第51話 神官、語らう
「とりあえず、落ち着きましょう」
マキシマスさんの言葉に、わたしたちは砂浜に腰を下ろした。
小さな無人島に流れ着いたわたしたちは、イグナシオが熾した焚き火を囲んでいた。焼いているのは、マキシマスさんが獲ってくれた魚だ。
幸い、イグナシオの収納からも腐る程に食料は出てくるので、ひと月はここで過ごせそうだ。
(はぁ……バーベキューには、間に合わないよね)
わたしは、遠い水平線を見つめた。
どの方向から来たのかも、よく分からない。
誰かがわたしたちがいないことに気づいて、助けに来てくれることを祈るしかないのだろうか。
「……申し訳ありません」
「謝らないで! 大丈夫だから、ね?」
イグナシオは、膝を抱えて項垂れている。
陸地に着いても、魔法陣は作れなかったのだ。この小さな無人島は、水の気が強いらしい。
「このミートパイ、とても美味しいですね」
マキシマスさんの低い声が柔らかく響いた。この空気を、少しでも明るくしようとしてくれているのだろう。
「それは、イグナシオと一緒に作ったんです」
そう返すと、「そうなのですね」とマキシマスさんは淡く微笑んだ。
まだ明るい砂浜で、焚き火が小さく弾ける音が響く。
「竜殺し殿」
マキシマスさんの呼び掛けに、イグナシオが少しだけ顔を上げた。
「竜殺し殿は、どうして神官の道に?」
マキシマスさんの問い掛けに、イグナシオは静かに口を開いた。
「……少し、信仰というものが気になりましてね」
「成る程」と呟いたマキシマスさんも、膝をそっと抱えた。
「ご自分はどうなんですか?」
「私は、その……旅の神官に憧れて――」
マキシマスさんの実家は、ルアから東に行ったところにある小さな漁師町で、子どもの頃に家に泊めた旅の神官さんがきっかけなのだという。
「アグネス殿は、どうして神官見習いになったのですか」
「うーん……イグナシオも神官だし、わたしも教会にいたから、その流れで……」
「そうだったのですね」と静かに返したマキシマスさん。
わたしは、赤子の頃に籠に入れられてリーテの町の川辺に流れ着いたところを獣人族の老人に拾われたそうだ。その老人は、自分では育てられないからと教会に託してくれたらしい。
籠の中には『苺月の晩に産まれたこの子に、どうか神のご加護と風の精霊の導きを』と書かれた手紙とペンダントが添えられていたとか……。
わたしは、首から下げた精霊石のペンダントにそっと触れた。ペンダントの裏には、『アンセルマ』と刻まれている。
それが、親の名なのか、親が付けたわたしの名なのか――それとも、別の意味があるのか……。わたしは何も知らない。
「アグネス殿もリーテのご出身でしたね」
「はい。五歳くらいまでですけどね」
リーテはフィン川の下流にある小さな町だった。フィン川は精霊の森から流れていて、とても美しい川だったのを覚えている。
「リーテの教会は、十年前に火事で焼失したと――アグネス殿がご無事で良かったです」
「火事のときに、イグナシオが助けてくれたんです」
「そうだったのですね」
イグナシオを見ると、彼は顔を上げていた。微かに微笑んで、わたしの方を見つめている。
「助けられたのは、私の方ですよ」
イグナシオは、いつもそう言うのだ。
わたしたちを見て、微かに微笑んでいたマキシマスさんは視線を落とした。
「リーテの教会には……確か、黒い天使像の話がありましたね」
(天使像……)
その言葉に、何故か胸がざわめいた。
「……それ、どんなお話なんですか?」
「昔、呪われた天使像が神官たちの手によって封じられたとか――いつ頃の話かは定かではないですが」
「呪われた……?」
「呪いなんてありませんでしたよ。ただ色が黒くなっただけですから」
「?」
わたしは、イグナシオに首を傾げた。
「竜殺し殿も、黒い天使像をご存知なのですね」
「四百年前は白かったんですよ。それが、確か百年くらいで黒くなって、封じられてしまって……」
「そのようなことが……ですが、呪いでないなら、何だったのでしょうか」
「よく分かりません……入っていたら、黒くなっただけです」
沈黙が流れ、わたしとマキシマスさんは少しだけ顔を見合わせた。
「竜殺し殿……先程、『入っていたら黒くなった』と聞こえたのですが」
「はい。百年くらいで黒くなりました。それで封印されて……」
「封印って、どういうこと?」
「ああ、私は天使像の中にいたので」
ふいに、宝物のように大切にしていた『てんしさま』を思い出した。確かに黒かったけれど、優しくて綺麗な微笑みの天使像だったはずだ。
「……竜殺し殿……」
ひどく気の毒そうな視線をイグナシオに向けるマキシマスさん。
空腹のあまり、当時のイグナシオは変な想像に走ってしまったのだろうか――自分は天使像なのだと信じて……。
流れる沈黙と夕焼けに染まる海。
優しく打ち寄せる波の音だけが響いている。
「ちなみにこれです。アグネス様は覚えてくださっていますか?」
(怖っ……!!)
ニコニコ顔のイグナシオが亀裂から大切そうに取り出したのは、黒焦げの不気味な天使像だった。どこからどう見ても特級の呪いの品だ。
「竜殺し殿、これは……まさか――」
顔を引き攣らせたマキシマスさんに、イグナシオは爽やかに微笑んだ。
「火事で少し燃えただけですよ。修復して、記念に取っていました」
「四百年、お世話になったので」と天使像をしみじみと見つめるイグナシオ。
「お世話になった……って」
「しばらく、これに入っていたんです。信仰を間近で見たくて……さすがに、エイヴリーの女神像には入りたくなかったので」
「エイヴリーから、永遠にからかわれますからね」と小さく付け加えたイグナシオ。
「まさか、天使像に入るなど……竜殺し殿はきっと心が疲れて――」
そのとき、イグナシオがひゅっと消えて黒い天使像がゴロリと砂浜に転がった。
『今入っていますよ! わかりますか?』
しゃべる天使像を前に、マキシマスさんは石像のように固まっている。
「えっと……つまり、イグナシオは四百年くらいこの天使像の中にいたってこと?」
『はい。教会を少しだけ見物するつもりが、つい長居してしまって……封じられていたところを、十年前にアグネス様が救い出してくださったのです』
「なるほど……」
彼がわたしに『救われた』と言っている理由がよくわかった。
(食前の祈りを知らないわけだよね……)
天使像が食堂でご飯をもらえるわけなどない。当たり前だ。
まぁ、色々気になる点はあるが、リーテの神官たちに罪はなかったということだ。うん。
マキシマスさんは、相変わらず像さながらに固まっている。
(まぁ、中々信じ難い話だよね……)
天使像の中で四百年過ごしたなどと、すんなり信じられる人は少ないだろう。
ただ、わたしには不思議と嘘とは思えなかった。実際に、天使像に入っているしね。
「いやあ、色々と思い出してしまいましたね……」
いつの間にか天使像から出てきたイグナシオは、懐かしい記憶を思い起こすように天使像を撫でると、そっと亀裂の中に仕舞った。
「……マキシマスさん、大丈夫ですか?」
「アグネス殿……お気遣い、ありがとうございます」
彼は、ひどく複雑そうな表情で考え込んでいる。
ここしばらく、本当に色々あった。
彼の心が、少しでも穏やかになる日が早く来れば良いのだが――
(さて、どうやって帰ろうかな……)
そう考えていたとき――突然、砂浜に白く輝く魔法陣が浮かび上がった。
「やあ、ここにいたね。もうじきバーベキューが始まるよ」
「エイヴリー様!!」
救いの神が現れた!
これでバーベキューに参加できるぞ!
「おや? それは、僕があげた石じゃないか」
「えっ?」
目を細めるエイヴリーさま。
わたしの胸元の小さな精霊石が煌めいている。
「そうだったのか……君があのときの子だとはね」
憂いを帯びたエイヴリー様の眼差し。
ただ、波の音だけが優しく響いていた。




