第5話 杜撰な奴
深呼吸したリッチは、とつとつと話し始めた。
「私の家は、王家に爵位と財産すべてを奪われた。この街では居場所を失い、遠い親戚を頼って余った領地に転がり込んだのだ。勇者様が敗北し、私たちの住む辺境の地にまで魔族たちはやってきた。そこまでされれば、私もさすがに悟ったよ。……ああ、勇者様は私たちに光をもたらしてはくれなかったのだと……」
期待は裏切られた。
魔物によって故郷を追われた者たちが流れ着く。
それを見ていた俺たちは、次は自分たちの番だとしきりに考えていた。
勇者はそんな世界を変えてくれる、唯一の希望だったはずだ。
「……しかし、未来を信じることをやめなければ、必ず希望はやってくる。私はその時、自分を曲げないクラストの姿を、思い出していたよ」
「俺の姿を……?」
「融通が利かないなんて偉そうだった。本当はみんな、君の真っすぐな信念が羨ましかったのさ。どんな時でも正しさを持ち続けた、君のことを……」
リッチは黄金色の目でじっとこちらを見た。
勇者の居場所を知っている――その言葉に偽りはない。
何故ならリッチは、そんな冗談を軽く言うような男でも、大言壮語に儚い願いを混ぜるような奴でもないからだ。
雷の音を待って、彼は言った。
「そして諦めなかったからこそ、私は希望を掴めたのさ。勇者様は私に、この街を救うための奇跡を授けてくださったのだ」
金色に光り輝く彼の右手。暗がりがすべて取り払われ、眩い閃光が身を包んだ。
羽を散らした鶏が強く喚きだす。クラストは身を仰け反らせ、光の反射を瞳に刻む。
曇天から差し込む陽光のような、くぐもった世界を刺し貫く、力の波動。
「な、何なんだよそれ……!」
クラストは震える指先を光源に向ける。
見たこともない魔法だった。……いや、本当にこれは魔法だろうか。
勇者に授けられたこの力で、リッチは何をしようというのだ。
光を閉ざした彼の手は、その余韻を引きずるように淡い軌跡を漂わせる。
「……すまないクラスト。まだすべてを話すことはできない。勇者様にそう言われているのさ。……実は、君に会いに来たのは、これを伝えたかったのともう一つ、別の理由があるんだ」
クラストは黙ってリッチを見つめ返す。
勇者を救う彼の望みは途方もなく色褪せてみえた。それだけに、俺を頼ってきてくれたことが無性に嬉しかった。
「私はもうこの土地から一度離れた。だから魔族に見つかってはならないんだ。怪しまれることだけはどうしても避けたい。少しだけでいい。留まれる場所を探してほしい」
その言葉を聞いて、反射的に返す。
「だったらうちに来たらいい。親父だって、リッチだと聞けば快く受け入れてくれるはずだ」
だが、彼は目つきを鋭くし首を振った。
「いや、それは遠慮したい。君に迷惑はかけたくないからな。もし匿われていることが衆目に晒されれば、君の家族も魔族に目をつけられただではすまないだろう」
胸がきゅっと締め付けられる。
それでもお前を匿ってやる、そう言ってあげたいたい気持ちとは裏腹に、情けない自己防衛が勝った。
友達と家族をのせた天秤は、どちらに傾いても割に合わない。
痛みを伴う取引に、すぐ答えを出すことができなかった。
クラストの下がる肩を見かねたリッチは厳しい顔を一転させる。
まるで家畜を愛でるように、クラストの頭を撫でまわし始めた。
「な、何すんだよっ!」
手を払いのけると、リッチは鼻を鳴らす。
「そんな顔をするな。家族のことを一番に考えるんだ。私は二の次でいい。……誰か、他に信頼できる者はいないのか?」
掴みどころのない奴だとは思っていたが、成長してよりその性質が顕著に表れるようになっていた。
口を尖らせながらも、クラストは自責の念を払うつもりで、思考を巡らせる。
思い当たる節は、一人だけ。
彼の事情を知っていて、味方になってくれそうな人。
「信頼できる人ならいるよ。リッチがこの街を去ってから、うちはパン屋を始めたんだ」
彼は相槌を打った。
「へぇ、ブレッダは店をもったのか。それはいいことだ」
ブレッダ、俺の親父の名。
「…………それで、店によく来るお客さんの中に、仲良くなった女の人がいるんだ。それが、トアル」
リッチの眉がやや下がった。
ドアベルが鳴って、彼女の来店を思い浮かべる。
今日も来てくれた。楽しい話をしてくれた。明日も来てくれるだろうか。
街から活気がなくなる一方で、故に彼女だけは明るく振舞っていた。冷たい雨を晴らすような、優しい笑顔をこちらに向けて。
「……その人は、どこに住んでいる?」
リッチは訊いた。
――――何故だろう、違和感があった。
クラストは答える。
「……確か、街から少し離れた……ほら、リッチも知ってるだろ? 森の手前にある、小高い丘のところ――」
俺は逡巡することなく、違和感を飲み込もうと努力した。
「――トアルはそこに住んでるって……、街まで来るのが大変だって……」
きっと何かの間違いだ、そう思いたかった。
「そうか。ありがとう、これで――――」
でも、引っかかったんだ。
俺はこいつがこんな杜撰な奴だと、気づきたくなかったのかもしれない。
「――――リッチ。お前、俺を訪ねてこの小屋に来たはずなのに、なんで俺の家がパン屋をしてるって知らないんだ……」
時が止まったかのような静寂。
彼は細い金の頭髪を揺らすことなく、短い間だけ、息を止める。
胸中に不安が押し寄せた。
俺を訪ねてきたのなら、パン屋を経営していることなんて知らないほうが不自然だ。
家畜小屋の中、どっと獣の匂いが嗅覚を鈍感にさせる。もう一度、冷や汗が溢れ出た。
彼が息を止めたのは、ほんの一瞬だけのはずだった。しかし、夕日が沈むよりも、もっと長い時間のようにも感じられた。
「気づかなければ、黙っているつもりだったのに……」
ぞっとするような暗い声。
「でもクラスト、君に秘め事は通用しない。そんなことわかっていたはずなのに……私は私を恥じる。すまないことをした」
いい加減な態度が癪に障った。
「さっきから……何を言ってんだよリッチ!」
冷たい息を吐き出し、光のなくなった目が俺を見ていた。
「勇者様は言ったのさ。この街に、怪しげな女が潜んでいるって」
怪しげな……女……?
「そいつは魔族が来る少し前に姿を現し、君の周りでうまく街に溶け込もうとしていると……」
俺は生唾を飲む。
トアルは確かにこの街の生まれじゃない。見かけたのは、親父がパン屋を開いてからだ。
「人間のフリをし、勇者様の命を狙う……魔族の手先なのさ」
「待てよ! トアルはそんな人じゃ……」
言ってから、その先が崖だと気づく。
俺は彼女が本当は何者かなど、知ってはいなかった。
街外れに住み、何をして働いているのか、どこから来たのかも分からない。
彼女は……本当は……。
血の通わない顔。口だけを動かしたリッチは、もう以前の彼とは違う別人のようだった。
「だから私は勇者様に告げられたのだ。まずはその魔族の手先を殺すようにと――――」




