第二話 我、勇者と幼馴染 (10/4書き直し)
[書き直しと新規更新について]
10/4
いつも『魔王と勇者 ~我、異世界転生した!~』をお読みいただき、ありがとうございます。
大変申し訳ありませんが、今後、順次エピソードの書き直しを行っていきます。
書き直しが完了したエピソードについては、タイトルの()内に変更日を記載いたしますので、そちらをご確認いただければと思います。
なお、物語の大筋に変更はありませんが、一部、魔法に関する設定や描写について変更を行う予定です。
読んでいただいている皆さまには大変申し訳ありませんが、ご理解いただけますと幸いです。
また、新規エピソードの更新については、現在公開しているエピソードの書き直しがすべて完了した後に再開する予定です。
しばらく新規更新をお待たせすることになりますが、こちらについてもご理解いただけますよう、よろしくお願いいたします。
あれから数日が経ち、赤子となった魔王――マオは、ようやく目を開けられるようになっていた。もっとも、見える景色は未だぼんやりとしている。近くに何かがあることくらいはわかるものの、それが何なのかまでは判別できない。
身体も思うようには動かせなかった。それでも、魔王だった頃の力は残っている。ただし、すべてではない。一部の力が失われていることも、この数日で何となくわかっていた。
(我は送還魔法の生贄となり、消滅するはずだった。だが、こうして転生して生きておる。もしや、生贄になったのは魂の一部だけで、我自身も勇者と共にこの異世界へ来てしまったのか?)
そう考えてみるものの、答えは出ない。
そもそも今のマオは赤子だ。手足をもぞもぞと動かすことしかできず、自分で起き上がることさえできない。どうにか魔力を使って聴力を強化してみても、周囲から聞こえてくるのは自分と同じ赤子たちの泣き声ばかりだった。
(情報が欲しいというのに……これでは何もわからぬではないか)
そんな中、これまでとは違う声が耳に届いた。
「天神さんの授乳の時間です」
(うむ?あまがみ?)
聞き慣れない言葉に反応し、マオは小さく首を動かそうとする。当然、ろくに動かなかった。
(誰のことだ?)
そう考えていると、誰かの手が小さな身体をそっと抱き上げた。
(おお?)
ふわりと身体が持ち上がる。
(もしかして、我があまがみという名前なのか?ふむ。悪くはない)
そんな見当違いなことを考えているとも知らず、女性は慣れた手つきでマオの身体を支えた。
やがて、頬に何やら柔らかなものが触れる。
(む?何だ、これは?)
続いて口元に何かが触れ、本能に促されるまま口を動かすと、空っぽだった腹が少しずつ満たされていった。
(なるほど。飲めということか)
「ああ、飲んでくれたわ」
「良かった。なかなか泣いて自己主張してくれなかったから少し心配でしたけど、しっかり飲めていますね。この調子なら、予定どおり退院できそうですよ」
聞こえてきた会話から、どうやら自分があまり泣かなかったことを心配されていたらしいとマオは理解する。
(つまり、泣けばよかったのか?しかし、我は魔王ぞ。そう簡単に泣くわけにはいかん)
そこまで考え、不意に元の世界での出来事を思い出す。
(まあ、モロイに隠していた高級なおやつを食われた時は泣いたが……あれは別だ)
何にせよ、腹は満たされた。全身から力が抜け、心地よい眠気までやってくる。
(うむ。満足、満足。このまま眠るとするか)
マオが目を閉じようとした、その時だった。背中を軽く叩かれる。
(何故、我の背中を叩く!)
もう一度。さらにもう一度。
(やめぬか!せっかく気分よく満腹感に浸っておったというのに!)
抗議したくても、言葉にはならない。しかも、今度は腹の奥から何かが込み上げてきた。
(むっ……いかん。何か来る。ま、待て。これは――)
「けぷっ」
「ゲップも出ましたね」
「ええ、良かったわ」
(何が良いものか!)
仮にも魔王である。人前でゲップをするなど、威厳に関わる重大事だった。
「由紀。どうだい?」
そこへ、今度は男の声が聞こえてきた。
「博さん。大丈夫よ。ちゃんと飲んでくれたわ」
「それは良かった」
由紀。博。
(恐らく、この由紀という者が我の母上。そして、博という者が父上なのだろう)
顔はまだよく見えない。それでも、二人の声だけは覚えておくことにした。
「それより、名前の届け出は?」
(名前?)
マオの意識がそちらに向く。
(我は、あまがみではないのか?)
「ああ。この子は、魔王と書いてマオだ」
「え?」
別の女性から、戸惑ったような声が漏れた。同時に、マオの思考も一瞬止まった。
(え?)
魔王。マオ。
(我、元々魔王ぞ?)
「天神さん。その……お名前は『魔王』と書いて、読み方が『マオ』で間違いないですか?」
「はい。二人で考えて決めた名前です。魔王のように力強く、そしてしたたかに生きてほしい。そんな意味を込めています」
「……かなり珍しいお名前ですけど、本当にそれでよろしかったんですね?」
「役所でも、読み方について何度か確認されましたけど、大丈夫です」
…………。
(本当に大丈夫なのか?)
この世界の名前について詳しくないマオには判断できない。ただ、一つだけわかったことがある。
前の世界では魔王。そして、この世界でも名前は魔王。
(どうやら我は、ここでも魔王らしい)
それから月日は流れ――マオは五歳になった。歩ける。走れる。言葉も自由に話せる。何より、自分の力で好きなだけ情報を集められる。そうしてこの世界について学んだマオは、一つの結論に至っていた。
(この世界、かなり変わっておる)
たとえば、現在暮らしている家。父の博は「二階建ての庭付き一軒家だぞ」と自慢げに話していたが、かつてマオが暮らしていた魔王城と比べれば、驚くほど小さい。もっとも、魔王城は住居であると同時に、魔王国を治めるための政務を行う場所でもあった。単純に比べるものではないのだろう。
そして、元の世界には魂の複製によって生まれた、もう一人の自分が残っている。
(今頃どうしておるかの。山積みになった書類に囲まれ、モロイの小言から逃げ……)
そこまで考え、マオは僅かに視線を逸らした。
(うむ。きっと平和に暮らしておるだろう)
深く考えないことにした。
そんなマオが今、何より夢中になっているものがある。父から譲り受けた一枚の薄い板。スマホ。旧式らしいが、マオにとっては十分すぎるほど未知の道具だった。小さな画面に文字が映る。絵が動く。遠く離れた人間と話すことまでできる。しかも、指先で画面に触れるだけで、次々と情報が表示されるのだ。
もちろん、魔法ではない。科学。この世界ではそう呼ばれている。父の話によれば、スマホは電気を使って動いているらしい。
(電気……つまり雷の力であろう?この世界の人間は、雷を利用してこれほど小さな道具を動かしておるのか)
画面を操作するうち、マオの眉間に僅かな皺が寄る。
(科学……恐ろしい)
「こんにちは!」
玄関の方から、元気な声が響いた。マオはスマホから顔を上げる。
「マオちゃん。外で遊ぼ!」
聞き慣れた声。そして、遠慮という言葉を知らないかのように家に上がり込んでくる足音。確認するまでもない。
「マオちゃん!スマホばかり見てたら、目が悪くなるよ!」
部屋に飛び込んできた少女が、背後からマオの肩を掴んで揺さぶった。
(ええい、揺さぶるでない!我は今、大切な情報収集をしておるのだぞ!)
「我は今、忙しい。また今度だ、ユウ」
「え~~!いいじゃん、遊ぼうよ!」
少女の名は、白崎優紗。マオの家の隣に住んでいる同い年の少女であり、幼馴染でもある。
そして――。優紗と書いて、ユウシャ。
(何の因果なのだろうな)
もちろん、名前だけでそう判断したわけではない。マオは初めて優紗と出会った時から、その魂に覚えがあった。幼くなっていても、顔には面影が残っていた。何より、魂から感じる気配が同じだった。
あれほど執拗に自分の首を狙ってきた相手を、間違えるはずがない。目の前の少女こそ、あの時の勇者だった。
ただし、本人には元の世界での記憶がない。
「マオちゃん。行こうよ!」
待ちきれなくなったユウが、マオの髪を軽く引っ張る。
「むっ。ユウシャよ。ちと強引すぎるぞ」
「その呼び方は嫌!ユウって呼んでって、いつも言ってるでしょ!」
(何を嫌がる。ユウシャで間違っておらぬではないか。我など魔王と書いてマオぞ)
それに本当に勇者なのだから、これほど似合う名前もない。
「ねえ、マオちゃん。遊びに行こう!」
ユウが顔を近づけてくる。長い髪が垂れ、スマホの画面を完全に隠した。
(ええい!見えぬではないか!)
こうなっては情報収集どころではない。マオは諦めたようにスマホを置いた。
「わかった。我の負けだ。仕方ない、付き合ってやろう」
「やった!」
両手を上げて喜ぶユウ。その姿を見ながら、マオは小さく息を吐いた。
出かけるのであれば、母に伝えておく必要がある。
「母上に言ってくるから、少し待っておれ」
「早くね!」
(まったく。せっかちな奴よな)
マオは椅子から降りると、二階にある母の仕事部屋へ向かった。ところが階段を上がり始めると、背後からユウまでついてくる。
「なぜ、ついてくるのだ?」
「だって、挨拶しないと。由紀おばさんに」
マオは振り返り、ユウの顔を見上げた。
(こういうところだけは妙に礼儀正しいのだよな。強引なのか礼儀正しいのか、未だによくわからぬ)
二階に上がると、マオは仕事部屋の扉の前で立ち止まった。ここに入る時には必ずノックをすること。それが母との約束だ。小さな手で扉を叩く。
「マオ?大丈夫よ。入ってらっしゃい」
「失礼する」
「おじゃましま~す!」
「あら。ユウちゃん、いらっしゃい」
中に入ったマオは、すぐに部屋を見回した。
机の上には紙や資料。床には積み重ねられた資料の束。本棚にも資料。さらに、描きかけらしい原稿まで置かれている。
部屋のあちこちでは、アシスタントたちもそれぞれ原稿に向かっていた。
(母上……少しは片づけた方がよいと思うぞ)
母の由紀は漫画家だ。漫画。それもまた、マオがこの世界で出会い、衝撃を受けたものの一つだった。
「おばさん。また新作描いてるの?」
「そうよ。短編だけど、新しい漫画をね」
文字と絵を組み合わせ、物語を伝える。この世界には、そんな作品が数え切れないほど存在している。未だに読めない漢字はいくつかある。それでも、マオはすっかり漫画に夢中になっていた。
(元の世界でも広められぬものか。もう一人の我よ。どうにか我の思念を受け取れ。漫画は絶対に広めるべきぞ)
ちらりと母の机を見る。大量の資料と原稿が積み上がっていた。
(ただし、締め切りとやらは廃止せよ。あれは危険だ)
母が締め切り前になるたび疲れ果てていることを、マオはすでに知っていた。
「それで、今日はどうしたの?」
由紀の声で、マオは本来の目的を思い出す。
「母上。我は今からユウと公園にでも行ってくる」
「毎回思うけど、マオちゃんの喋り方って、どこかで聞いたことがあるんだよね」
ユウが不思議そうに首を傾げた。マオは思わず、その顔を見る。
(やはり何か残っておるのか?)
本来なら、勇者は元の世界へ戻った時点で、異世界で過ごした記憶を失っているはずだった。しかし、ユウは時折こうして妙な反応を見せる。記憶そのものではなくても、魂に感覚のようなものが残っているのかもしれない。
(まあ、考えても今はわからぬか)
「いいわよ。それにしても、マオちゃんは本当に理想の娘だわ。その喋り方も素敵よ」
由紀が嬉しそうに笑う。
「まるでアニメに出てくる魔王みたい。名前にもぴったりね」
(そこは我もそう思う。魔王たるもの、威厳は大切だからな)
「うん。マオちゃんの喋り方、私は好きだよ」
ユウまで笑顔で頷いた。
(ほう。わかっておるではないか)
マオの口元が僅かに緩む。褒められるのは、悪い気分ではなかった。
「五時のサイレンが鳴ったら、ちゃんと帰ってらっしゃい」
「わかった。アシスタントの皆も、母上を頼む」
「ばいばーい!」
母からの許可も得た。マオとユウは仕事部屋を出ると、一階へ向かう。
「では、公園に行くか」
「れっつごー!」
ユウが勢いよく片腕を突き上げる。
かつて自分の首を狙っていた勇者。そんな少女が、今では自分の幼馴染として隣を歩いている。
(まさか、勇者を我が守る日が来るとはな)
「マオちゃん、早く早く~~!」
玄関を飛び出したユウが、少し先から手を振っている。マオはその姿を眺めた。
(…………いや。こ奴、本当に我が守る必要があるのか?)
そう思った直後、待ちきれなくなったユウが戻ってきた。そして何の前触れもなく、マオの身体をひょいと抱き上げる。
「ユ、ユウ!待て!何故、我を抱えて走っておる!」
「だって、マオちゃん遅いんだもん!」
そのまま全力で走り出した。速い。明らかに、五歳の少女が同い年の子供を抱えて出せる速度ではない。走る勢いで、マオの髪が激しく後ろになびく。
(こ奴――勇者の力まで持ってきておるではないか!)
しかも、何の迷いもなく人前で使っている。
道の向こうでは、近所に住む田中さんが足を止め、信じられないものを見るような顔でこちらを見ていた。
(見よ!田中殿が化け物でも見るような顔をしておるぞ!)
「ユウ!降ろせ!我を今すぐ降ろすのだ!」
「公園まで、あとちょっとだよ!」
「そういう問題ではない!」
マオも、同じことをしようと思えばできる。だが、こういう力は隠すものだ。漫画でもアニメでも、特殊な力を持つ者は、それを人前で隠していることが多い。
(何故、勇者のくせにその辺りがわかっておらぬのだ!)
そんなマオの抗議などまるで気にせず、ユウは楽しそうに住宅街を走り抜けていく。
かつて異世界で敵として出会った魔王と勇者。今は五歳の幼馴染。立場は大きく変わった。それでも――。
(何故、騒がしいところだけ何も変わっておらぬのだ……)




