うだけで、答えようとはせぬ。
うむ。
これでは、わからぬな。
何か手がかりはないものか。
我は窓の外へ目をやり、道沿いに立つ看板を探した。
む。
あれは……。
三頭山。
聞いたことのない名よ。
…………。
我、さっぱりわからぬ。
ただ、東京都内とはいえ、随分と街から離れた場所まで来たことだけはわかる。
我が家を出てから、すでに一時間ほど。
山道へ入ってからも、車は止まることなく、奥へ奥へと進み続けておる。
「研究所って、山の中にあるの?」
「正確には、研究区画の大半が山の中に造られているんだ。入口も、外からは見えないようになっているよ」
外からは見えぬ入口とな?
「地下にあるってこと?」
「まあ、そんなところかな」
なるほど。
山の中に隠された研究所か。
漫画で見たことがあるぞ。
外からは何もないように見えるが、その地下――いや、山の内部には巨大な施設が広がっているというものよな。
我、期待が高まる。
「でも、研究所があるって話していいの?」
ユウの疑問に、父上は前を見たまま頷いた。
「研究所そのものは、秘密というわけじゃないよ。ダンジョンについて調査する行政施設があることは公表されている。ただし、正確な場所と内部で行われている研究には非公開のものが多いんだ。それに、僕が行くのはここだけじゃない。大学や企業の研究施設へ出向くこともあるからね。ここは、いくつかある施設の一つだよ」
ふむ。
研究所の存在そのものは知られておるが、どこにあり、何をしているのかまでは明かされておらぬのだな。
確かに、それならば父上が我らを連れていけることにも納得できる。
それに、山中であれば、不用意に人が近づくことも少なかろう。
研究に失敗して何かが爆発したとしても、街中よりは被害を抑えられる。
…………。
いや。
まさか、爆発などせぬよな?
「父上。危険な実験などはしておらぬよな?」
「その心配はしなくていいよ。少なくとも、今日二人が行く場所ではね」
今日行く場所では?
父上よ。
その言い方では、別の場所では危険な研究をしているように聞こえるぞ。
我が僅かに身を固くしていると、前方に小さな建物が見えてきた。
山道の脇に建つ灰色の簡素な施設。
看板には、山林管理事務所とだけ書かれておる。
…………。
これが研究所?
我が想像していた巨大施設とは、あまりにも違うではないか。
だが、車はその建物の前を通り過ぎ、さらに奥へ進んでいきおった。
舗装された道の先には、頑丈な金属柵で作られた門。
その横には小さな管理棟があり、制服を着た者が二人立っておるな。
父上が車を止め、窓を開けた。
「天神博です。事前申請している同行者二名を連れてきました」
「確認します」
管理棟の者は端末を操作し、画面に表示された登録写真と父上の顔を見比べておる。
続いて、我とユウにも目を向けた。
父上から聞いてはいたが、どうやら本当に、入るためにも様々な手続きが必要らしいな。
「確認できました。この先では、携帯端末の外部通信と位置情報の取得が制限されます。施設内での写真や動画の撮影も禁止です」
「わかりました」
む?
我は自分のスマホを取り出し、画面を確認する。
先ほどまで表示されていた通信の印が消えておる。
地図を開いても、現在地は表示されぬ。
「何これ。圏外?」
「外部から場所を特定されないようにするための設備だよ。施設内ではカメラも使わないでね」
父上はそれだけ説明すると、開いた門の先へ車を進めた。
門を通過した直後、背後で重い金属音が響き、再び道が閉ざされた。
…………。
我、少しわくわく。
まるで、秘密基地へ足を踏み入れたかのようではないか。
道の両側は深い森に挟まれ、少し先すら見通せぬ。
高く伸びた木々が空を覆い、外からの視線まで遮っておる。
なるほど。
自然の要塞ぞ。
「もうすぐ着くよ」
「楽しみ」
「我もだ」
ユウが窓の外を覗き込み、我も前方へ視線を向ける。
そして、しばらく進んだ先に現れたのは――。
木々に覆われたドームのような空間だった。
太い枝が複雑に重なり合い、上空を覆っておる。
その下には舗装された駐車場が広がり、何台かの車が静かに並んでいた。
自然とは、時折、不思議な空間を作り出すものよな。
「着いたよ。降りていこうか」
「え? でも、駐車場しかないよ。研究所なんて、どこにも見えないけど」
「我もそう思う」
周囲にあるのは、駐車場と木々ばかり。
入口らしき建物も、扉も見当たらぬ。
「大丈夫。ついてきて」
父上は何でもないことのようにそう告げると、車を降りた。
そうして、我とユウは父上の後についていく。
「マオ。入口がどこにあるのかわかる?」
「わからぬ。見えるのは山の斜面と木ばかりぞ」
目の前にあるのは、木々に覆われた山肌だけ。
扉はおろか、不自然な継ぎ目すら見当たらぬ。
「ふふ。ここだよ」
父上はそう言うと、斜面の前に立つ一本の木へ近づいていった。
そして、幹の一部へカードを当てる。
…………。
父上よ。
何故、木にカードを当てておる?
我が不思議に思っていると、小さな電子音が鳴った。
次の瞬間――。
「おおっ!」
山の斜面だと思っていた一部が、音もなく左右へ開いていく。
土や岩だけでなく、木の根まで精巧に模され、周囲の山肌と見分けがつかぬよう偽装されていたらしい。
その奥には、明るく照らされた広い通路が続いておった。
我、驚愕。
あれほど注意して見ていたというのに、扉があるとはまったく気づかなかったぞ。
父上は開いた入口の前へ立つと、我とユウを振り返った。
「ようこそ。ダンジョンハンター能力研究所へ」
…………。
父上よ。
どうやら我は、まだ父上の凄さをわかっておらなんだな。
凄い人だとは思っていたが、それだけでは足りぬ。
父上。
そなた、ものすごく凄い人なのだな。




