第三話 我、焦ってキレる (10/4書き直し)
マオは10歳になった。現在は小学校に通う四年生。生まれたばかりの頃とは違い、この世界の文字も読めるようになり、学校で様々なことを学んでいる。そして、学べば学ぶほど、新たな悩みを抱えるようになっていた。
この世界――思っていた以上に、とんでもない。社会の授業で過去の戦争について詳しく知った時など、しばらく教科書から目を離せなかったほどだ。
マオがいた世界にも戦争はあった。魔王国が人間の国から攻め込まれたことも、一度や二度ではない。だから、戦争そのものを知らないわけではなかった。だが、元の世界で大規模な破壊を引き起こすには、長い年月をかけて上位魔法を習得し、それを扱えるだけの魔力と技量が必要だった。それに匹敵する破壊を、この世界では兵器によって繰り返し引き起こすことができる。
元魔王であるマオでさえ、教科書に記された被害を前に言葉を失った。
(戦争、ヤバい!人間、怖い。我、魔王なのにちょっと引いたぞ……)
だが、マオにとっては戦争以上に気になるものが、この世界には存在していた。ダンジョン。
始まりは10年前。東京の地下鉄に、何の前触れもなく現れたという。それを皮切りに同様の現象は世界各地で発生し、今では多くの国にダンジョンが存在している。
幸い、内部に生息するモンスターが外へあふれ出したことはない。一方で、人々はダンジョンに入り、モンスターを倒し、そこで手に入れた様々な素材を持ち帰るようになった。そして生まれた新たな職業――ダンジョンハンター。持ち帰られた素材は衣服や装飾品の材料となり、様々な資源としても利用され、すでに人々の生活に入り込んでいる。
問題は、その出現そのものだった。
ダンジョンについて詳しく知るほど、マオの頭には一つの能力が浮かんでくる。元の世界で持っていた特殊能力の一つ――ダンジョンマスター。今では使えなくなっているが、自らの支配領域としてダンジョンを作り出す能力だった。
もちろん、この世界のダンジョンについては、未だにわかっていないことも多い。それでも、マオにはどうしても無関係とは思えなかった。
しかも――。社会の教科書を見つめていたマオの動きが止まる。
ダンジョンが現れ始めたのは、10年前。マオがこの世界に転生してきたのも、10年前。偶然と片づけるには、少々出来すぎている。
(我、この世界に来た時に何かやった?)
嫌な想像が頭をよぎり、マオはすぐさま首を横に振った。転生直後のマオは赤子だった。目もろくに見えず、手足をもぞもぞと動かすのが精いっぱい。そんな状態で世界中にダンジョンを作ったとは考えにくい。
さらに調べていくと、気になる記録はダンジョン出現以前にもあった。通常の人間では考えられない身体能力や、特殊な力を生まれつき持つ者たち。そうした存在は、最初のダンジョンが現れるより前から確認され始めている。
少なくとも、彼らの存在まで自分のせいということにはならない。そう思いながら、マオは教科書に載っているダンジョンの写真をじっと見つめた。
(我、知らない)
これ以上考えても答えは出そうにない。マオは考えるのをやめ、教科書から目を離した。
「マオ、どうしたの?社会の教科書なんか見て」
隣から声をかけられ、マオは顔を上げた。白崎優紗――ユウが、不思議そうにこちらを覗き込んでいる。
「ユウよ。我、何もしてないよな?」
「?」
当然、ユウは首を傾げる。マオはしばらくその顔を見つめ、再び教科書に視線を落とした。ユウに聞いたところで、わかるはずがない。それでも不安は消えず、口元が僅かに引きつる。
(元の世界の我。助けて)
そんな妙な疑惑を一人で抱えているマオだったが、現在直面している問題はそれだけではなかった。もっと身近で、少々面倒な問題。小学校という場所にも、独特な人間関係がある。そしてマオは、それを少し甘く見ていた。
「魔王!俺が退治してやる!」
「出てけ、魔王!ここは魔王がいていい場所じゃないぞ~!」
休み時間。教室の後ろから飛んできた声に、マオは机に頬杖をついたまま振り返った。男子児童が数人、面白がるように笑っている。
(うむ。懐かしいな。グオウ王国を思い出す)
元の世界では、人間たちから似たような言葉を散々浴びせられてきた。いまさら、この程度で傷つくようなマオではない。もっとも、今のマオ自身も人間ではある。
「我を悪く言うのが面白いのなら、好きにせい」
相手をする気もなく、マオは再び教科書に目を落とした。子供同士の悪口。本人にとっては、その程度の認識だった。
問題は――。
「マオをいじめるな!このクソ馬鹿!」
椅子を蹴る勢いでユウが立ち上がった。その拳が固く握られた瞬間、マオも慌てて腰を上げる。ユウの力で本気で殴れば、相手の骨くらい簡単に折れてしまう。
「ユウ!落ち着け!」
「マオが怒らないからでしょ!」
「我は気にしておらん。所詮は子供の戯言よ」
「マオも子供じゃない!」
「…………」
マオは言葉に詰まった。中身は元魔王でも、見た目も戸籍も10歳の小学生である。こう言われると弱い。
「ユウシャが来たぞ~~!」
「魔王を守るユウシャだ~!」
さらに男子たちが囃し立てる。
ユウの眉が跳ね上がり、再び拳に力が入った。マオはすぐさまその腕を掴む。
「ユウ。放っておけ」
「でも!」
「よい」
宥めるマオの方が疲れてきた。
そして放課後。昇降口に向かったマオは、自分の下駄箱を開けた。そこにあるはずの靴がない。下駄箱は空っぽだった。
もう驚きもしない。すでに何度目かわからなかった。
マオは周囲に気づかれないよう、自分とユウの靴に施してある魔法の印を辿る。反応は、すぐ近くの男子トイレ。
(何故そこなのだ)
毎回似たような場所なのだから、もう少し隠し方を考えればいいのにとさえ思う。
ほどなくして、マオは自分とユウの靴を抱えて戻ってきた。
「ユウよ。靴だ」
「……うん」
ユウは受け取ったものの、いつもの元気がない。
マオはその横顔をちらりと見る。自分に対する嫌がらせだけなら、まだいい。だが、ユウまで巻き込まれているとなれば話は別だ。
(何とかせねばならぬか……)
靴を履き、二人で校門を出る。空は茜色に染まり、傾いた夕日が住宅街を照らしていた。
今日は父の博が久しぶりに帰ってくる予定だった。博は行政のダンジョン研究所で働いており、仕事が忙しく、なかなか家に帰れないことも多い。
そのことを考えると、先ほどまで頭の片隅に追いやっていた疑惑が再び浮かんでくる。本当に自分がダンジョン出現の原因だったとしたら、父が忙しくしている原因まで自分ということになってしまう。マオの足取りが僅かに鈍る。
(父上……もし本当に我が原因なら、すまぬ)
胸の奥が少し重くなる。
その時、隣を歩いていたユウの足音が途切れた。マオは足を止め、振り返る。少し後ろで、ユウが俯いたまま立ち止まっていた。その頬を伝い、ぽたりと涙が落ちる。
「どうした、ユウ。何を泣いておる?」
「マオは悔しくないの!こんなことされて!いじめられて!」
ユウが涙に濡れた顔を上げる。張り上げた声が、夕暮れの住宅街に響いた。
マオは困ったように眉を下げる。学校で受けている嫌がらせなど、マオにとっては大したものではなかった。元の世界では、もっと直接的な敵意や悪意を向けられてきたからだ。
だが、目の前で涙を流すユウは、そう簡単には割り切れないらしい。いつも自分のこと以上にマオのことで怒り、何かあれば真っ先に前に出ようとする。
しかもユウは頭もよく、勇者としての力を引き継いでいるため身体能力も高い。何かと目立つ二人を気に入らない者もいるのだろう。
「結局、目立つ我らが気に入らぬのだろうな……」
マオは少し考えてから、ユウの前に立った。
「我自身のことは、正直何とも思っておらん。児戯に等しいからな。だが、ユウよ」
ポケットからハンカチを取り出し、差し出す。ユウは俯いたまま、それを受け取った。
「ユウのことについては、我も怒っておる」
「なら、どうして!」
「そこで暴力を振るって、何とする」
力で解決するのは簡単だ。特に今の二人なら、同年代の子供を相手にする程度、どうということはない。
だからこそ、やってはいけない。
マオはユウの肩にそっと手を置き、その目を真っすぐに見た。
「まずは外堀から埋める。全てはそれからよ」
正面から力任せに殴り合うだけが戦いではない。使えるものを使い、逃げ道を塞ぎ、相手が言い逃れできない状況を作る。そういう手段を選べるのも、かつて国を治めていたマオの強みだった。
「ユウよ。あと数日待て。そこで決着をつけてやる」
マオは安心させるように口元を緩めると、ユウの頭を軽く撫でた。
「ほれ、帰るぞ。我が城へ」
そう言って、再び夕暮れの道を歩き始める。
数日後。マオは職員室にいた。
「いじめ、ですか?」
「うむ。我とユウがな」
向かいにいるのは、担任の西村。マオはスマホを取り出し、保存しておいたデータを画面に表示した。
「これが証拠の音声。それと、隠され続けた靴を撮影した写真だ」
この数年で、マオもスマホをかなり使いこなせるようになっている。
西村は渡されたスマホを操作し、音声と写真を順番に確認していった。
やがて、その指が止まる。
「……クラスに、いじめはありません」
マオの眉が僅かに動いた。
「今、何と?」
「これはいじめじゃない。ただの悪戯です」
西村はスマホを机に置く。
「音声だけでは、その前後に何があったのかわかりません。それに、靴の写真だけでは、誰が隠したのかも証明できないでしょう」
「ふむ」
「子供同士の悪戯を、何でもいじめにするのはよくありません。この程度では、いじめの証拠にはなりませんよ」
「…………」
マオは黙った。
証拠が不十分。それだけなら理解できる。調査が必要だと言うのであれば、それも当然だ。だが、目の前の教師は調べようともせず、最初から「いじめではない」と決めつけた。
先日、泣いていたユウの顔が脳裏をよぎる。
(我、激怒)
マオは一度だけ、ゆっくりと息を吐いた。怒鳴るな。落ち着け。そう自分に言い聞かせる。
「担任よ。貴様、誰に物申しておる」
言った直後、近くで仕事をしていた教師たちの手が止まり、その視線が一斉にマオに集まった。
(あ。我、切れちゃった)
「あっ、天神さん。い、今の言葉は……」
「黙れ」
今度こそ、職員室が静まり返った。西村の顔が強張る。
そこでマオは、僅かに魔力が漏れ出していることに気づいた。それだけではない。抑えていたはずの威圧魔法まで、無意識のうちに発動している。
(……いかん。少々やり過ぎたか?)
周囲の教師たちまで身体を強張らせ、息を呑んでいた。
だが、ここまで来て引くつもりもない。
「我は優しく話しているつもりだったが……もう一度だけ聞こう」
マオは西村から視線を逸らさない。
「これは、確認して対処すべきことではないのか?」
「あ……その……」
西村が言葉を詰まらせ、やがて周囲の教師たちに視線を向けた。
しばらく誰も動かなかったが、やがて何人かの教師が席を立つ。緊張した様子は残っているものの、動けないほどではないようだ。
そのうちの一人が、西村の机に置かれていたスマホを手に取った。音声と写真を確認していくうちに、その表情が険しくなっていく。他の教師たちも画面を覗き込み、次第に表情を曇らせた。
(どうやら、他の先生はこ奴とは違うようだの)
その様子を見た西村が、慌てたように口を開く。
「少なくとも、確認と対応が必要な事案です」
「うむ。ならば、対処できるな。担任よ」
「……はい」
西村は力なく項垂れた。
ようやく話が通じたらしい。ここから先は、大人たちの仕事だ。
「では、任せる」
記録を確認していた教師からスマホを受け取り、マオは職員室を後にした。
数日後。その頃から、担任の西村は学校に姿を見せなくなっていた。マオが職員室を訪れた後、学校側で何らかの調査が行われたらしい。詳しい事情までは知らないし、マオも知ろうとはしなかった。
同時に、マオやユウに嫌がらせをしていた子供たちも、すっかり大人しくなっている。これで一件落着。
「マオ」
呼ばれて振り向くと、ユウが立っていた。
「どうした?」
「ありがとう。職員室での話、聞いたよ」
「ああ。そのことか」
噂が広がるのは早かった。それ以来、同級生たちがマオを見る目も少し変わったような気がする。以前より明らかに距離を取る者までいた。
(おかげで名実ともに『魔王』扱いされておるがな。まあ、元々魔王なのだが)
「我は魔王ぞ。気にするな、ユウ」
「……うん!」
ユウの顔に、ようやくいつもの笑顔が戻った。それを見て、マオも僅かに口元を緩める。
これで、目の前の問題は片づいた。
だが、本当に気になっている問題は何一つ解決していない。10年前に現れたダンジョン。同じ10年前、この世界に転生した自分。そして、自身が失ったダンジョンマスターの力。
偶然なのか。それとも、本当に何か関係があるのか。
マオは窓の外に視線を向けた。考えれば考えるほど、胸の奥に小さな不安が残る。
(本当に我、何もしてないよな?)




