第56話 神官、抱擁される
「竜殺し、アグネス殿!! ドゥルセを見てないか?!」
リベラの町外れ。わたしたちが振り返ると、そこには息を切らせたダリオさんが立っていた。
「ドゥルセちゃんがいなくなった?!」
ギルドに遊びに来ていたダリオさんの娘さんのドゥルセちゃんが、いつの間にか姿を消したそうだ。
「ギルドの中に隠れてたりとかは……」
「中も探してもらってるが、ドゥルセが出ていくのを見たっていう奴がいてな……」
「若い男も一緒だったらしいんだ」と焦燥に満ちた表情で辺りを見回すダリオさん。
わたしたちは顔を見合わせ小さく頷き合うと、ドゥルセちゃんを探すために駆け出した。
「イグナシオ、ドゥルセちゃんどこにいるかわからない?」
「どんな子でしたっけ」
「ええと、四歳でわたしと似た髪色の……」
「アグネス様に……」
少し考え込んだイグナシオは、両手を宙に翳すと瞼を閉じた。
(イグナシオ、何してるの……?)
少しして、瞼を開けたイグナシオは静かに首を振った。
「申し訳ありません。……気配を探してみましたが、私には辿ることはできないようです」
「どうしよう……」
ドゥルセちゃんは大丈夫だろうか。
途方に暮れたわたしは、無意識に胸元のペンダントを握り締めた。
(あっ……)
突然に、ふわりと暖かな風が私を包んだ。風の精霊だ。
「イグナシオ! こっちだって!」
わたしは、一枚だけ舞い上がった木の葉を追いかけて駆け出した。
◇
リベラ近郊の森、大樹の下の少し開けた空間にドゥルセはいた。
「わたし? アグネスさまじゃないよ」
「ドゥルセっていうの!」と笑った少女に、傍らにいた若い男は抱えていた紙袋をバサリと落とした。
目深に被られた黒いフードからは、少し青白い顔が覗いている。男は、呆然とした顔で少女を見つめていた。
「おにいちゃん! ケーキつぶれちゃうよ?」
ドゥルセはしゃがんで心配そうに紙袋の中を覗くと、「やっぱり……」と呟く。落ちているもう一つの紙袋には、僅かに油が染みている。
そのとき、ガサガサッと近くの草木が揺れた。
「――おい、そこに誰かいるのか?」
突然掛けられた声に、男は弾かれたように振り返った。
「だあれ?」
問い返したドゥルセから後ずさると、フードの男は慌てたように地面に手を翳す。
男の足元にゆらりと浮かび上がった小さな魔法陣。淡く光ったそれは、男を淡い光で包むと黒い魔力の残滓だけを残して消え去った。
「おじちゃん、こんにちは」
「お嬢ちゃん、こんなところで一人でいると危ないぞ」
草木を分けて現れたのは、金の小鳩亭の主人のバートだった。
「あれ? おにいちゃんどこにいったんだろう……」
「おにいちゃん? 誰か一緒にいたのかい?」
「うん。くろいふくのおにいちゃんだよ」
怪訝そうに辺りを見回すバート。
そこへ、アグネスとイグナシオが駆けてきた。
「ドゥルセちゃん!!」
肩で息をするアグネスがドゥルセに駆け寄ると、地面に膝を付いた。
「アグネスちゃん、知り合いの子かい?」
「はい、探してたんです」
「バートさん、見つけてくださってありがとうございます」と安堵の表情を浮かべたアグネスに、ドゥルセは落ちていた紙袋を拾う。
「おねえちゃん! ケーキがつぶれちゃったの」
「ドゥルセちゃん、ケガはない? どこも痛くない? 変なところはない?」
頭や肩をそっと撫でるアグネスに、ドゥルセはくすぐったそうに身を捩った。
「アグネス様、ドゥルセちゃんは全て健康そのものですよ。擦り傷一つありません」
イグナシオの言葉に、アグネスは「良かったぁ……」と安堵の息を漏らした。
「その子は、誰かと一緒にいたらしいんだ」
「えっ?」
「おにいちゃん、いなくなっちゃったの」
顔を見合わせたアグネスとイグナシオ。ドゥルセは、消えた男を探すように辺りを見回している。
「おにいちゃん、バウバリヨンのところにいったのかも」
「バウバリヨン?」
「うん。バウバリヨンがもどってくるっていってたよ」
(何の名前だろう……?)
「おねえちゃんのおともだちでしょ? アグネスさまっていってたよ」
「えっ?! わたしの友達?」
「そもそも友達なんていないんだけどな……」と首を傾げているアグネスに、イグナシオは沈黙している。淡い金の睫毛は、静かに伏せられたままだ。
「あっ! これ、鳥王の串焼きだよ!」
リベラの人気店の紙袋を手にしたアグネスは、油の滲む袋を開けてくんくんと匂いを嗅いでいる。
(温かい。買ったばっかりだ……)
アグネスが紙袋を閉じると、もう一つの紙袋をイグナシオが開ける。
「こっちはカナリアのケーキですね……証拠品として持ち帰りましょう」
「バートさん、すみませんが一緒に来ていただけますか? ドゥルセちゃんは誘拐されかけた可能性があって……」
小声でそう言ったアグネスに、バートは小さく頷いた。
アグネスはドゥルセの前に屈んで微笑むと、小さな手を取る。
「ドゥルセちゃん、街に帰ろう。パパが待ってるよ」
街へ帰ったアグネスたちは、集まっていた騎士隊に証拠品を渡した。
「ドゥルセ!!」
「パパー! くるしいよ」
ドゥルセの姿を見るなり駆けてきたダリオは、跪いて娘を抱き締めた。
「ありがとう……本当にありがとう」
「ドゥルセちゃんを先に見つけてくださったのは、バートさんです」
イグナシオの言葉に、ダリオは「娘を助けてくださって、ありがとうございます」とバートに頭を下げた。
「いや、自分は偶然通りがかっただけですから」と首を振ったバートに、ダリオは「わたしたちの恩人です」と深く頭を下げる。
「ドゥルセは?!」
「ママ!」
駆けてきたダリオの妻も、跪いてドゥルセの頬に触れると強く抱き締めた。
「無事に見つかって、本当に良かったねぇ」
涙を滲ませて小さく呟いたアグネスに、微笑んで頷くイグナシオ。
妻と娘の姿を見ていたダリオが、二人を見上げ立ち上がった。
「竜殺し、アグネス殿、本当にありがとう……!!」
「良かった……本当に良かった……」とダリオは涙を流しながら、両腕でイグナシオを抱き締めた。
「娘を見つけてくれて、ありがとう……」
抱き締められたイグナシオは、一瞬だけ困惑の表情を浮かべ――微笑みを浮かべるアグネスや皆の姿に、淡い笑みを零したのだった。
◇
その日の夜遅く――
魔城では、数人の魔族たちが言い争いをしていた。
「何故間違ったんです?! ケーキが好きな亜麻色の髪の娘だと言ったでしょう?」
「ケーキが好きだと言ってたぜ!! ギルドにいたし、髪の色もそんな感じだったわ」
「だから、串焼きも買えと言ったでしょう――」
そのとき、魔城の大扉が音を立ててゆっくりと開いた。
闇の中から現れたのは、黒いローブを纏った銀の髪の男だった。その瞳は、炎を溶かしたガラス玉のように赤い。
「バルザリオン様……!!」
夢幻を見るかのように呆然としている魔族たち。
(まさか……あの娘の件がバレたんじゃ……)
数人の魔族は青い顔で顔を見合わせると、深々と頭を垂れた。
「皆さん、お久しぶりですね」
淡々と響いた声に、魔族たちは顔を上げた。
「しばらく城を空けていてすみませんでした。封印されたり――色々ありまして」
待ち侘びた主の帰還に、城中の魔族達が集まった。
「よくぞ……よくぞお戻りに……」
「バルザリオン様!! ご帰還の宴を開きましょう! ケーキを……ああ、バルザリオン様は甘いものがお好きではありませんでしたね」
歓喜に震える魔族達だったが、黙り込む銀の髪の男に不安げな表情を浮かべ始める。
魔族たちの様子に、銀の髪の男は僅かに視線を落とした。
「……申し訳ありませんが、私には――帰る場所ができたのです」
「バルザリオン様……」
銀の髪の男は魔族たちを見つめると、魔城の中を見渡した。
磨かれた白い壁に、漂うのは焼き菓子の甘い香り――そこは、かつての様相とは様変わりしていた。
彼が来たばかりの頃のこの城は、それは暗く陰鬱な場所だったのだ。
銀の髪の男がこの城にやって来たのは、およそ五千年ほど前だった。
自ら天を降り、魔界を彷徨っていた彼は、すぐに魔族たちの目に止まった。
当時の魔界は、悪政を敷いていた暴君によって荒れ果てており、魔族たちに請われた彼は魔王を討伐したのだ。
そうして、魔族たちに『王』として祀り上げられた彼はこの城の主となり――いつしか、『炎の魔王』と呼ばれるようになった。
「あなたがたも知っているでしょう? ……私は、魔族ではありません」
「新しい王を立てるべきです」と静かに告げた彼に、魔族たちは寂しそうに唇を結んだ。
「バルザリオン様以外に、我らが王に相応しい方など……」
「どうか、戻ってきていただけませんか」
「……私を受け入れてくれたあなたがたには、本当に感謝しています。……長い間、本当にありがとうございました」
銀の髪の男は並ぶ者たちを真っ直ぐに見据えると、頭を深く下げた。
涙を滲ませ首を振る者や、震えながら顔を上げられない者――
けれど誰一人として、主だった男の言葉を否定することはできなかった。




