第7話 勇者ならここにいるよ
「――勇者ならここにいるよ」
暗い空。雷が鳴る。
見上げたフェゴールは声の主を瞳に映す。
長い黒髪をたなびかせ、線の細い女が宙に浮く。手には大きな魔法杖。氷柱のように冷めたい瞳。
街外れに住み、店によく訪れては他愛もない話をする。どんなときでも明るい笑顔で、俺の心に光をあててくれる。
「なんで……」
踏みつけられたクラストは地面に伏せたまま目だけを上げる。
勇者の名乗りをあげたその人は――
――俺が来店を心待ちにしていたトアルだった。
勇者が、トアル……?
「お前が本物の……勇者……」
フェゴールは眼光を鋭くし、周囲の瓦礫を巻き上げた。
強風がうねり、建物を破壊していく。重い破片を軽々と持ち上げ、木の葉のように舞い散らせる。
「ただ魔法が使えるだけで、勇者を騙ってるわけじゃねえよなぁ!」
フェゴールが吠えると、天に登った瓦礫で竜巻をつくり出し、トアルに襲いかからせた。
「危ない!」
思わずクラストは叫んだ。
彼女の黒い瞳と一瞬、目が合う。
大丈夫だよ。
そう彼女の声がした。
回転する風の刃に周囲の木々が切り刻まれる。
ぼろぼろになった幹が根こそぎ抱きかかえ上げられ、空を舞った。
荒れ狂う風音の隙間をくぐり抜け、流れるせせらぎのような声が澄み渡った。
「花曇に咲きし白木の樹枝――――」
歌うように、彼女は言葉をのせる。
「瞬きに見えた轟然なる獣よ――――」
雲に覆われた空が光をうみだす。
「赫灼の烈火を大地に刻め――――烙雷」
詠唱と同時に、世界が白む。天の咆哮が耳を劈いた。
空中に漂う残骸を溶かしながら、白い閃光がフェゴールの肉体を直撃した。
びりびりとした重低音に身を縮こませるクラストは、ほんのりと暖かい空気に体を包まれる。
トアルの張った防護結界が、地面を駆け巡る雷撃を弾き返した。
肉の焦げ付く臭い。
クラストは視線をそちらに向ける。
燃え上がったフェゴールの巨躯は、ただそこに棒立ちとなり、燻る木炭のように灰を滲ませる。
どしゃ、と体を地面に横たえさせた。
「これが、本物のぉ……勇者……」
フェゴールの絞り出すような声。トアルは答えた。
「期待に沿えられたようで」
手をかざし、魔法を唱える。
とどめの一撃を施した彼女は、すぐさまクラストの下へ駆け寄った。
「クラスト! 大丈夫!?」
色々なことが起こりすぎてパニックに陥りそうだった。
旧友の死、魔族の到来……そして、勇者の存在。
「トアル……君は、どうして……」
彼女の黒い瞳が揺れた。
人々が勇者に対して何を思っているのか、彼女だって知っているはずだ。
クラストはその先を告げられないまま、頭を振る。
「……いや、そんなことより、母さんと親父が……!」
裏の戸口はフェゴールの魔法によって崩壊していた。家は傾き、いつ倒壊してもおかしくない。
助け起こされながら、地べたに二人が倒れているのを見つけた。
「……クラスト……トアル……」
体を曲げて、痛みに堪える親父。
トアルは身を屈めた。
「出血がひどい。まずは治癒の魔法をかけないと……。クラスト、井戸から水を汲んできて」
彼女は魔法を使いながら、クラストに指示を飛ばす。
いつも朗らかに店先で笑っていた彼女とは少し印象が違う。
『この赤い花が好きなんだ。雪の降る冬の中にあっても、私を見つけてって言ってるみたい。ね、健気じゃない?』
やっぱり彼女は……魔王に敗北した、勇者なのかな。
『クラストまで魔族に殺されちゃう。私、それは嫌だな』
どっちが本物のトアルなんだろう。
心臓の奥底が、ちりちりと熱を持ち始める。
「――――クラスト、聞いてるの! しっかりして!」
はっと我に返った。
クラストはトアルの顔が近いことに驚いて身をのけ反らせる。
必死な表情を浮かべた彼女。
「……どこか怪我してるの?」
胸が強く脈動した。
情けない。彼女が勇者だったらなんだってんだ。
人々の代わりに魔王と戦ってくれたのは彼女じゃないか。
なにか事情があったんだ。
敗北し、正体を偽り、人々が殺されていく間も、この街に潜伏しなければならなかった事情が。
「ごめん大丈夫。……そうだよな、しっかりしないと」
クラストはもう一度、トアルの顔を見た。
心配そうに覗き込んだ彼女の不安げな瞳。
俺はこの人に、こんな顔をさせたかったわけじゃない。
遠い空に浮かんだ金色の光が視界に入る。
ぼんやりとしたその輝きから、目が離せなくなった。
あれは、なんだろうか。
視線に気がついたトアルが、すぐに後ろを振り返る。
一番星よりも暗く、灯火よりもはっきりとした鮮明な光。
「……クラストッ!」
咄嗟に叫んだトアルが、防護結界で身を囲う。
突き飛ばされた俺は、地面に倒れ込んだ。
悲鳴が聞こえ、打ち鳴らされた彼女の魔法が崩れ去る。
金色に光った何かは、宙に一筋の煌めきを描いて、トアルの体を貫き地面を穿った。
吹き飛ばされた彼女をなんとか抱きとめる。彼女の細い髪の毛が眼前を覆った。
「トアル……!」
細い彼女の腰回り。
べっとりと、熱い染みが広がる。
「おい!」
首を離し、彼女の安否を確かめる。
だけど、
そんな必要はない。
心の奥で誰かが囁いた。
「トアルっ!」
顔を上げないまま、彼女は体を震わせる。
「……はは、油断……しちゃっ……た……」
空いた穴から、止めどない血が溢れ出る。
「嘘だ……嘘だ!」
虚ろに沈む、黒い瞳。
目を閉じれば、もう二度と開くことはない。
「……クラスト!」
呼びかけられ、俺は振り向いた。
倒れた親父が、這いつくばって声を捻り出す。
「逃げなさいクラスト……! トアルを連れて、遠くまで……」
母さんは痛みに堪え、涙を流す。
「私たちのことはいい! だから、あなたは……その子を守ってあげて……!」
「で、でも……」
「早く行きなさい! 騒ぎを聞きつけて、他の魔族たちも来るぞ!」
考えている余裕はなかった。
クラストは奥歯を食いしばり、体を持ち上げる。
「親父、母さん……、ごめん」
二人はただ黙って、頷いた。
トアルに肩を貸し、しっかりと手を握る。
「トアル、痛いよね。少し、我慢してね」
ゆっくりと歩き出し、彼女の呼吸を耳元に感じた。
大丈夫、大丈夫だよ。
「クラスト……ごめんなさい……」
耳元で、そっと彼女は呟いた。




