第54話 神官、失恋を見守る
リベラの噴水広場のベンチに、マキシマスは座っていた。
少しだけ虚ろな目で女神像を眺めると、目を閉じて深く息を吐く。
(私は、どうしたら良いのだろうか……)
彼に課せられていたイグナシオの調査報告は終わり、本部への帰還の日が迫っていた――はずだった。
だが、彼は教会本部に報告書を送ると同時に『休職届』も送り、それが受理されたのだ。
人生の根幹であったはずの信仰に揺らいでいる彼は、教会本部に戻る理由をも見失ってしまった。
「あら……マキシマスさん、こんにちは」
「ベリンダ殿……こんにちは」
「何かあったの? 悩みごとかしら」
座ったまま沈黙しているマキシマスに、「余計なお世話だったようね」とベリンダは気まずそうに笑った。
「いえ……少し休職して、この地で己を見つめ直そうかと思っているのです」
僅かに目を見開いたベリンダは、柔らかな微笑みを浮かべた。
「マキシマスさん、良かったら私とパーティ組まない? 回復役のバディを探してたの」
(冒険者か……無心で、自然や魔物と向き合うのも良いかもしれない)
暫し考え込んだマキシマスは、静かに立ち上がった。
「ベリンダ殿……私で良いのであれば、どうぞよろしくお願いします」
「決まりね。あなたなら、背中も任せられるし安心だわ」
「これから、よろしくね」と右手を差し出したベリンダ。一瞬だけ戸惑うも、マキシマスは彼女の手を握った。
そこへ、ファビオが通りがかった。
ベリンダを見て駆けてきた彼は、マキシマスの姿に一瞬だけ顔を強張らせる。
「ベリンダさん、お疲れ様です! マキシマスさん……でしたよね?」
「こんにちは。先日はお世話になりました」
「いや、こちらこそどうもっす」とファビオはマキシマスに頭を下げた。
少しだけ不安げに二人を見るファビオに、ベリンダは笑顔を向ける。
「これから、マキシマスさんと組むことになったの」
「えっ? でも、ベリンダさんはソロなんじゃ……」
「回復役の相方を探してたのよ。女一人だと何かと物騒だしね」
「相方……」と呟いたファビオに、ベリンダは笑いかける。
「ファビオ君、少し元気ないわね。これから一緒に食事にでも行く?」
「ご馳走するから、遠慮せずたくさん食べて」と笑うベリンダに、ファビオは目を見開いた。
「ファビオ君って、弟に似てて可愛いっていうか――放っとけないのよね。一緒に行きましょうよ」
ベリンダの優しい眼差しに、ファビオは両手を握り締めた。
「ありがとうございます! でも、ちょっと用事があって……それじゃ!」
「ファビオ君!」
くるりとベリンダに背を向けて駆け出したファビオ。
その瞳は、僅かに滲んでいた――
◇
「あっ、ファビオさん! ――あれ?」
噴水広場の方から飛び出してきたファビオさんは、わたしたちに気付きもせずに走り去っていった。
「随分、急いでいましたね」
「うん……」
(ファビオさん、泣いてた……?)
一瞬だけ見えた彼の顔が、とても悲しそうに見えたのだ。気のせいだろうか。
わたしは、ルアの浜辺でのバーベキューのリベンジを図るために、イグナシオと買い出しに行った帰りだった。
「アグネス様、重いでしょう? 私が持ちますよ」
「わたしも運びたいの。焼き野菜も楽しみだね」
わたしたちの抱えている袋には、新鮮な果物や野菜が入っている。持ちきれないものはイグナシオの収納に入れてもらったし、このくらいは運びたい。
これからバーベキューだと実感できるし、楽しみも倍増だ。
「あら、アグネスさんに神官さん、こんにちは」
噴水広場から出てきたのは、ベリンダさんとマキシマスさんだった。珍しい組み合わせだ。
「こんにちは! マキシマスさんも一緒だなんて珍しいですね」
「これから、珍しくなくなるわよ」と笑ったベリンダさんに、胸がドキリと鳴った。
「まさか……」
「わたしたち、組むことになったの」
「えっ?」
聞けば、マキシマスさんは教会本部での勤めを休職して、しばらく冒険者をすることにしたそうだ。
彼は前よりもどこか穏やかな表情をしているから、きっとこれで良かったのだろう。
「これからギルドに行ってくるわ」
「アグネス殿、竜殺し殿、これからも宜しくお願いします」
笑顔のベリンダさんと、礼儀正しく腰を折ったマキシマスさん。
去って行く彼らの背中を見送ると、わたしは傍らのイグナシオを見上げた。
「あのさ……ファビオさん、元気なかったよね」
「そうですね」
「ねぇ、イグナシオ。……今日さ、ファビオさんも誘って良い?」
「構いませんよ」
もしかしたら、ファビオさんには断られるかもしれない。
それでも、声を掛けてみることにした。
「アグネス様、たくさん食べてくださいね」
「実は、こっそりドラゴンの肉も用意してあるんですよ。アグネス様を驚かせようと思って……ふふふ」と笑ったイグナシオ。
こっそり用意した意味があまりなくなっている気がするが――
「ドラゴンって食べられるの?」
「はい。南方の国では、高級食材として人気だそうですよ」
「へ〜、楽しみ!」
わたしはドラゴンの分厚いステーキを想像して、緩みかけた口元を引き締めたのだった。
「アグネス……?」
そのとき、すれ違った獣人族の青年がわたしの名を口にしたことに、わたしは気が付かなかった――
◇
噴水広場近くの大通り。
腰から剣を下げて歩いていた獣人族の青年は立ち止まると、振り返った。
その視線の先には、買い物袋を抱えて笑い合うアグネスとイグナシオの姿がある。
相棒が突然立ち止まったことに、人族の青年は怪訝そうな顔を向けた。
「おい、どうしたんだ?」
「いや……ちょっと知り合いに似てて……」
獣人族の青年の視線を辿って振り返ると、人族の青年は呆れたように笑った。
「おいおい、相棒! やめとけよ。連れがいるぜ」
「応援はしてやるけど、どうせ振られるって!」と茶化され、獣人族の青年は「ちげーよ! 誤解すんな!」と叫んだ。狼のような灰色の耳と尾が少しだけ逆立っている。
「人違いだよ。……アイツは、もういないから」
「もう行こうぜ」と歩き出した獣人族の青年に、人族の青年は顔を曇らせた。
「それって、もしかして教会の幼馴染――」
「忘れろ、あんな話。……行くぞ」
二人の青年は、冒険者ギルドに向かって歩き出した。




