第8話 神官、予想外の展開に落ち込む
いつもとは違いすぎる朝の光景に、わたしは全力で狼狽えていた。
「アグネス様、驚きましたか?」
見たこともない大きな怪物――その後ろからひょこっと顔を出したのは、イグナシオだった。期待に満ちた眼差しで微笑んでいる。
『グッ……』
大きなたんこぶをポンポンと撫でられた怪物は、痛そうに顔を歪めた。口の中が緑色だ。
「な、ななな何?! 何で怪物がここにいるの?!」
「怪物じゃないですよ。魔の森を統べる王です」
誇らしげな顔のイグナシオと、伏せたままで私をそっと窺い見る怪物。
(魔の森? よくわかんないけど、怖すぎ……)
わたしはベッドを降りると、毛布を抱き締めたまま部屋の端へと移動する。
何だかやたらと獣臭いし、不気味だ。何でこんな怪物が部屋の中にいるんだよ。
わたしは、毛布で鼻を覆った。
「どうですか? グリフォンよりも色々混ざっているでしょう」
「えっ……?」
(まさか……わたしのために……?)
今になって、『グリフォンに乗ってみたい』と正直に口に出しておくべきだったと後悔する。時間よ、巻き戻ってくれ!
「グリフォンよりもずっと頑丈ですよ! アグネス様の従魔にするためにテイムしてきました」
笑顔のイグナシオには悪いが、こんな従魔は受け入れられない。
「ごめん、悪いんだけど、それ大きすぎるよ。怖いし、ちょっと臭うし……元の場所に返してきてくれる?」
わたしがそう言った瞬間、彼の顔は一瞬で絶望の色に染まった。
魔の森の王も、世界が終わったかのような表情を浮かべている。
「ごめんね……」
ひどい罪悪感に襲われる。
でも、無理なものは無理だ――
「折角連れてきてくれたのに、本当にごめんなさい。でも――」
「アグネス様。怖がらせ、不快にさせてしまい申し訳ありません……これは、すぐに片付けますので」
「え?」
縋るような眼差しの怪物は、鳴きもせずイグナシオを見上げた。
「魔の森の王なら、きっと高く買い取ってもらえますよね?」
たんこぶだらけの怪物は、滲んだ瞳で彼を見つめている。
「アグネス様のために、金貨になってもらいましょう」
「待って――!!」
わたしは慌てて彼の腕にしがみついた。
「よく見たら……少し、可愛いかも」
そう言って無理に笑ったわたしを、怪物は潤んだ瞳で見つめてきた。
(なんで頭が三つもあるのよ……)
その恐ろしすぎる姿から、わたしは目を逸らしたのだった。
◇
「お待たせ致しました」
栗色の髪の美人受付嬢は、引き攣った笑みを浮かべた。
いつもは集まってくる他の女性職員たちも、今日は皆遠巻きにこちらを窺っている。
(やっぱり、怖いよね……)
獅子と山羊の双頭に、大蛇の尾。
いくらテイムされているとはいえ、怖がらない方がおかしい。
「今日は従魔登録に来ました。マスターはアグネス様でお願いします」
爽やかな笑顔のイグナシオに受付嬢は引き攣った笑みを返し、怪物の姿に顔を強張らせる。
「その……魔物の種族名は何ですか?」
「ギルドの記録では見当たらなくて……」とモニターとにらめっこしている受付嬢に、イグナシオが伏せている怪物を見下ろす。
その視線に、獅子の頭が少しだけ持ち上がった。
『……キマイラだ』
地の底から這い出るような低い声に、全身に鳥肌が立った。
「怪物が喋ったぞ?!」と辺りがざわめいている。
気付けば、ギルド中の視線がわたしたちに注がれていた。
「キマイラ……ですね。登録名はどうされますか」
(……登録名?)
そう言えば、昨日テイマーさんがグリフォンに呼び掛けていたのを思い出す。あれのことだろうか。
「アグネス様、どうしますか」
「え……いや、どうしよう」
急に言われても、簡単に浮かぶわけがない。頭も三つあるし――
「ごめん。浮かばないや……イグナシオが決めてよ」
「じゃあ、『魔の森の王』でお願いします」
(何その恥ずかし過ぎる名前……)
思わず彼を見ると、「自分でそう名乗ったので」と涼しい顔をしている。
伏せているキマイラは、三匹(?)ともどこか恥ずかしそうだ。
「ちょっと……他の名前にしてあげてよ。ほら、『バディくん』みたいなの――なんかあるでしょ」
わたしの言葉に、イグナシオは暫し考え込んだ。
何だか、またおかしな名前を言い出しそうな気がする。
「もし浮かばないなら、わたしが――」
「では、『怪物くん』でお願いします」
ギルド内が一瞬、しんと静まり返った。
(ちょ……どうしよう、どうしよう。何か、良い名前は……)
何とも言えない表情を浮かべる受付嬢。
「……登録しますね」
カタン、とキーがなった。
(登録されちゃった……?)
呆然としている怪物くん。
「アグネス様の従魔になれるなんて、あなたは世界一の幸せ者ですよ」とイグナシオは微笑んでいる。
――その時、受付の奥の扉が勢い良く開いた。
「キマイラが来ているというのは、本当ですか?!」
息を切らして現れたのは、髪を振り乱したクラウスさんだった。
「まさか、伝説のキマイラを目に出来るなんて……」
震える指で眼鏡の蔓を押し上げたクラウスさんは、怪物くんに釘付けだ。
「――記録と違って、随分と変わった形状をしていますね」
(たんこぶだよ……)
伝説のキマイラ――この姿からは想像もできないが、『魔の森の王』と名乗るだけあるのか?
「貴方は、テイムもできたんですね」
感心してくれている様子のクラウスさんに、イグナシオは得意げに微笑んだ。
「テイムって、従わせれば良いんですよね。今度はドラゴンにします」
「はい?」
「アグネス様、どんなドラゴンが良いですか?」
「うーん……フェアリードラゴンかなぁ」
「可愛らしいアグネス様にぴったりですね!」
「あの、竜殺し殿、先ほど何と――」
「あら? どうしたのかしら……」
何やら、受付嬢が少し慌て始めた。
「ヘレナさん、どうしましたか」
「副ギルド長……従魔登録が出来ないんです」
受付嬢はキーボードを必死に連打している。
「エラーですか? 大丈夫ですから、落ち着いてください」
どうしたのだろうか。
魔の森の王だから、従魔として登録できないのか――
「困りますよ。折角捕まえたんですから、きちんとアグネス様の従魔にしていただかないと……」
(……大丈夫なのかな?)
もしかしたら、ふざけた名前だから登録できないのかもしれない。
宙に浮いたモニターを見つめながら、同じキーを打ち続けている受付嬢。その傍らでは、クラウスさんが僅かに険しい顔で見守っている。
いつものことだが、嫌な予感がする。
「やはりエラーでしょうか。……お待たせして申し訳ありません。他の受付で――」
クラウスさんがそう言いかけたとき、『ビーッ! ビーッ!』と警告するかのような大きな音が鳴り響いた。
「ええっ?!」
突然、クラウスさんが大声を上げた。
「ヒィィッ!!」と後退った受付嬢が尻餅をつく。
「そ、その魔物……」
「怪物くんがどうかしましたか?」
クラウスさんの震える指が怪物くんを指した。
「――それ……テイムされていないじゃないですか!!」
一瞬で静まり返るギルド内。
「うわぁああっ!!」
幾つもの叫び声が上がった。
「――ヘレナさん?!」
白目を剥いて倒れた受付嬢をクラウスさんが支える。
その他のギルド職員たちは、我先にと押し合いへし合いしながらギルドの奥へと消えた。
舞い上がり、床に散らばるたくさんの書類。
冒険者たちは表に飛び出していき、残されたのはクラウスさんとわたしたちだけだ。
(ああ……)
まただ。予感は外れなかった。
「大丈夫です。言うことはすべて聞きますから」と笑顔で怪物くんに向き直ったイグナシオ。
一人立っているクラウスさんの前で、怪物くんに手を差し出す。
「はい。お手、お代わり、伏せ。……次は――」
「そこまでです!!」
「何を見せる気だ貴方は!!」と喚き散らしたクラウスさん。
「こんな危険すぎる魔物を、テイムもせずにギルドに持ち込むなんて……一体どこから連れ帰ったんですか?!」
「魔境の奥です」
クラウスさんは、ワナワナ震えている。
「……早く返して来なさい!!」
「ご迷惑をお掛けしてすみません……きつく言って聞かせますので」
わたしが頭を下げると、泣きそうに顔を歪めたイグナシオはひどく項垂れた。
所在なさ気な怪物くんは、キョロキョロと視線を彷徨わせている。
「アグネス様、本当に申し訳ありません……」
俯いたイグナシオは、消えそうな声でそう言った。
そして、たんこぶだらけの怪物くん――いやキマイラは、魔境へと帰された。
彼のたんこぶには回復魔法が効かず、傷薬をたっぷりと塗ってあげたが――早く治ることを遠くから祈っている。
魔の森の生態系が大きく変わったことを、まだ誰も知らない。
◇怪物くん
魔の森を統べていた伝説のキマイラ。イグナシオにキャッチアンドリリースされた。
◇ヘレナ
おしとやかな美人受付嬢。




