第9話 神官、女将さんの頼みを聞く
「美味しい……!」
金の小鳩亭の朝食は、今日も最高に美味しい。
パン粥は新鮮なミルクで煮込んである。溶け込んだコーンの甘さが染み渡るようだ。
サラダも、新鮮な葉物のシャキシャキした歯触りがたまらない。酸味の中に甘さが感じられる絶品のドレッシングは、女将さんのこだわりらしい。
でも――
(お肉、どうしたんだろう……)
いつも並んでいるはずの、チキンソテーやソーセージがひとつも見当たらない。何故だ。
「アグネス様、どうしましたか」
「えっとね……」
さすがに答えづらく少し目を泳がせたら、浮かない顔の女将さんと目が合った。
「女将さん……どうしたんですか?」
珍しく元気のない様子に思わず声を掛けると、女将さんは力なく笑った。
「ごめんねぇ。肉料理が出してあげられなくて」
「えっ?」
「いつもの肉が手に入らないんだよ。森で魔物が増えてて危ないからって、肉の納品が減ってるらしくて……」
「お客さんたちに、申し訳なくてね」と女将さんは悲しげにため息を吐いた。
(そんな……じゃあ、しばらくお肉が食べられないの?)
心の内で盛大にしょんぼりしていると、突然イグナシオが立ち上がった。
「いつもの肉というのは、ホーンラビットですよね。私が用意しますよ」
「神官さん……でも、森の方は危険だって――」
「大丈夫です。心配ご無用ですよ」と微笑んだイグナシオを、女将さんは不安げに見ている。
ホーンラビットは、初級冒険者でも倒せる小型の魔物だ。イグナシオに任せたら、ミンチか丸焦げになってしまいそうだ。
「わたしも行くので大丈夫ですよ!」
「アグネスちゃんも行くのかい? 危ないよ」
「気持ちだけで十分だよ。他の仕入れ先を当たってみるから、ちょっと待ってておくれ」と笑った女将さん。
(イグナシオ、見た目は強そうに見えないからね……)
彼はどこからどう見ても後方支援型だ。可愛いホーンラビットの群れに弾き飛ばされそうな容姿をしている。
「女将さん、こう見えて彼はS級なんです。ホーンラビットも、強い魔物も一瞬で倒しちゃいますよ」
わたしが拳を握ってそう言うと、女将さんは目を丸くした。
イグナシオは、「アグネス様……」と何やら目を潤ませている。
「S級……神官さんは、そんなに強いお方だったのかい。でも、ホーンラビット狩りを頼むなんて、S級の冒険者さんに畏れ多いねぇ」
「報酬も多くは出せないし……」と気後れしている様子の女将さん。
「報酬は、料理を教えてください」
「「えっ?」」
女将さんとわたしは、イグナシオを見つめた。
「イグナシオ、それは……」
ほとんど何でもこなす彼は、唯一不得手なことがある。それは料理だ。
彼のそれは如何にも漢の料理というか――ぶつ切りの大きな具材の入ったスープしか作らず、味付けもかなり大味だ。
幼い頃に初めて食べた彼の料理は、ニンジンは葉っぱから丸ごと入っていて、ひと言で言うと魔女の作った煮込み料理のようなものだったから、それからするとかなりマシになったのだが……。
(確か……わたし、吐いて倒れたんだよね)
彼の手料理を口にして吐いたわたしに、イグナシオは真っ青になった。あのときの、泣き腫らした彼の顔は今でもよく覚えている。
そして彼は、通りがかりのマッチョな冒険者から料理を教わった。それが今の彼の漢料理のルーツだ。
「料理ねぇ……アタシは構わないけど、それで良いのかい?」
「ええ。教えていただけるなら、何匹でも狩ってきますよ」
さらりと返したイグナシオに、女将さんは声を立てて笑った。
「助かるよ! 教えるのは……お客さんのいない時間か、閉店してからになるけど良いかい?」
笑って頷いたイグナシオに、「アタシの料理は門外不出だからね」と女将さんは笑ってウインクした。
◇
――リベラ近郊の森。
わたしたちは気配を消して、ホーンラビットの生息地へと入った。
(あ、いた……!!)
ホーンラビットを見つけた。
わたしの膝くらいの高さで、ふわふわの灰色の毛並みに、額には白い角が生えている。
角は少し怖いけど、真ん丸の黒い瞳が愛くるしい。
威嚇に毛を逆立ててもその可愛さは変わらず、思わずキュンとなった。
「可愛い〜!」
わたしがそう言った瞬間だった。
突然前に出たイグナシオが、ホーンラビットに向かってメイスを振り下ろした。
(今、何が起きたの……?)
彼の向こうで、見てはいけない光景が広がっている気がする。
「イグナシオ?」
「アグネス様、来てはいけません」
イグナシオが背を向けたまま、こちらを振り返る。
「お許しを……思わず、やってしまいました」
「後ろを向いていてくださいね」としゃがみ込んだ彼が何やらゴソゴソしている。
「さぁ、もう大丈夫ですよ。……ホーンラビットが、ここまで弱いとは思わなくて」
振り返った彼は、いつもの笑みを浮かべている。
清々しい風が吹く。広がる草地には、何の痕跡も見当たらなかった。
(あ、またいた……!)
木々の向こうで、灰色の塊が数頭動いたのが見えた。魔物が増えているという話は事実らしい。
彼はすぐさま走り出すと、角を向け飛び掛ってきたホーンラビットをメイスで払う。
木に激突したそれは、ぼとりと地に落ちた。
「やりましたよ! アグネス様、見ていましたか?」
嬉しそうに振り返ったイグナシオ。
(……なんか、何かの競技みたいになってない?)
そうして、彼はあっという間に大量のホーンラビット肉を手に入れた。
「イグナシオ。女将さん、どのくらい必要って言ってた?」
「……そう言えば、聞いていませんでしたね」
(これ、多すぎるんじゃ……)
「ねぇ……女将さんびっくりしないかな」
「きっと喜んでもらえますよ。美味しい料理を教わって、アグネス様に食べてもらうのが楽しみです」
その眩しい笑顔に、思わず心臓が鳴った。
年上の彼を、何故か『可愛い』と思ってしまった――そういえば、彼は一体いくつなのだろうか。
「アグネス様?」
「……イグナシオってさ、何歳なの?」
問い掛けると、イグナシオは時を止めたように固まった。
遠い記憶を辿るように、視線を上に向ける。
「はて……そういえば、数えていませんでしたね」
まぁ、そんなことだろうと思った。
ハーフエルフだろうから、それなりに生きているのだろう。その割には、かなり世間知らずな気もするが――
「帰ろう。女将さんが待ってるよ」
「はい」
わたしたちは、もと来た道を歩き始めた。
彼が女将さんからどんな料理を教わるのか楽しみだ。
(何を教えてもらうんだろう……ホーンラビットなら――)
「アグネス様?」
「あっ、どうしたの?」
「女将さんに教えてもらう料理、何が良いですか?」
「えっ? えっとね……」
「ホーンラビットなら、シチューとかかな?」とわたしが答えると、彼は嬉しそうに頷いたのだった。




