第37話 神官、謝罪される
小川のせせらぎに、焚き火がパチパチと弾ける音が響いている。
朝露草の採取を終えたわたしたちは、焚き火を囲んで休んでいた。
「そうだ! イグナシオ、さっきね、これを見つけたんだ」
わたしは、採っておいたヤマモモの実を数粒差し出した。イグナシオの一番の好物だ。
「ヤマモモですね! アグネス様、ありがとうございます」
彼は幸せそうに目を細めると、「糧を与え給う神に感謝を」と深く祈りを捧げた。ヤマモモを食べるときだけは、いつもより長く祈るのだ。
「マキシマスさんもいかがですか?」
「いえ、私はお気持ちだけで十分です」
魚の串焼きを静かに口にするマキシマスさん。
イグナシオはヤマモモを口に運んでは、瞼を伏せてゆっくりと味わっている。
「教会に属さずとも、日々の祈りを欠かさないとは……竜殺し殿。私は、貴方を少し誤解していたようです」
マキシマスさんは、そう言って視線を落とした。
イグナシオは、基本的に食事の前にしか祈らないのだが――
「食前の祈りは、アグネス様から教わったのです」
しみじみとそう返したイグナシオに、マキシマスさんがハッと顔を上げた。眉間に皺が寄っている。
「そうだったっけ? ……というか、何で食前の祈りを知らなかったの?」
「私はずっと聖堂にいたのです。ですから、食事の席での祈りは知りませんでした」
「それでは……食事はどこでされていたのですか?」
「食事は、ありませんでしたよ」
焚き火が、パチリと弾けた。
マキシマスさんはイグナシオを唖然と見つめている。
「待って……教会でご飯食べたことなかったの?」
「はい。私の分はありませんでした」
そのとき、マキシマスさんが魚の串焼きを置いて両膝を付いた。
「そんな、まさか……ハーフエルフだからと、食事を与えられなかったのですか?!」
「さぁ……どうしてでしょうね」
薄く微笑んだままのイグナシオ。
教会の女神像には、毎朝季節の果物が供えられる――彼は、それをどんな気持ちで見ていたのだろうか。
同じ教会にいたはずなのに、わたしは何も知らなかった。ひどく苦しくなった胸に、手を強く握り締める。
「教会が、そんな非人道的な差別行為を許していたとは……どうりで、ハーフエルフの神官の記録がないはずだ」
「すみません。わたし、何も知らなくて……」
「いや、アグネス殿が知らないのも無理からぬことです。竜殺し殿がリーテの教会でお勤めされていたのは、四百年も前のことでしょう」
「でも……イグナシオはずっとリーテにいたんだよね? わたしがリーテにいたときも」
「はい」
「なんと……四百年も……」
マキシマスさんは、苦しげに顔を歪めた。
「竜殺し殿。……私の謝罪では到底許されることではありませんが、教会を代表し、心より謝罪を致します。この件は、教会本部にも伝えて、改めて――」
「どうでも良いですよ。別に気にしていませんから」
「イグナシオ……」
「私は、あの教会を気に入っていました。別に謝罪なんて必要ありませんよ」
「竜殺し殿……」
マキシマスさんが震える手を握り締めた。
パチパチと、焚き火が小さく弾ける音だけが響いていた。
その帰り道、マキシマスさんはずっと黙っていた。
「マキシマスさんも、一緒にパンケーキを食べませんか?」
「いえ、私はこれで失礼します。……本日は、同行させていただきありがとうございました」
彼は深々と腰を折ると、静かに去っていった。
「アグネス様、ふわふわのパンケーキを焼きましょう! 採りたての蜂蜜をたっぷりかけますからね」
「イグナシオもたくさん食べてね! ヤマモモも乗せよう」
帰り道でこっそり採っておいたヤマモモの実を見せると、彼は幸せそうに笑った。
けれど、いつもは暖かな気持ちになるはずの彼の笑顔に、胸の奥がチクリと痛んだ。
これからは、もっと食事に感謝しよう――勿論、彼にも。心からそう思った。
◇
教会の小部屋へと帰ったマキシマスは、すぐさま黒い手帳へと向かった。
『五月十六日、調査五日目。
今日は、とても衝撃的な話を聞いてしまった。
なんと、竜殺し殿はリーテの教会で食事をしたことがないのだという。
ハーフエルフは非常に珍しい。
純血のエルフでないとしても、女神エイヴェリー様の血を分けた尊い存在であることに変わりはないというのに――
リーテの教会では、それほどに迫害されていたのだろうか。私の知る限りでは、そんな記録は見たことがないが、隠されていたということなのか……。
そのようなことが、教会で行われていたなどとは、想像するのも恐ろしい、許されざることだ。
彼が無事でいられたのは、おそらくハーフエルフだからだろう。人族であればとっくの昔に――おお! 彼らは何という罪を犯したのだろうか。
教会を離れても冬の祈りを暗唱出来るほど祈りを捧げてきた彼は、一体どのような思いでリーテの教会に勤めていたのだろう。
敬虔な神官だったはずの彼の信仰心を変えてしまったのは、教会での長く理不尽な日々だったのかもしれない。
星暦千六百年頃には神官見習いだったはずのニコラウス様――あの方は、それをどう思っていたのだろうか。
まだ年若い見習いだったために、声を上げても揉み消されたのかもしれない――食事を分け与えようとしても、叶わなかったのかもしれない。
けれど、何をどう考えても、この胸の暗い燻りは消えないのだ。
彼は、それを四百年近くに渡って耐え続けて来たのだ。
おお! もはやこの贖罪の気持ちを言葉で言い表すことはできない。
彼には止められたが、やはり教会に報告すべきだろうか――
慈悲深い女神エイヴェリー様、私は、一体どうすれば良いのでしょう……
貴女の敬虔な僕 マキシマス』
その日、彼は眠ることが出来なかった。




