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空が裂けた日②

サイレンが鳴っても授業は続く。取り乱した様子もなく生徒たちの半数は真剣にノートを取っていたが、半数はスマホをいじったり、昴と同じくぼんやり窓の外を見ていたりする。魔獣の脅威は日常になりすぎて、記録の中の惨状も現在はただの日常だ。

「先生、結局人類はどれだけ土地を取り戻したんですか?」

後ろの席の男子が手を挙げて聞いた。

「現在、旧日本の国土の約28%が人類の安定支配下にあると言われています。西京府を中心とした近畿圏が最も安全ですが、それでも夜間は外出制限があります」

昴は唇を噛んだ。

28%。46年経って、まだ3割にも満たない。ニュースでは「生存圏拡大」とか「着実な前進」とか言っているが、現実の街は薄暗い夜と、時折聞こえるサイレンに紛れた魔獣たちの唸り声だ。

授業が終わり、チャイムが鳴った。

「昴、今日カラオケ行かない?」

クラスメイトの蓮が肩を叩いてくる。明るい茶髪で、いつも笑顔を絶やさない奴だ。

「悪い。母親の具合があんまり良くないから、早く帰るわ」

「また? ……エーテル汚染のやつか」

「ああ」

短く答えて鞄を肩に掛ける。蓮はそれ以上追及せず、「じゃあまたな」と手を振った。

西京府立第一高校の正門を出ると、すでに空は紫がかった灰色に染まっていた。エーテル発電の影響で、昼間でも太陽の光が少し濁って見える。石畳の道を歩きながら、昴は古い木造住宅が並ぶ路地を進んだ。

帰路の途中、路地裏の祠の前で足を止めた。小さな狛犬の石像に、誰かが新しいお賽銭を供えていた。征魔学院の生徒がやる「魔除け祈願」だという。学院の制服を着た生徒たちが、時折この辺りを巡回しているのを見かける。ふと、父親のことを思い出して着けていた腕輪に目をやる。

「……こんなの、意味ないのに」

昴は小さく呟いて歩き出した。

家に着くと、母親の静代が台所で培養肉の炒め物をしていた。背中が少し薄くなり、咳を何度も我慢しているのが分かった。

「おかえり、昴。今日は早いね」

「うん。……薬、飲んだ?」

「飲んだよ。大丈夫」

笑顔が無理をしているのが丸わかりだった。父親が亡くなってから、母親はエーテル汚染の後遺症で体が弱り続けている。征魔庁の補償金だけでは、最新の浄化治療を受け続けるのは厳しかった。

夕食後、昴は二階の自室で古い教科書を広げた。数学の予習をしようとしたが、集中できない。窓の外では、遠くの征魔学院の灯りが青白く揺れていた。

(あそこに入ったら……母親の治療費も出るんだろうな)

征魔学院は魔獣と戦う戦士、裂界師の育成を目的とした機関だ。学院生は裂界師の候補生として手厚い保障を受けられる。だが、一度入ったら魔獣との戦いに巻き込まれる。死ぬ確率も跳ね上がる。

「俺も小さい時は憧れてたな……」

そこまで考えて、昴は苦笑した。

自分に特別な力などあるはずがない。ただの一般人だ。自分が、何かを変えられるわけがない。父親が死んだ時から分かっていたことだ。

昴はネガティブな気持ちを切り替えようと頭を振る。

「一旦やめて、散歩でも行くか…」

既に寝静まった母親を起こさないよう、慎重に家を出る。

昴は河川敷を目指して薄暗く青白い光に照らされた石畳の上を歩く。

(信じられないよな。今でも街の外には裂け目から魔獣が湧いてるのに)

街の中は痛いくらい静かで川沿いに並ぶ街頭の青白い光が少し眩しい。人通りも無く、歩いているのは昴だけだ。そろそろ帰ろうと来た道を振り返ると

-ピシッピシッ…と空間が蜘蛛の巣の形にひび割れていた。

(これ、ヤバいんじゃ……)

逃げなければ。穴が開き切って仕舞えば魔獣が出てくる。その前に逃げなければ。そう思うのに足は震えて思う様に動かない。

ついに、パリンッと音を立てて空間の裂け目が開く。裂け目が開いたのと同時に遠くの方でサイレンが鳴り響く。昼間聴いたのと同じ、魔獣の出現を警告するサイレンだ。

裂け目から飛び出してきたのは、赤い目をした角が生えた兎だった。体長は一メートル近くあり、愛らしい姿とは裏腹に、その角は人間の胴体を容易く貫く凶器だ。

(動け……! 逃げろ!)

足が震えて言うことを聞かない。

角兎が地面を蹴り、灰色の体が弾丸のように迫る。

——死ぬ。

昴はぎゅっと目を閉じた。

しかし、痛みも衝撃も訪れなかった。

代わりに聞こえたのは、低く静かな男の声だった。

「まったく……こんな時間に散歩とは、随分と物好きだな」

昴が恐る恐る目を開けると、そこに立っていたのは黒髪の長身の青年だった。

肩に担いだ刀の刀身は仄かに薄紫色に輝いている。角兎の首はすでに胴体から離れ、地面に転がっていた。

青年は刀を軽く振って血を払い、こちらを振り向いた。口元には、どこか自嘲めいた薄い笑みが浮かんでいる。

「怪我無いか、坊主」

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