第55話 神官、肉を捧げる
空が夕焼けに染まる頃、わたしたちは迎賓館の庭園にいた。
石畳に並んだ机には、瑞々しいカットフルーツや飲み物が並んでいる。
大きな焼き網の上では、ジュージューと様々な魔物肉が美味しそうな音を立てている。焼いているのは、イグナシオだ。
「アグネス様、ドラゴンのステーキが焼けましたよ! ご希望のミディアム・レアです」
「わ~い! イグナシオ、ありがとう!」
ファビオさんにも薦めたけれど、「えっ、ドラゴンっすか?! ……いや、俺は良いっす」と言われてしまった。
あまり食欲がないのかもしれない。
「神官様、アグネスさん、今日は呼んでくださってありがとうございます〜」
「お肉、美味しいです♡」
「いえいえ、ご参加ありがとうございます!」
賑やかな若い女性陣は、ヘレナさんに声を掛けてもらった受付嬢たちだ。ヘレナさんはクラウスさんとデートらしく、不参加だ。残念。
ベリンダさんとマキシマスには、さすがに声は掛けられなかった。またいつか、一緒にバーベキューが出来ると良いな。
「肉と野菜、焼けたっすよ〜」とファビオさんは甲斐甲斐しくお肉を運んでいる。
なんだか申し訳なくなったわたしは、ファビオさんに倣って飲み物を配って回った。
「いやあ、何か美味しそうな匂いがしたんだよね。皆、バーベキューとやらが随分好きだねえ」
木の幹にもたれて、優雅に果実酒を煽っているのはエイヴリー様だ。袖がゆったりとした白いシャツに淡いベージュのスラックスを履いていて、まるでおとぎ話の王子さまのようだ。
ちなみにイグナシオは呼んでいないらしいのだが、エイヴリー様はどうやって知ったのだろうか。
女性陣は遠巻きにエイヴリー様を眺めているだけで、誰一人として話しかけようとはしなかった。
「ファビオさん、ありがとうございます。今日はたくさん食べてくださいね」
「アグネスさん……呼んでくれて感謝っす」
「俺、本当に嬉しいっすよ」とファビオさんは言うと、角猪の肉に勢い良く齧り付いた。
モグモグしながら、暗くなり始めた空を見上げている。
「ファビオさ〜ん」
一人の女性がファビオさんを呼んでいる。
「は〜い!」と愛想良く駆けていったファビオさんは、その女性と楽しげに会話を始めた。
これで、少しは気が紛れると良いのだが。
(わ、綺麗な音……)
突然立ち上がったエイヴリー様が噴水の縁に腰掛けると、竪琴を奏で始めた。
とても美しい音色だ。今晩はクセの強い詩はないようでひと安心だ。
「さぁ、アグネス様。桃のジュースですよ」
「ありがとう」
わたしたちは草地に腰掛けると、静かに二度目の乾杯をした。
いつの間にか焼き網の炭は燻り、夜空には満天の星空が広がっている。
皆が、エイヴリー様の奏でる幻想的な音色に聴き入っていた。
「……俺、世界を見に行こうと思います。一回り大きい男になって帰ってきますよ」
ファビオさんは、静かにそう言って笑った。
とても素敵で、少しだけ切ない笑顔だった。
彼は、わたしが思っていた以上にベリンダさんを想っていたのかもしれない――そう感じた。
「応援してます」
そう声を掛けると、ファビオさんは嬉しそうに目を細めた。
彼がリベラからいなくなるのは寂しいが、帰ってきてくれると言っている。
ここにいれば、いつかまた会えるだろう。案外すぐに帰って来る可能性だってある。
(人の気持ちって、難しいよね……)
些細なことで一喜一憂したり、怒ったり――わたしもそうだけれど、感情は不思議だ。
気持ちは、何一つとして自分の思い通りにはならないのだから……。
そんなことを考えながら、わたしはエイヴリー様の演奏をしんみりと聞いていた。
竪琴の音色が止まったとき、月はすっかり昇っていた。
受付嬢たちやファビオさんを見送って、残ったのは、エイヴリー様とイグナシオ、そしてわたしだけになった。
噴水の傍に腰掛け、月明かりを受けるエイヴリー様は本当に神秘的で美しかった。
「ふふ……そんなに見つめられると、穴が空いてしまうよ。アンセルマ、どうしたんだい?」
「いえ……花冠じゃないんだなと思って……」
「今更ですけど、気になって」と付け加えると、エイヴリー様は微笑んだ。
「これはね、少し前に神官見習いの少年からもらったんだ。……確か、ニコラウスくんだったね」
「大神官、ニコラウス様ですか?」
「そうそう! その子だよ。良い子だったんだ」とエイヴリー様は嬉しそうだ。
それにしても、四百年前のことが“少し前”なのか――神様の世界は、時間の流れが違うのかもしれない。
「エイヴリー様、ハイエルフ……って、どのくらい生きられるんですか?」
「ん? 基本的に寿命は決めていないよ。命を奪われるか、自ら終わらせない限りは死なないんじゃないかなあ」
「そう、なんですね……」
「まあ、そうは言っても、昔の子どもたちはもうとうにいないんだけどね……」
そう言ったエイヴリー様は、どこか遠い――寂しそうな瞳をしていた。
エイヴリー様は、どれほど永い時を過ごされたのだろうか。
(でも、そっか……わたしがハイエルフなら、これからもずっと、一緒にいられるのかな……)
わたしは傍らに黙って座っているイグナシオを見つめた。
空色の瞳が月明かりを弾いて、まるでガラス玉のように煌めいている。
彼は多分、エイヴリー様と同じような存在なのだろう。
そうであれば、すべて腑に落ちる。
「アグネス様?」
わたしは、不思議そうにわたしを見た彼に微笑むと、小さく首を振ったのだった。
◇
桃のジュースを二杯飲んだアグネスは、イグナシオが用意したハンモックで眠りに就いた。
すやすやと寝息を立てる彼女にケットをふわりと掛けると、イグナシオはエイヴリーの傍らへと腰を下ろす。
「……どこまで知っているんですか?」
「何のことだい?」
エイヴリーはそう問い返すと、果実酒をひと口流し込んだ。
「とぼける気ですか? ……彼女が捨てられた理由ですよ」
「話したくないなぁ。良い話じゃあないからね。……でも、あれでも、僕の子どもたちだ。何かするのは許さないよ」
目を細めたエイヴリーに、イグナシオは鋭い眼差しを向ける。
「そう言うのなら、彼女もあなたの子どもですよね? 子どもが捨てられたのに、黙って見ているだけだと?」
「だから、無事に生きられるように助けたろう? それに、僕は望まれない限り、地上の揉め事には干渉しないことにしているんだよ」
「……随分ご立派な女神ですね」
イグナシオの棘のある物言いに、エイヴリーは「言ってくれるね」と口の端をあげた。
「それにしても……あのリオンがここまで変わるとはね。彼女のどこに惹かれたんだい?」
笑みを浮かべているエイヴリーを少しだけ睨むと、イグナシオはアグネスの寝顔を見つめた。
「……誰かを好きになるのに、理由が必要なんですか」
「僕も言ってみたいな。その台詞」
「はぐらかさないでくださいよ」
クスリと笑ったエイヴリー。
「リオン、久しぶりに天へ帰っておいでよ。昔とは随分変わったんだよ」
「私の居場所はここですから」
イグナシオは、再び眠るアグネスを見つめた。
その横顔を、エイヴリーは目を細めて眺めている。
「リオンもどうだい? 中々の美酒だよ」
「私は結構です」
「相変わらず釣れないねえ……そんなだから、友達が少ないのさ」
「あなたには言われたくありませんね」
淡々と返すイグナシオに、エイヴリーは声を立てて笑った。
それを見たイグナシオも、微かに口角を上げる。
こうして、静かな夜は更けていった――
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本編は全63話で完結予定です。
本編完結後に、5歳のアグネスとイグナシオの過去編を予定しています。
ぜひ最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。




