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敗北勇者  作者: えすてい
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第6話 勇者は、どこだ


 彩られた感情の波に、一滴の黒が落ちる。

 

 おかしい。扉の隙間から見える外は、こんなに暗かっただろうか。

 

「――――見つけたぞ」


 恐ろしい声が聞こえた瞬間、小屋の扉がぶち破られる。


 折れ曲がった蝶番(ちょうつがい)が弾け飛んだ。


 揺らめく二つの瞳。


 クラストは是非もなく体を居竦ませる。


 コウモリのような羽を広げ、外からぬるりと腕を伸ばした黒い巨体は、リッチの首を鷲掴みにし、外へ引きずり出した。


 口内が乾ききって、言葉を出せない。


 腹の底から噴き出す恐怖に体が凍りつく。


 目の前にいるのは、この街を取り締まる魔族、フェゴール卿だった。


「面白い話をしているなぁお前ら」

 

 突風が小屋の中をかき乱す。干し草はおろか、鶏さえも風に押し固められ、身動きが取れなくなった。


「ぐっ……! 離せっ!」


 首を絞め上げられたリッチ。腕に抗おうとするも、その力の差は歴然だった。


 フェゴールはさらなる力を込める。


「――か……はっ……!」


「勇者の力を感じたぞ……。お前ら、ここで勇者と会っていたな!」


 クラストは吹き荒れる風の中でリッチに手を伸ばす。

 

 こいつは何を言っているんだ。俺たちは、勇者となんか会っていない。


 吹き(すさ)ぶ風に(あお)られて、小さな家畜小屋が(きし)む。


 軽く握れば潰れてしまうリッチの喉を、楽しそうに眺めながらフェゴールは言い放った。


「さっさと吐いたほうが身のためだ。苦しい思いをせず楽に逝けるぞ」


 クラストの肌が泡立つ。


 まずい。どうにかしないと、リッチが殺されてしまう。


 体を必死に動かして、届かない手をひたすらに伸ばした。

 

「お……教えて……やるよ」


 気でも狂ったのか、リッチは(わら)い始めた。


「勇者様と……会ったかだと……? ククク……魔族は、やはり愚かだな……」


 分厚い雲の下、金髪を振り乱して彼は叫んだ。


「勇者様が怖いんだろ……そうだよなぁ……! ここまで必死にならなければ、お前たちは勝つことすらできない! 哀れ……哀れだよお前ら。無能な王のせいで、仕留めそこなった尻拭いを何年も続けなきゃならない!」


 血反吐を吐き出したリッチは、目を見開く。


「怖くて怖くて震えているんだろ! 勇者様は必ずお前たちを皆殺しにする。それが分かっているから私みたいな者にも手を下さないといけないのさ! はははッ! ご苦労なこった! ざまぁない――――ッ!!」

 

 最期の断末魔。彼はそれ以降、言葉を発しなかった。


 クラストは彼の名を叫んだ。

 

 行き場を失った血が飛び散る。


 目の前でリッチの体がするりと地面に落ちた。


 とても生前の彼とは似ても似つかない、残虐な姿に変えられて。


 今しがた行われた殺戮が、胸の中に血だまりを広げていく。


 かつて彼は言った。


『弱きを助ける勇者様は、決して強い人ではないそうだ。君と同じだよクラスト。正しいことは、つまり強いということではないのさ。……だから私は思う。強い人になる必要はない。弱い人に寄り添える人になれ――――』


 リッチは、救おうとしたのだ。


 魔王に敗北し、人々が希望を失った世界から孤立した弱き存在。そんな勇者を救うため、彼は一人で魔族に立ち向かったんだ。


 信念を曲げないために。


「おっと、あんまりうるせえから手が滑って殺してしまった……。でもまだ、もう一人いるからいいか」


 血塗(ちまみ)れの太い腕を下ろし、視線をこちらに向ける。


 フェゴールはニタニタとした笑い顔で、羽をゆっくりと広げた。


 魔法で風が巻き起こり、鶏小屋の屋根を吹き飛ばす。


「クラストッ!」


 両親が裏口を開けて外に出てきた。


 ……だめだ、親父! 母さん!


「お前らも後で話は聞かせてもらう。そこを動くなよ」


「やめろッ!」


 俺が声を上げるよりも早く、フェゴールは魔法を唱える。


 風によって空気が震え、鋭い刃が二人の足を切断した。


 へし折れる家の柱。上がる血飛沫(ちしぶき)

 

「母さんッ!」


「おっと」


 走り出そうとしたクラストの頭上に、フェゴールの重たい影が重なった。

 

 クラストは体を鷲掴みにされ、地面に押し付けられた。


 乾いた木片が肌に食い込み、肉を裂く。


「がッ……!」 

 

「さっさと吐かないと、どんどん死人がでちまうぞガキ。勇者は、どこだ?」


 くそ……ッ! よくも……母さんたちを……!


 倒れた両親の姿が滲む。


 怒り、悲しみ、恐怖。


 そのすべてが頭の中に充満する。


「おい。親に生きててほしいなら素直になったほうがいいぞ。さっき死んだガキと同じようになってほしくねえだろぉ」


 パンの生地を薄く引き伸ばすみたいに、胴体がみしり、と押し潰されていく。


 呼吸が浅くなり、指先が麻痺する。

  

 ……どうして、俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。


 クラストは力の入らない全身を、痛みで支配されていく。


 正しくなんかなかったんだ。


 俺はリッチに言われたような、弱い人を助けられる正義なんて持ってない。


 目の前で殺されていく人たちを、誰一人救えない。


 自分さえよければいい、そんな奴らと俺は何一つ変わらないんだよ。


「……くそ……やろう……!」


「もう一度だけチャンスをやる……勇者はどこだ。言わなきゃ親から殺す」


 魔法が空気の中を蠢いて、舞い上がった木片を切り裂いた。


 無色の刃に込められた、恐ろしい輝き。


 ……これも全部、勇者のせいだ……。


 勇者が……負けさえしなければ……。


「ガキ! 勇者は、どこだッ!」


 知らねぇよ……!


 勝手に戦って、勝手に負けて、


 勝手にリッチや俺たちを巻き込みやがった。


 勇者なんて……勇者なんて……ッ!


 そこで不意に、ドアベルの音が鳴った気がした。


「――勇者ならここにいるよ」

 

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