第二話 我、再会する
あれから数日。
我、目は開くようになったが、未だによく見えぬ。
魔王としての力は残っているが、その一部が失われていることもわかった。
我が消滅しなかったということは、魂の一部だけが生贄となり、我自身も勇者と共に転生してしまったということなのだろうか?
すなわち、ここは勇者がいた世界。
うむ。
よくわからぬ。
それでも何とか、力を使って聴力だけは強化できた。
とにかく、今は情報収集だ。
……したいが、何もできぬ!
我、動けぬ。
手足をもぞもぞと動かすことはできるが、それだけ。周囲から聞こえてくるのも、我と同じ赤子の泣き声ばかりだ。
我、情けない。
「天神さんの授乳の時間です」
うむ?
あまがみ?
誰のことだ?
そんなことを考えていると、誰かの手が我の身体をそっと抱き上げた。
おお。
もしかして、我があまがみという名前なのか?
ふむ。
悪くはない。
そう思っていると、頬に何やら柔らかな感触が触れた。
おや?
何だ、この柔らかい感触は?
うむ……。
これは、何か飲めということなのか?
まあ、腹も減っている。
よくわからぬが、飲めるものなら飲んでおこう。
「ああ、飲んでくれたわ」
「良かった。なかなか泣いて自己主張してくれなかったから少し心配でしたけど、しっかり飲めていますね。この調子なら、予定どおり退院できそうですよ」
うむ。
言っている意味はよくわからぬが、どうやら我が泣かなかったことを心配していたらしい。
つまり、泣けばよかったのだろうか?
しかし、我は魔王ぞ。
そう簡単に泣くわけにはいかん。
まあ、モロイに隠していた高級なおやつを盗み食いされた時は泣いたが、それとこれとは別だ。
それにしても……。
うむ。
腹いっぱいだ。
満足、満足。
これで少し眠れそうだな。
そう思っていたのだが――。
おい!
何故、我の背中を叩く!
やめぬか!
せっかく気分よく満腹感に浸っていたというのに!
むっ……。
いかん。
何かが込み上げてくる。
ま、待て。
これは――。
ゲップが出る!
「けぷっ」
「ゲップも出ましたね」
「ええ、良かったわ」
何が良いものか!
我、魔王。
人前でゲップをするところを見られるなど、恥ずかしいではないか。
「由紀。どうだい?」
ん?
男の声?
「博さん。大丈夫よ。ちゃんと飲んでくれたわ」
「それは良かった」
何が良いのか我にはよくわからぬが、恐らく由紀という者が我の母上なのだろう。
では、この博という者が我の父上か。
「それより、名前の届け出は?」
名前?
我はあまがみではないのか?
「ああ。届け出もしてきたよ」
「私たち二人で決めた名前ね」
「ああ。この子は、魔王と書いてマオだ」
「え?」
え?
我、元々魔王ぞ?
というか、先ほどの声。
何故か少し引いていたような気がするのだが……どうしたのだ?
「天神さん。その……お名前は『魔王』と書いて、読み方が『マオ』で間違いないですか?」
「はい。二人で考えて決めた名前です。魔王のように力強く、そしてしたたかに生きてほしい。そんな意味を込めています」
「……かなり珍しいお名前ですけど、本当にそれでよろしかったんですね?」
「役所でも、読み方について何度か確認されましたけど、大丈夫です」
…………。
大丈夫なのか?
我にはよくわからぬ。
だが、一つだけわかったことがある。
どうやら我は、この世界でも魔王らしい。
そして、月日は流れた。
我、五歳。
そして、ようやく理解した。
どうやら、この世界はかなり変わっているらしい。
まず、我が今住んでいる家。
魔王城と比べると、かなり小さい。
父上は「二階建ての庭付き一軒家だぞ」と自慢げに言っていたが、我がかつて住んでいた魔王城は、そんなちっぽけなものではない。
まあ、あそこは我の住居であると同時に、魔王国を治めるための職場でもあったのだ。
単純に比べるものではないのかもしれぬ。
だが、それも今は昔の話。
向こうの世界に残った、もう一人の我。
今頃、頑張っているのだろうか。
山積みの書類に囲まれ、モロイの小言から逃げ……。
うむ。
きっと平和に暮らしているだろう。
それよりも今、我が驚愕しているのは、父上からもらった旧式の一枚の板だ。
スマホと呼ばれている。
我、驚愕。
何だ、これは?
小さな板の中に文字が浮かび、絵が動き、遠くにいる者とも話ができる。
しかも、指先で少し触れるだけで、次から次へと情報が出てくるではないか。
魔法ではない。
この世界には、科学という技術が存在するらしい。
正直に言おう。
何故これが動いているのか、我にはさっぱりわからぬ。
父上の話では、電気というもので動いているらしい。
電気。
いわゆる雷の力だな。
つまり、この世界の人間たちは、雷を操り、この小さな板を動かしているということか。
…………。
科学、恐ろしい。
「こんにちは!」
誰だ?
我がスマホに夢中になっているところを邪魔するのは。
「マオちゃん。外で遊ぼ!」
このやかましい声。
そして、我が物顔で我の家へ上がり込んでくる、この遠慮のなさ。
こ奴は、我の幼馴染――というものらしい。
「マオちゃん! スマホばかり見てたら、目が悪くなるよ!」
ええい、揺さぶるな!
我は今、この世界について大切な情報収集をしているところなのだ。
まだまだ知らぬことが多いというのに。
「我は今、忙しい。また今度だ、ユウ」
「え~~! いいじゃん、遊ぼうよ!」
まったく。
何の因果なのだろうな。
こ奴の名は、白崎優紗。
我の家の隣に住んでいる、同い年の少女だ。
しかも、こ奴も我と同じキラキラネームというものらしい。
優紗と書いて、ユウシャ。
そう。
こ奴こそ、あの時の勇者だ。
名前だけで判断したわけではないぞ。
初めて会った時から、こ奴の魂には覚えがあった。
幼くなっているが、その顔には面影があり、魂の気配も変わらぬ。
あれほど我の首を狙ってきた勇者を、忘れるはずがない。
それにしても、まさか我の家の隣に住んでいるとは……。
我、驚愕。
「マオちゃん。行こうよ!」
ええい!
我の髪を引っ張るな!
母上がせっかく結んでくれた、このツインテールという髪型が乱れるではないか!
「ユウシャよ。ちと強引すぎるぞ」
「その呼び方は嫌! ユウって呼んでって、いつも言ってるでしょ!」
何を嫌がる。
ユウシャで間違いないではないか。
我は魔王ぞ。
「ねえ、マオちゃん。遊びに行こう!」
何だ、そのキラキラした目は。
ええい!
その長い髪でスマホの画面を隠すな!
「わかった。我の負けだ。仕方ない、付き合ってやろう」
「やった!」
まったく。
だが、一応、母上には外へ行くことを伝えておかねばなるまい。
「母上に言ってくるから、少し待っておれ」
「早くね!」
こ奴……。
まあ、よい。
とりあえず、二階にある母上の仕事部屋へ行くとするか。
我はスマホを置いて立ち上がり、部屋を出た。
そのまま階段へ向かったのだが――。
……。
何故、ついてくる?
「なぜ、ついてくるのだ?」
「だって、挨拶しないと。由紀おばさんに」
我、思う。
こ奴、礼儀正しいのか、それとも我がままなのか、未だによくわからぬ。
とにかくだ。
まずはノック。
母上からは、仕事部屋へ入る時には必ずノックをするように言われている。
「マオ? 大丈夫よ。入ってらっしゃい」
「失礼する」
「おじゃましま~す!」
「あら。ユウちゃん、いらっしゃい」
部屋へ入った我は、まず周囲を見回した。
そして思う。
母上。
とりあえず、少しは片づけぬか?
我が言うのも何だが、資料や紙で散らかりすぎだと思うぞ。
アシスタント諸君も少しは注意すればいいのに。
「おばさん。また新作描いてるの?」
「そうよ。短編だけど、新しい漫画をね」
漫画。
我は初めてこれを読んだ時、衝撃を受けた。
文字と絵を組み合わせ、物語を伝える。
しかも、この世界には、それが数えきれぬほど存在しているのだ。
異世界には、これほど多くの物語が絵によって描かれているのかと、最初は度肝を抜かれたものだ。
未だに読めぬ漢字も少しあるが、それでも漫画というものは実に素晴らしい。
もし、これを元の世界で広めることができていたなら、一大産業に成長していたのではないだろうか。
元の世界に残った、もう一人の我。
異世界にいるこの我の思念を、どうにか受け取ることはできぬものだろうか。
漫画。
これは絶対に広めるべきだぞ、我。
ただし、締め切りとやらは廃止するのだ、我。
母上は、あれのせいで何度も疲弊していたからな。
「それで、今日はどうしたの?」
おっと。
そうだった。
「母上。我は今からユウと公園にでも行ってくる」
「毎回思うけど、マオちゃんの喋り方って、どこかで聞いたことがあるんだよね」
それは、我がいた元の世界での話だ。
本来ならば、あちらでの記憶は失われているはずなのだが……。
記憶そのものはなくとも、何か感覚のようなものが残っておるのだろうか?
うむ。
我にもよくわからぬ。
「いいわよ。それにしても、マオちゃんは本当に理想の娘だわ。その喋り方も素敵よ」
母上よ。
我が言うのも何だが、幼稚園ではこの喋り方はかなり珍しいらしいぞ。
「まるでアニメに出てくる魔王みたい。名前にもぴったりね」
うむ。
そこは我もそう思う。
魔王たるもの、威厳は大事だからな。
「うん。マオちゃんの喋り方、私は好きだよ」
ユウよ。
貴様もわかっているではないか。
我、少し嬉しい。
「五時のサイレンが鳴ったら、ちゃんと帰ってらっしゃい」
「わかった。アシスタントの皆も、母上を頼む」
「ばいばーい!」
さて。
母上から許可ももらった。
「では、公園に行くか」
「れっつごー!」
まったく。
勇者よ。
まさか、お前を我が守らねばならぬ日が来るとはな。
「マオちゃん、早く早く~~!」
…………。
いや。
守る必要があるのか?
というか、こ奴――勇者の力をそのまま持ってきているではないか!
「ユ、ユウ! 待て! 何故、我を抱えて走っておる!」
「だって、マオちゃん遅いんだもん!」
おかしいだろう!
どうやったら五歳の子供が、同い年の我を抱えたまま全力で走れるのだ!
見ろ!
近所の田中さんとやらが、化け物でも見るような目でこちらを見ているではないか!
「ユウ! 降ろせ! 我を今すぐ降ろすのだ!」
「公園まで、あとちょっとだよ!」
そういう問題ではない!
我でも同じことはできるが、こういう力は、隠すべきだろう。
スマホや漫画では隠すのが定番となっていたぞ!
我、そう思う今日この頃。




