第16話 我、期待を胸に
動きやすい服装。
昨日送られてきた予定表の注意事項には、そう書かれておった。
それを見た我が選んだのは――。
ジャージよな。
軽く、身体の動きを妨げぬうえ、多少汚れたところで困ることもない。運動や訓練を行うかもしれぬ今日、学校へ着ていく服として、これほど合理的なものもあるまい。
我は結構好きぞ。
何より、着ていて楽だからな。
「マオ。その格好で行くの?」
「うむ。母上。楽で、身体も動かしやすいからな」
朝食が並ぶ食卓へ向かうと、椅子に座っていた母上が我の姿を見て、僅かに目を丸くした。
その隣では、父上が我の頭から足元までをゆっくりと眺めておる。
「マオちゃん。もう少し女の子らしい服では駄目なのかい?」
父上よ。
我、魔王ぞ。
服装は見栄えだけで選ぶものではない。着る目的と場所を考え、最も効率のよいものを選ぶべきであろう。
「可愛い服でも構わぬが、今日は学校で動くかもしれぬのだぞ。汚す可能性もあるではないか」
「そうだけどね。外へ出る格好としては、あまりにもラフすぎるというか……」
父上は納得しきれない様子で、我のジャージを見つめ続けておる。
ふむ。
どうやら父上は、我にもう少し可愛らしい服を着てほしいらしい。
昨日の入学式では、母上たちが選んだ黒を基調としたパンツスーツを着ておったからな。あの時の姿が随分と気に入っていたのだろうか。
「あなた。そこまでよ。マオが自分で考えて選んだのだから、それでいいでしょう?」
母上の静かな一言に、父上は僅かに肩を落とした。
うむ。
流石、母上。
父上を止める時の判断が早い。
「うむ。我は学びに行くのだ。おしゃれは二の次よ。それよりも朝食だ。母上、ありがとう」
食卓の上から、温かな湯気がゆっくりと立ち上っておる。
炊きたてのご飯。
味噌の香りが食欲を誘う味噌汁。
綺麗な黄色に焼き上げられた卵焼き。
表面に程よく焼き色のついたウインナー。
ふっ。
完璧よな。
流石、母上。
朝からこれほど整った食事を用意してもらえるとは、実にありがたいことだ。
「いただきます」
我は両手を合わせ、静かに頭を下げた。
我は、この言葉が好きだ。
食材となった命への感謝。
それを育て、運び、料理した者たちへの感謝。
様々な意味が込められておると知ってから、我も食事の前には必ず口にするようになった。
元の世界でも、食べ物が当たり前に手に入ったわけではない。
天候が悪ければ作物は育たず、魔物や災害によって流通が止まることもあった。国を治めていたからこそ、一食を何事もなく食べられることが、どれほど恵まれているのかは理解しておる。
だからこそ、我は感謝して食べるのだ。
まずは味噌汁を一口。
温かな汁が喉を通り、身体の内側へじんわりと染み渡っていく。続いて卵焼きを口へ運べば、柔らかな甘みが舌の上に広がった。
「美味い」
我、幸せ。
朝から美味い食事を摂れば、それだけで今日一日を乗り切れる気がするよな。
「母さん。本当にいいのかい?」
まだ諦めておらぬのか、父上が母上に小さく問いかけた。
「いいの。予定表にも、動きやすい服装で来るように書かれていたのでしょう? マオなら自分で考えられるわ」
母上は使い終えた食器と空になったカップを流し台へ運ぶと、我の頭を優しく撫でた。
「さて、私は仕事に戻るわね。マオ、忘れ物には気をつけるのよ」
「うむ。承知した」
「それじゃあ、準備をしっかりね」
母上はそのまま二階の仕事部屋へ戻っていった。
今日も締め切りとやらが近いのだろうか。
朝食を終えたばかりだというのに、休む間もなく仕事へ戻るとは大変よな。
母上。
無理だけはするでないぞ。
「マオちゃん。今度、一緒に服を買いに行こうか」
「よいのか? ありがとう、父上」
…………。
おや?
我、何故か新しい服を買ってもらえることになった。
ジャージを選んだだけなのだがな。
まあ、父上が買ってくれるというのなら、断る理由もあるまい。
どのような服があるのか、今から少し楽しみだ。
我は残っていたご飯と味噌汁を綺麗に食べ終え、再び両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
さて。
食事を終えたら、次は登校の準備よな。
我は食器を流し台へ運んでから自室へ戻り、机の上に並べておいた持ち物を確認していく。
昨日支給されたハンタースマホは、設定も充電も問題なし。
生徒手帳は、鞄の内側にある留め具付きのポケットに入れておく。
スマートウォッチを右腕に装着し、専用ケースに収めた認証プレートは首から下げ、ジャージの内側に入れておいた。
後は、ノートと筆記用具、汗を拭くためのタオル、少額の現金を入れた財布。
それから、普段使っているスマホ。
ハンタースマホがあるとはいえ、家族や友人との連絡には、これまで使っていた物の方が都合がよいからな。
我は鞄の中をもう一度確認する。
ハンタースマホ。
生徒手帳。
スマートウォッチ。
認証プレート。
ノートと筆記用具。
タオル。
財布。
普段使いのスマホ。
うむ。
すべて揃っておる。
「よし!」
我、準備完了!
我が鞄を肩に掛けた、ちょうどその時。
「マオ! 行くよ~~!」
玄関の向こうから、聞き慣れた声が響いてきた。
ユウよ。
もう来たのか。
相変わらず朝から元気よな。
「うむ。今行くぞ!」
我は自室を出て階段を下り、父上に見送られながら玄関へ向かった。
扉を開けると、そこには鞄を肩に掛けたユウが立っておる。
そして、その服装を見た瞬間、我は僅かに目を細めた。
…………。
ジャージ。
ユウよ。
おぬしもか。
やはり考えることは同じよな。
動きやすい服装を指定されれば、まずジャージを選ぶ。当然の結論だと我は思うぞ。
「マオもジャージなんだ」
「うむ。ユウも同じではないか」
「だって、予定表に動きやすい服って書いてあったから」
「我も同じ理由よ」
我とユウは互いの姿を見比べ、そのまま顔を合わせた。
ふっ。
流石、長年一緒におる幼馴染。
こういうところでは、考えが似るものなのだな。
「では、行ってくる」
「行ってきまーす!」
「二人とも、気をつけて行くんだよ」
背後から父上の声が届き、続いて二階の方から母上の声も聞こえてきた。
「行ってらっしゃい。最初から張り切りすぎないのよ」
「うむ!」
「はーい!」
我とユウはそろって返事をすると、並んで家を出た。
春の朝。
まだ少し冷たさの残る風が頬を撫でる。
住宅街には職場や学校へ向かう人々の姿が増え、遠くから車の走行音や自転車のベルが聞こえてきた。
昨日は入学式。
そして、今日から本格的に始まる中学校生活。
ダンジョンについて。
武器について。
ハンターとして必要な知識と技術について。
今日、我らを待っているのは、一体どのような授業なのだろうな。
まずは駅まで歩き、そこから電車で学校へ向かうのだ。
我、期待!




