第50話 神官、流される
「これ、アグネスさんの分っすよ!」
「ファビオさん、ありがとうございます!」
わたしは瑞々しいスイカを頬張った。
ファビオさんが買ってきて、エイヴリー様が叩き割ったスイカだ。
向こうでは、目隠しをされたクラウスさんがスイカ割りに挑戦している。
「スイカ、甘くて美味しいです!」
「良かったっす! 俺、向こうに持って行ってきますね!」
そわそわしながら、大切そうにスイカを運ぶファビオさん。その先には、パラソルの下で涼むベリンダさんの姿があった。
(がんばれ、ファビオさん!)
わたしは、心の中で彼の背中にエールを送った。
「おお〜♪ さすらいの〜、エイヴリ〜♪」
スイカを皮まで食べたエイヴリー様は、椰子の木の下で竪琴を奏でている。とても美しい旋律だが、詩が中々クセが強い。
「アグネス様〜! 完成しましたよ!」
「おお……すごいね」
誇らしげに立つイグナシオの傍には、立派な筏があった。
「前に、『筏に乗ってみたい』と言っていたでしょう?」
子どもの頃、女の子が筏で旅をする物語を気に入って、何度もせがんで読んでもらっていたことを思い出した。
タイトルは忘れてしまったけれど、彼が覚えていてくれたことに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ありがとう……ねぇ、乗ってみても良い?」
「勿論ですよ!」
イグナシオが筏を押し、透き通る波打ち際へと運ぶ。
「おう、竜殺し! またすごいのを作ったな〜」
「アグネス様のために頑張りました」
「暗くなる前に戻ってきてくれよ! バーベキューするからな」
「はい!」
浮かべた筏にわたしが乗ると、イグナシオが筏をゆっくりと押す。
純白の帆が、潮風を受けて大きく膨らんだ。
「筏で当てもなく漂流する物語あったよね? 最後、南の島で暮らすお話。……あれ、何だったっけ?」
「『南の海のマリーナ』ですね」
「そう! それそれ! ……懐かしいなぁ」
小さな頃に好きだった本は、イグナシオの方がよく覚えていてくれている。
わたしは、筏に揺られながら青い水平線を見つめた。
不思議だ。このまま、どこまでもいける気がしてくる。
「アグネス様、気に入っていただけましたか?」
「うん! イグナシオ、ありがとう」
夏空の下で見る彼の笑顔は、いつになく眩しく見えた。
海風がわたしたちの髪を揺らす。
わたしはそれ以上何も言わず、筏が波に揺られるのを楽しんだ。
「でも、結構沖まで来ちゃったね……」
振り返ると、ついさっきまでいたはずの砂浜が遠く見える。
まだ昼過ぎだからバーベキューまでは余裕だと思うが、陸から離れると少しだけ不安だ。
「イグナシオ、あの……漕ぐヤツは?」
問い掛けると、イグナシオは首を傾げた。
筏の上には、何も見当たらない。
「何だっけ。あの……あっ、オールだよ! 船で漕ぐヤツ!」
「出して出して」と手を差し出すと、イグナシオは心底不思議そうな顔でわたしを見返した。
「そんなもの、ありましたっけ?」
「えっ?」
「『南の海のマリーナ』は持っていませんでしたよね」
(そうだった……!!)
物語のマリーナは、確かにオールを持っていなかった。
ここは、泳ぐしか――
(わたし、泳げないんだった……)
「あのさ、収納に何か入ってないの? 木の板とか、何か……」
「探してみますね」
宙に浮かんだ亀裂に、イグナシオが深く腕を突っ込む。取り出されたのは、ほかほかのミートパイに焼きたての白パン、花細工の飴菓子――
「……だ、だれか〜!!」
わたしは、遠くなる陸に向かってバタバタと大きく手を振った。
そのとき、少し離れた海面から黒い影が飛び出した。マキシマスさんだ。
「マキシマスさん! 助けてくださ〜い!!」
両手を振りながら必死に叫ぶと、わたしたちに気づいたマキシマスさんがものすごい速さで泳いできてくれた。さすが漁師の息子だ。
「アグネス殿、竜殺し殿、どうされたのですか?!」
「すみません! 筏が流されちゃって」
「そうだったのですね……オールはどこですか?」
筏を見回すマキシマスさんに、流れる気まずい沈黙。
「オール、ないんです」
「……えっ?」
そうして、気が付けば、わたしたちは更に沖へと流されていた。
「アグネス様、どこを見てもエメラルドの海です! 『マリーナ』と一緒ですね」
「そうだね」
笑顔を向けてくるイグナシオを責めることなどできない。
確かにわたしは、幼い頃に『マリーナみたいに筏に乗りたい』と彼に言っていたはずだ。
「そうだ! イグナシオ、魔法陣で帰れるよね! バーベキューまでには、砂浜に帰ろうね」
視線を落として黙り込んだイグナシオに、わたしとマキシマスさんは顔を見合わせた。
「イグナシオ……?」
「……ここは水の上ですから、私に魔法陣は出せません」
「申し訳ありません」と落ち込んだ様子のイグナシオに、わたしはそれ以上何も言えなかった。
「マキシマスさん……巻き込んでしまって、すみません……」
辺りを見回し絶句するマキシマスさんと一緒に、わたしたちの波まかせの漂流が始まった――




