第10話 神官、料理を教わる
「ああ、そうじゃないよ! ここを持って、こうすると綺麗に肉が取れるんだ」
金の小鳩亭にホーンラビットを持ち帰ったわたしたち。約束通り、イグナシオは女将さんに料理を教わっていた。
「こうですか?」
グシャリ、と嫌な音がした。
わたしの座るカウンター席から手元は見えないが、何となく大体の想像はつく。
「ああ……こりゃあ、ミンチにしないとね」
「……すみません」
少ししょんぼりとした様子のイグナシオの背を叩くと、女将さんは笑いかけた。
「大丈夫、初めはこんなもんさ! さあ、もう一度やってごらん」
「はい」
(こんな真剣な顔、初めて見たかも……)
いつも涼しげな顔をしているイグナシオの額には、僅かに汗が滲んでいるように見える。
手元を見つめる真っ直ぐな空色の瞳に、何故か胸が騒いだわたしは視線を落とした。
「できました!」
「上出来だ! さあ、この肉に塩コショウをして揉み込んで、次は野菜を一口大に切るんだよ」
真剣な面持ちのイグナシオと、少し楽しげな女将さん。二人の姿に、胸の奥がぽかぽかと温まるように感じた。
トントンとイグナシオが野菜を切る音が響く。随分ゆっくりのようだが、女将さんはそれを暖かい眼差しで見つめていた。
そして、少しすると、バターの良い香りが漂ってきた。
「さあ、小麦粉を炒めながら、ミルクを少しずつ入れるんだよ」
漂い始めた良い香りに、お腹が鳴りそうだ。
わたしは、持ってきていた精霊魔法の本を読み始めた。
でも、気付けば何度も視線が厨房へと向いてしまう。
そうして、流し読みしながら二章を開こうとしたとき――
(美味しそうな匂い……)
気付けば鍋からは湯気が立ち上り、ミルクとバターのほんのりと甘い香りが広がっていた。
「アグネス様、できましたよ!」
イグナシオの嬉しそうな声に顔を上げると、わたしの前にそっと木のお皿が置かれた。中には、白いシチューがたっぷりと入っている。
「うわぁ……美味しそう!! こんなの作れるなんて、すごいね!」
そう言って見上げると、彼は満面の笑みを浮かべた。
「さあ、召し上がってください」
ボウルをそっと押した彼の指が、傷付いているのに気が付いた。包丁で切ったのだろう。
「イグナシオ、治癒を――」
「必要ありませんよ」
「でも、痛くないの?」
手を後ろに隠して、「このままで良いんです」と笑った彼に、わたしは何も言えなかった。なぜか、少し嬉しそうだったから――
「さあ、これからアタシは夕飯の仕込みだよ。二人はゆっくり食べてて良いからね」
「女将さん、ありがとうございます」
「そりゃあ、こちらこそだよ! ゆっくり食べな」
笑顔の女将さんに、わたしたちも微笑み返した。
「「糧を与え給う神に感謝を」」
二人で祈り、わたしたちは静かに食事を始めた。
木のスプーンで一匙口にすると、ミルクの柔らかな甘さが舌の上で蕩けた。女将さんのシチューとは少し違う、でもホッとする優しい味だ。
「いかがですか?」
「すっごく美味しい!! イグナシオ、ありがとう」
「良かった……おかわりはたくさんありますからね」
シチューを頬張りながら頷いたわたしに、イグナシオは安堵の表情を浮かべている。
彼も食べ始め、嬉しそうに微笑んだ横顔にわたしも笑った。
そして、わたしは二杯おかわりをしてから、『ごちそうさま』をしたのだった。
「ふ〜、幸せ。お腹いっぱい!」
「アグネス様、次は何が食べたいですか?」
「えっ? また何か教えてもらうの?」
「はい。店のメニューなら何でも良いと言ってもらえましたよ」
「うーん……迷うなぁ。考えておくね」
嬉しそうに頷いたイグナシオに、胸の奥がじわりと暖かくなった。
けれど、それと同時に胸の奥がざわめく。
(どうして、ここまでしてくれるの?)
いつからか、ずっと抱いてきた疑問だ。
けれど、何度問うても、彼は『自分の使命』だとか『自分の喜び』だと答えて、話にならないのだ。
「……ねぇ、イグナシオ」
「どうかしましたか?」
澄んだ空色の瞳に、何故か小さく鼓動が鳴った。
「えっとね……いつも、ありがとう」
幸せそうに微笑んだ彼に、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
わたしは、結局何も聞けなかった。




