第45話 神官、奇人を連れ帰る
魔城を後にしたわたしたちは、魔の森を歩いていた。
討伐隊のメンバーは、ひと言も喋らず歩き続けている。
(マキシマスさん、大丈夫かな……)
膝を抱えたまま動かなくなった彼は、イグナシオの収納に入っている。
護衛騎士の一人は虚ろな目だ。
心の拠り所を破壊されたのだから無理もない。
「ね、イグナシオって、『リオン』って呼ばれてたの?」
「……そう呼ぶのはエイヴリーだけですよ。私はイグナシオです」
「そっか……イグナシオはハーフエルフじゃないんだね?」
「はい」
「……魔族でも、ないんだよね?」
「アグネス様、私は……」
白頭巾を取ったイグナシオは、ひどく元気がない。こんな彼は初めてだ。
わたしは、彼を安心させるように笑いかけた。
「イグナシオは、イグナシオだもんね?」
空色の瞳がわたしを見つめる。
彼は瞳を滲ませると微かに微笑んで頷いた。
「ふふっ。何だか、私も冒険者とやらになった気分だよ」
魔境に似つかわしくない清らかな白絹の衣を纏ったまま、エイヴリー様はスタスタ歩いている。
足には、足首を紐で括るやたらと古風なサンダル。
神が隣を歩いていることに現実味が湧かない。
「あの……エイヴリー様って、花の神様なんですよね?」
「僕は春風の神だよ。花の女神はね……ちょっとした誤解から始まったんだ」
ずっとずっと――遥か昔のこと。
エイヴリー様は、自ら生み出したハイエルフたちの様子を見に地上へ舞い降りたのだという。
「――捧げられた花冠がとても嬉しくてね……着けて子どもたちの様子を見に行ってたのさ。そうして、気付いたら女神像が作られてて……まあ、別に良いかと放ってたらこうなってた」
「でもまあ、永く祈ってもらえたおかげで、僕は強くなれたよ。……でもまさか、リオンとの恋物語まで生まれるとはね。ははは」
爽やかに笑うエイヴリー様に、イグナシオは仏頂面だ。
「それにしても……リオンは随分と感じが変わったね。銀の髪もよく似合っていたけれど、その姿も中々素敵だよ」
「余計なことは言わないでください」
「僕もしてみようかなぁ、イメチェン」
エイヴリー様が軽く手を翳してさっと払うと、長かった髪が肩ほどの長さに変わった。
「どうだい? 少し男らしくなったろう」
「そう、ですね……」
ゆったりとした白絹の衣に緑の冠。
神話の世界から飛び出してきたような出で立ちは変わらない。
「ふう。少し飽きてきたなあ……皆、疲れたろう。どこまで行くつもりだい?」
「えっと、オルティスの王宮です」
(神様、飽きるの早いな……)
突然立ち止まったエイヴリー様が手をヒョイヒョイと動かした。
「皆、そこに集まってごらん。ほら、リオンも入って」
エイヴリー様の指示で、木々の間のひらけた一角にわたしたちは集まった。
先頭のイグナシオの腕の中にいるわたしは問題ないが、後ろの男の人たちがギュウギュウで人口密度が高すぎる。
「王宮の僕の像の前で良いね?」
突然、わたしたちの足元に澄んだ白い光が広がった。描かれているのは、大きな白い魔法陣だ。
「さあ、行こうか」
「ちょっと待ってください、エイヴリー様――!」
気づけば、わたしたちは王宮の女神像の前に立っていた。
◇
「はぁ、疲れた……」
ようやくリベラの街へ戻ったわたしは、深くため息を吐いた。
「アグネス様、申し訳ありません」
「いいよいいよ。イグナシオのせいじゃないでしょ」
イグナシオの向こうを、ご機嫌なエイヴリー様は素知らぬ顔で歩いている。
王宮での報告をなんとか終えたわたしたち『魔王討伐隊』は、即解散の運びとなった。
国王さまは、“魔族は脅威でない”ということに心から安心した様子だった。
(まさか、こんなことになるなんてね……)
わたしは、エイヴリー様の美しすぎる横顔をちらりと見た。
この神様を黙らせることに全神経を注いで、もうクタクタだ。
マキシマスさんのような被害者を出すわけにはいかなかった。
麗しく慈悲深い花の女神エイヴェリーの正体は、国家の――いや、世界機密だ。
「いやあ、王都とまた違って中々良い街だねぇ。君たちは、今からどこに行くんだい?」
「冒険者ギルドです」
「へぇ……面白そうだから、僕も行くよ」
(うわ、めちゃくちゃ嫌そう……)
あからさまに顔をしかめたイグナシオと共に、わたしたちはギルドへと向かった。
「おう、おつかれだったな! 魔王の討伐とやらはどうだった?」
ギルドの受付は今日も賑わっていた。
楽しげに笑うダリオさんに、わたしは疲れた笑いを浮かべる。
「魔王不在で即帰城、即解散でしたよ。魔族はとても友好的で好意的な種族でした。……あっ」
「アグネス殿、どうされましたか?」
(ケーキ……食べ忘れてた!)
クラウスさんにはとても言えないが、魔城のスイーツを食べ損ねていたことに今更気付いた。とても悔しい、というか悲しい。
「アグネス様、帰りにカナリアに寄りましょうか。リベラの湯にも行きましょう」
「うん! ありがとう……」
涙が零れそうだ。
さすがイグナシオ。よくわかってくれている。
「でも……今日はゆっくり寝たいから、明日行きたいかも」
「畏まりました」
いつも通り微笑んだイグナシオにホッとする。
明日は、温泉でゆっくり過ごしてから、カナリアで美味しいケーキをたくさん食べよう。楽しみだ。
「へぇ、賑やかで面白そうなところだね。冒険者とやらを僕もやってみたいな」
「おや、こちらはどちらさんだ?」
ダリオさんが、エイヴリー様に目をやった。
「古い知人ですが、変わり者で話が通じません。気を付けてくださいね」
真剣な顔で忠告したイグナシオに、「竜殺し殿には言われたくないかと」と失笑するクラウスさん。ダリオさんとヘレナさんも小さく笑っている。
「僕はエイヴリー。気軽にエイヴって呼んでくれて構わないよ」
バチンとウインクしたエイヴリー様に、ダリオさんたちは固まっている。
クラウスさんは、エイヴリー様の緑の冠とゆったりとした白絹の衣に目をやった。
「エイヴリー殿と仰りましたね。……失礼ですが、どちらの国からおいでですか?」
「天だよ。魔界経由で来たけどね」
(言っちゃったよ……)
ダリオさんたちは、笑みを浮かべたまま口を噤んだ。
「迷うなあ……色々な職業があるんだね。僕に相応しいのは――」
そして、無事に冒険者登録を済ませたエイヴリー様は吟遊詩人として活動を始めた。
早速気ままな放浪の旅に出るとのことで、彼は意気揚々とギルドを後にしたのだった。
わたしたちが外に出ると、空はすっかり夕陽の色に染まっていた。
暖かな色に染まったリベラの街はとても綺麗だ。
「エイヴリー様、大丈夫かな」
「……どうしてです」
「神様なのに、冒険者なんかして大丈夫なのかなって……」
「あれは飽き性ですから、そのうちに天に帰るでしょう」
(天……)
わたしは立ち止まって空を見上げた。
薄紅色のグラデーションがとても綺麗だ。
あの広がる雲の上に、神様の世界があるのだろうか――
「……ねぇ、イグナシオ」
「何ですか?」
夕陽を少しだけ溶かしたような優しい空色の瞳を、わたしは見上げた。
「イグナシオは……どこにも行かないよね」
彼の瞳が、ほんの少しだけ揺らいだ。
黙って微笑んだ彼は、わたしの手を包むようにそっと握る。
「どこにも行きませんよ。ずっと、アグネス様のお傍にいます」
「……うん」
わたしは彼の大きな手を握り返した。
「帰りましょう、アグネス様」
夕暮れの道を、わたしたちはゆっくり歩き出した。
◇エイヴリー
自由気ままな男神。地上では『女神エイヴェリー』として信仰を集めている。




