第30話 我、誤解が解け、現実を見る
我は、あの時に話してよかったのか、今も悩んでおる。
あれから、我とユウは研究所へ行くことになった。
だが、今すぐではない。
色々と手続きが必要らしく、五月のゴールデンウィーク中に向かうこととなった。
父上よ。
せっかくの休みだというのに、すまぬな。
さて。
悩みは尽きぬが、だからといって学校を休むわけにもいかぬ。
「マオ~~~! 行くよ~~~!」
今日も元気よな。
玄関の外から響いてくるユウの声を聞きながら、我は鞄を手に取った。
「父上、母上。行ってくる」
「気をつけてね」
「行ってらっしゃい」
うむ。
では今日も元気に、いざ学校へ――。
…………。
そして、我の悩みの種は、まだ他にも残っておる。
「今日も見てるよ」
「うむ……」
ユウに促されて目をやれば、少し離れた場所に佐々木殿の姿があった。
毎日というわけではない。
だが、かなりの頻度で我の様子を窺っておる。
しかも、本人は隠れて見ているつもりなのであろうが、こちらからは丸見えぞ。
「どうする?」
「うむ。いい加減、我も呆れておる」
さて。
いつまでも放っておくわけにもいかぬな。
「ユウ。先に行っておれ。いい加減、我から話を聞いてみよう」
「マオ、大丈夫?」
おお。
我を心配してくれるのか。
ありがたい。
「間違っても、病院送りにしちゃ駄目だよ」
そっちか。
「我を信じよ」
「わかった。じゃあ、先に行くね」
ユウは少しだけ振り返りながらも、そのまま学校へ向かって歩いていった。
さて。
これで話しやすくなったの。
「佐々木殿。いい加減、こちらを見るのをやめよ。用があるのなら聞こう」
我が振り返って声をかけると、佐々木殿は気まずそうに頭を掻きながら姿を現した。
「それで、なんぞ用か?」
「…………」
そこで無言になるでない。
用があるのは、そちらであろう。
む。
そういえば、いつも一緒におるもう一人は、今日はおらぬのだな。
「用がないのなら、我はもう行くぞ」
「待て。わかった。言う」
佐々木殿は意を決したように鞄を開き、中から一冊の漫画を取り出した。
それは、母上が描いている『ハンターライブ』の最新刊ではないか。
「……お前の母親が、細崎由紀先生だって聞いた」
…………。
うむ?
「頼む。サインをもらってくれ」
…………。
我は、佐々木殿と差し出された漫画を交互に見た。
「まさか、入学式の日に我へ尋ねようとしていたこととは、これのことか?」
「そうだ。前にサイン会で先生を見た時、お前も傍にいた」
ああ。
我が母上の凄さを知るため、サイン会へついていった時か。
なるほど。
あの時に我の顔を覚えておったのだな。
「入学式の時……考えてみたら、俺もかなり口が悪かった。すまない」
「うむ」
悪いが、あの時に何を言われたのか、我はほとんど聞いておらぬ。
我、考え事をしておったからな。
「だから頼む。これだけでいいから、サインをもらってくれ」
佐々木殿は単行本を両手で差し出し、深く頭を下げた。
我、呆気に取られる。
随分と長い間こちらを窺っていた理由が、まさか母上のサインとは。
「その単行本に書いてもらう形でよいのか?」
「ああ。できれば、これに頼みたい」
「……わかった。母上には我から聞いておこう」
「本当か!」
「うむ。入学式の日の件では、我にも非があるからの」
我は差し出された単行本を受け取った。
その瞬間、佐々木殿は信じられぬとばかりに目を見開いた。
「母上にサインを書いてもらえたら、我から連絡しよう。端末の連絡先を教えてくれ」
「……いいのか?」
「うむ。母上が引き受けてくれるかは、聞いてみねばわからぬがな」
まあ、恐らく断りはせぬだろう。
母上は、読者を大切にしておるからの。
それにしても。
佐々木殿よ。
それならば、最初から普通に頼めばよかったではないか。
…………。
まあ、よい。
佐々木殿は端末を取り出し、我と連絡先を交換した。
「ありがとう。それと、このことは安田には内緒で頼む」
「安田とやらに知られたくないのであれば、人目のない時に渡せばよかろう」
「ああ。そうしてくれ」
はて。
安田とは誰ぞ?
「じゃあ、頼んだ」
そう言い残すと、佐々木殿は足早に校舎へ向かっていった。
あ。
行ってしまったか。
安田について聞きそびれたの。
まあ、そのうちわかるだろう。
さて。
我も校舎へ入るとするか。
教室へ着くと、ユウはすでに席で菓子を広げておった。
…………。
こ奴。
我のことを、まったく心配しておらなんだな。
「太るぞ」
「あれだけ激しいトレーニングをしてるんだから平気。それより、どうだったの?」
「母上のファンだったわ。サインが欲しかったということだ」
「そのために、ずっとマオを見てたってこと?」
「そうなるな」
改めて考えると、凄まじい執念よな。
サインを頼みたいのであれば、普通に声をかければよいものを。
あれほど長い間、物陰から我の様子を窺い続けるとは。
「お~~す。朝礼を始めるぞ」
千葉先生が教室へ入ってきた。
「うむ」
「は~い」
佐々木殿の件は、ひとまず終わった。
ならば、今は授業へ集中するとしよう。
その日の専門授業で我らが最初に学んだのは、ダンジョンの内部構造についてだった。
まず、ダンジョンは大きく三種類に分類されるらしい。
一つ目は、階層型。
長い通路と複数の部屋によって構成され、階層ごとに内部構造や出現するモンスターが変化するものだ。
二つ目は、環境型。
広大な森林や砂漠、荒野や洞窟など、自然環境そのものが内部に形成されている。
外から見た大きさでは考えられぬほど広い空間が広がり、中には天候や昼夜まで存在する場所もあるという。
そして三つ目。
罠や仕掛けを攻略しなければ先へ進めぬ機構型。
暗号を解かなければ開かぬ扉や、決められた手順で操作しなければ解除できぬ罠などが配置されておるらしい。
大きく分ければ、この三つ。
ただし、実際には複数の特徴を併せ持つ複合型も多く、そこから内部の環境や構造によって細かく分類されるという。
うむ。
我の知っているダンジョンと似ておる部分もあれば、少し違う部分もあるな。
分類についての説明を終えると、千葉先生はデジタル黒板へ身体を向けた。
だが、すぐには次の資料を映そうとはせぬ。
先ほどまで淡々と授業を進めていた表情には、僅かな険しさが浮かんでおった。
「それでだ。ここからは、ダンジョンが遊び場ではないと理解してもらうための授業になる」
千葉先生の低い声に、それまでとは違う緊張が教室へ広がった。
「これから見せるのは、実地訓練へ進む前に視聴することが決められている教材だ。保護者からも同意は得ている」
千葉先生は我とユウを順番に見た。
「かなりきつい映像だ。一応、見せられない部分にはモザイク処理をしてある。だが、それでも相当きつい。気分が悪くなったら、無理をせず教室を出て構わん」
「何を見るんですか?」
「我も気になるの。ダンジョン内部の映像か?」
千葉先生はデジタル黒板の前に立ちながら、我らを順番に見た。
「これは、世界で最初に出現したダンジョンへ遊び半分で侵入した者たちが、実際にどうなったのかを記録した映像だ」
世界で最初に出現したダンジョン。
父上が以前話していた、東京の地下鉄構内に現れたものだな。
「そこで起きた一連の出来事は、俺たちの間で渋谷事件と呼ばれている」
渋谷事件。
うむ。
父上が以前、死者が出たと話していた事件のことか。
「当時、ダンジョンが出現すると、警察はすぐに周囲を封鎖し、一般人の立ち入りを止めた」
それはそうであろう。
何の前触れもなく現れた正体不明の門ぞ。
何があるのかもわからぬというのに、普通ならば中へ入ろうとは思うまい。
「それから数日後。封鎖の続く現場へ、日本や海外の有名インフルエンサーたちが徒党を組んで現れた。奴らは警察の制止を振り切って内部へ侵入した」
千葉先生の声が、僅かに低くなる。
「止めようとした警官数名も、連れ戻すために後を追わざるを得なかった」
「迷惑系という奴よな」
「あれって、何が面白いんだろう?」
ユウが不思議そうに首を傾げる。
「そこは今、重要じゃない。重要なのは、これから映るものだ。映像を流すぞ。無理はするな」
千葉先生が念を押してから、デジタル黒板を操作した。
ふむ。
そこまで言われると、余計に気になるの。
『ダンジョンの中って、こんな感じなのか! ゲームみたいだな!』
『マジでダンジョンじゃん! お宝があるかも!』
映像が始まると同時に、興奮した男たちの声が教室へ響いた。
かなりやかましい奴らよな。
その後ろでは、警官諸君が必死に引き返すよう呼びかけておる。
あまりにも気の毒ではないか。
『君たち! 戻りなさい!』
『この先に何があるのか、まだ何もわかっていないんだぞ!』
うむ。
至極正しい。
『うるさい! これ、大バズり確定じゃね?』
『再生数もうなぎ上り間違いなし!』
こ奴らの行動を見ておると、グオウ王国を思い出すの。
周囲の忠告へ耳を貸さず、自分たちの都合だけで危険へ踏み込んでいく。
実に迷惑な連中よな。
『おい! 前に何かいるぞ!』
撮影していた者が声を上げると、映像が激しく揺れた。
その先。
薄暗い通路に、小柄な人影のようなものが立っておる。
緑色の肌。
尖った耳。
小さな身体に不釣り合いなほど太い腕。
そして、その手には粗末な棍棒が握られておる。
あれは、ゴブリンか?
『おい! ゴブリンじゃね?』
『マジだ! リアルで見るとキモッ!』
「いいか。ここから先は、かなりきつい」
千葉先生が低い声で告げた。
今でも十分、こ奴らの行動はきついと思うが……。
…………。
いや。
千葉先生が言っておるのは、そういう意味ではないな。
『かかってこいよ!』
『ビビってんのか?』
『君たち、下がりなさい!』
『早く避難を!』
警官諸君が、インフルエンサーたちの前へ出た。
ああ。
そのような奴らを庇わんでもよかろうに。
だが、警官として見捨てることはできぬのだろうな。
『はや――ッ!』
映像が大きく揺れ、画面の中央を赤いものが横切った。
直後、何かが床へ崩れ落ちる。
モザイク越しでも、何が起きたのかはわかった。
ゴブリンが一瞬で距離を詰め、手にした棍棒を警官の頭へ振り下ろしたのだ。
その後、画面を覆ったのは、あまりにも凄惨な光景だった。
逃げ惑うインフルエンサーたちへ、ゴブリンが次々と襲いかかっておる。
しかも、一体ではない。
ゴブリンは群れで行動すると習った。
映像にはモザイク処理が施されていたが、それでも何が起きているのかは十分にわかった。
血が床を染め、倒れた者たちの身体が次々とモザイクに覆われていく。
その惨状の中で、ゴブリンたちは楽しそうに笑っておった。
…………。
実に、ゴブリンらしい。
そして、そこで映像は途切れた。
「大丈夫か?」
千葉先生が我とユウの様子を確かめるように尋ねる。
「我は問題ない」
我は魔王ぞ。
望んでおったわけではないが、グオウ王国やそれに感化された国との戦場で、凄惨な光景は何度も目にしてきた。
この程度ならば耐えられる。
「私も大丈夫。むしろ、警官さんたちが不憫で……」
うむ。
そこは激しく同意する。
自ら危険へ飛び込んだ者たちを守ろうとして、命を落としたのだからな。
我は、せめて心の中で手を合わせた。
「その後、犠牲者たちの遺体は、ダンジョンの門の前へ突然現れた」
千葉先生はデジタル黒板に視線を向けたまま、低い声で説明を続けた。
「配信されていた映像も、すぐに削除された。今では、誰かが保存していた映像が、こうした教材や資料として残っているだけだ」
「どうして、死体が外へ出てきたんだろう?」
ユウが不思議そうに首を傾げた。
それについてなら、我に心当たりがある。
我が元の世界で作っていた訓練用ダンジョンも、内部で命を落とした者の身体を入口の外へ排出する仕組みになっておった。
我が魔王軍には蘇生班がおり、死後間もない状態で身体が残っておれば、蘇生は可能だったからな。
…………。
やはり、この世界のダンジョンは、我のダンジョンマスターの力とよく似ておる。
というか、記憶がないとはいえ、ユウよ。
おぬしも以前、我の部下たちを一度殺しておるぞ。
その後、蘇生されたばかりだというのに、あの者たちは我を応援するどころか、最後には勇者へ首を差し出すよう進言しおったな。
「理由はわかっていない。だが、ダンジョン内部で死亡すると、遺体は強制的に外へ排出される」
千葉先生は映像を止めたまま、我らに向き直った。
「この事件以降、無断侵入を防ぎ、排出された遺体を人目に晒さないため、ダンジョンの門は必ず隔壁で覆われるようになった。内部へ入るには、管理施設を通らなければならない」
千葉先生はそう言い終えると、デジタル黒板に映っていた映像を消した。
「しかし、お前たちは平気なんだな」
「うむ。この程度であればな」
「私は少し気持ち悪かったけどね」
ユウは僅かに顔をしかめながらも、具合が悪そうな様子はない。
「変な奴らだな」
千葉先生よ。
そう言うでない。
片や魔王。
片や勇者。
どちらも、この程度の光景で怯えるほど柔ではないからの。




