第47話 神官、励ます
わたしとイグナシオは、リベラの湯の貸切風呂に来ていた
特別会員用のエリアはいつも空いている。
「ふぅ……気持ちいい」
わたしは白い薬湯に首まで浸かると深く息を吐いた。この温かさが疲れた体に染み渡る。
「アグネス様、お湯加減はいかがですか」
「最高。丁度良いよ」
窓の外には緑が溢れる庭園があり、足湯で寛いでいる人たちが見える。
緑を眺めながら癒されていると、イグナシオがグラスの乗ったトレーを手に戻って来た。
「こちらはいかがですか」
「ありがと。いただきます」
少し冷えたフルーツミルクがとても美味しい。わたしは、ゴクゴクとそれを飲み干した。
「アグネス様、ゆっくり浸かってくださいね」
「うん。イグナシオもゆっくりしてよね」
わたしたちは、並んで湯船の中に座った。
「……マキシマスさん、大丈夫そうだった?」
「何とも言えませんね」
マキシマスさんは、男湯に行っている。
今朝、彼が放心状態から少しだけ落ち着き始めているとイグナシオから聞いて、マキシマスさんを出してもらったのだ。
彼は収納から出されてしばらくは呆然としていたが、「心身の健康のために、どうかリフレッシュしてください」と言うと、静かに大浴場へと向かった。
「そのうち来ると思います。こちらに来るように伝えていますから」
「そっか。……ここで少しでも心が落ち着くと良いね」
「イグナシオも飲みなよ」とフルーツミルクを勧め、わたしたちは薬湯に浸かりながら庭園を眺めていた。
「竜殺し殿」
「ああ、来ましたか」
「これをどうぞ」とイグナシオが渡したフルーツミルクを受け取ったマキシマスさんは、お礼を言ってから静かに飲み干した。良い飲みっぷりだ。
「色々とありましたが、薬湯に浸かってゆっくりしてください」
「竜殺し殿……痛み入ります」
イグナシオに頭を下げると、マキシマスさんは薬湯に静かに入ってきた。
湯口から薬湯が流れる音が響いている。
「マキシマスさん、お疲れ様です。突然ですけど、ケーキはお好きですか?」
「はい。嫌いではありませんが」
「良かった……帰りに、カナリアに行こうと思ってて。一緒にどうですか?」
「そうですね……」と暫し思案する様子のマキシマスさんを見つめていると、彼が突然に「うわああっ?!」と大声を上げた。
「あ、あ、あ、アグネス殿?! 何故貴女がここに?!」
「えっ?」
「大声を出さないでくださいよ。アグネス様が折角寛いでいるのに――」
ザバァ!!と薬湯から出たマキシマスさんは両手で顔を覆っている。
「こ、こんな……破廉恥な……!!」
「いやいや、水着着てますよ?」
当然だが、わたしもイグナシオもマキシマスさんも、温泉用の水着を着ている。半袖に半ズボンの男女共用のものだ。
「許されません!!」
マキシマスさんは、「おお! 神よ! 罪深い私をどうか――うわああっ!!」と叫びながら貸切風呂を飛び出していった。
「……ハレンチだって」
「彼は変わっていますからね」
「うん。……イグナシオも中々だけどね」
(心の傷、深そうだなぁ……)
「アグネス様、フルーツミルクのおかわりです」
「ありがと」
わたしは、ゴクゴクと二杯目のフルーツミルクを飲み干したのだった。
◇
「ヒィッ!!」
「きゃっ?!」
特別会員エリアの通路。
向かいを歩いてきたガウンを羽織った若い女性たちから飛び退ると、マキシマスは勢いのままに逃げ去った。
(……ここが、破廉恥温泉だったとは……!!)
しばらく走って立ち止まったマキシマスは、目に焼き付いた光景を振り払うかのようにブンブンと首を激しく振った。
「はぁ……落ち着くんだ。……落ち着け、マキシマス」
荒い息で顔を上げた彼の目の前には、両開きの木の扉があった。男性用サウナのプレートが掛けてある。
「サウナか、初めて入るな……よし、ここで精神統一をしよう」
一人頷いたマキシマスは扉を開け熱気の中に身を投じると、深く深呼吸を始め――ゲホゲホと激しく咳き込んだ。
「あら? マキシマスさんじゃない♡ 大丈夫かしらん?」
「――ゲホゲホっ!! ロジータ殿?!」
咳き込みながらマキシマスが顔を上げると、そこにはマドンナの店主ロジータが座っていた。汗でも流れない派手な化粧に、ゴツゴツとした逞しい身体にはピンク色のバスタオルを巻き付けている。
「いけません!! 女性がこのような場所に!」
視界を隠すように手で覆うと、マキシマスはロジータから背を向けた。
「ヤダ♡ 心配ご無用よん。水着もちゃあんと着てるしね」
(ここは、男女共用だったのか……?)
「それでは、失礼を……」
首を傾げながら、マキシマスはロジータの隣の隣の椅子に腰を下ろした。
「マキシマスさんって、紳士なのね♡」
「神官ですから」
「ヤダ♡ 好きになっちゃいそう……」
「それは……いけません!」
真剣な顔でそう言って顔を逸らしたマキシマスに、ロジータは「ふふふ♡」と楽しげに笑った。
「マキシマスさん、元気がないみたいね」
「……わかりますか」
「モチロンよん」
「もしアタシで良かったら、聞くわよん」と静かに口にしたロジータに、マキシマスは膝の上の手を握り締めた。
「大丈夫よ。ゆっくりで」
「信仰が……生涯を捧げると誓っていたのに、その誓いが揺らいでいるのです」
悲壮な顔でそう紡いだマキシマスに、ロジータは静かな眼差しを向ける。
「誓いが揺らいだらいけないの?」
「えっ……?」
顔を上げたマキシマスに、ロジータは微笑む。
「そういうときがあっても良いんじゃない? だって、感情って……自分ではどうしようもないじゃない?」
「……ですが、私は神官で……女神様に、宣誓を……」
「あら……誓いを破ったら、アナタの女神様はアナタを罰するのかしら?」
ロジータの優しい声に、ハッと目を見開いたマキシマスは唇を結ぶと首を横に振った。
「アタシたちは神様じゃないわ。間違うこともある……でも、アタシはそれで良いと思ってるの」
サウナの中に、少し枯れた、包み込むような優しい声が落ちる。
ロジータの声を、マキシマスは黙って聞いていた。
「マジメなのはステキだと思うけど……もっと、肩の力を抜いてみても良いんじゃないかしらん?」
ロジータの慈愛に満ちた眼差しに、マキシマスは涙をひと粒零した。
「すみません……男なのに、このような……」
「良いのよ。泣いたって良いじゃない」
手で顔を隠し俯いたマキシマス。
その肩に、ロジータはゴツゴツとした大きな手をそっと置いた。
――その頃、リベラの湯の正面では……。
「マキシマスさん、大丈夫かな。……結局戻ってこなかったね」
「大丈夫ですよ。大人ですから」
「さぁ、カナリアに行きましょう。好きなだけ召し上がってくださいね」と微笑んだイグナシオにアグネスは頷く。
「よし、たくさん食べるぞー!」
拳を振り上げたアグネスとイグナシオは、二人でカナリアへと歩き出した。




