第36話 神官、親睦を深める
まだ陽が昇る前――
わたしたちは、採取依頼のために宿を出た。
目指すは、リベラの西にある森の奥――朝露草の群生地だ。
「おはようございます。こんなところで奇遇ですね」
「マキシマスさん?!」
まだ薄暗い宿の前には、少しぎこちない笑顔を浮かべるマキシマスさんが立っていた。
人っ子一人いない暗い通りに黒い衣の神官が一人。不気味だ。
「……イグナシオが呼んだの?」
「いえ、呼んでいません」
「いやあ、実に偶然だ。これからお出かけですか?」
(神官って、変な人しかいないのかな……)
そこへ、「おはよう」とベリンダさんがやって来た。
「……あら、今日はたくましい神官さんも一緒なのね」
「はじめまして。教会本部から参りました、マキシマスと申します」
「私はベリンダよ。よろしくね」
「早く行きましょう。朝露草の近くでは、美味しい蜂蜜が採れるそうです」
「アグネス様、帰ったらふわふわのパンケーキを焼きますからね」と張り切るイグナシオに、わたしは大きく頷いた。蜂蜜をかけたふわふわパンケーキが楽しみだ。
そうして、何故か同行してきたマキシマスさんも加わり、わたしたちは朝露草の群生地へと出発した。
「アグネス様! 食べられるキノコがありましたよ」
「わぁ! 後で焼いて食べよう」
わたしたちがキノコを採取していると、「ベリンダ殿はお下がりを!」とマキシマスさんの声が聞こえた。
「ホーンボアと……フォレストスライムですね」
現れた小型から中型の魔物たちは、すべてマキシマスさんが一瞬で片付けてしまった。拳と回転蹴りで敵を捻じ伏せる様は、まるで武闘家のようだった。
「驚いたわ。マキシマスさんって、強いのね」
「いえ……私など、まだまだです」
ナックルを嵌めた拳を見つめるマキシマスさんは、少し嬉しそうに見える。
神官にしては十分すぎるほどの強さだと思うが、一体何を目指しているのだろうか。
そうして、わたしたちは朝露草の群生地に辿り着いた。
「綺麗な朝焼け……」
目の前に広がる景色に、わたしたちは立ち尽くした。
澄んだ青空には赤みがかったオレンジ色の雲がたなびき、一面に広がる朝露草が揺れている。夢のように幻想的だ。
「おお! なんという美しい景色……まさに女神エイヴェリー様の祝福。心が洗われる」
「まるで、アグネス様の心のような美しさですね」
「神官さんって、面白い人が多いのね」
(やっぱりそう思うよね……)
マキシマスさんは、朝露草の採取を積極的に手伝ってくれた。それも無償でだ。さすが神官さんだ。
「蜂蜜もたくさん採れて良かったわね」
「パンケーキにかけるんです。ベリンダさんも一緒に食べませんか?」
「せっかくだけど、お昼から予定が入ってるのよ。朝露草、分けてもらえて助かったわ」
朝露草は傷薬の材料で、ベリンダさんは自作しているそうだ。
採取を終えたわたしたちは、道中を流れる小川の傍で休憩を取ることにした。
「綺麗なところね。……少し涼みたいわ」
「良いですね。わたしも――」
「アグネス様! お待ちください」
イグナシオが手を翳すと、ヴェールを纏ったようにわたしの両足がぼんやりと光った。保護魔法だ。
ベリンダさんがロングブーツをするりと脱ぎ、素足を小川にさらした。
そのとき、ふいにマキシマスさんと目が合った。顔が真っ赤だ。
「マキシマスさんも一緒にいかが?」
「い、いえ……私は――魚を獲ってきます」
慌てて黒い神官服を翻したマキシマスさんの背中に、ベリンダさんはクスリと笑みを零した。
「ひゃっ! 冷たい……!」
「気持ちいいわね」
澄んだ小川の水に足を浸して、わたしたちは笑い合った。
◇
――そうして少し経ってから、マキシマスさんが戻ってきた。
「……ベリンダ殿はどうされたのですか?」
「彼女は他の依頼があると街に戻りましたよ」
「そうですか」と少しだけ声を落としたマキシマスさんは、小川へと近付いた。
(あっ! お魚が……)
マキシマスさんは、籠から出した一匹の魚を川にそっと逃がした。
おお! なんと慈悲深いのだろうか……。
マキシマスさんが、獲ってきた魚を串に刺して焼き始める。三匹だ。小袋から取り出して振ったのは、粗塩だろうか。
イグナシオは、収納から白パンと木の器を出して並べた。ほかほかの焼き立てだ。
「「糧を与え給う神に感謝を……」」
「糧を与え給う神に感謝を」
川魚の串焼きは、身がふわふわしていて最高に美味しくて――ペロリとなくなってしまった。一瞬だった。
「マキシマスさん! お魚、とても美味しかったです! ご馳走さまでした」
「それは良かったです」
マキシマスさんは、微かに微笑んだ。こんなに柔らかな表情もする人なのか――
そのとき、イグナシオが前のめりになった。
「マキシマスさん、これの作り方を教えてください」
「えっ……塩を振って焼くだけですよ」
「塩を振るだけですか? 処理は必要ないのですか?」
「この魚には必要ありません」
「では、処理が必要な魚を教えてください。処理方法も」
一瞬だけ固まったマキシマスさん。
彼は表情を変えないまま、食べられる魚と処理方法について語り始めた。
収納からペンとメモ帳を取り出したイグナシオは、頷きながら熱心にメモを取っている。
「ありがとうございます。とても勉強になりました」
「いえ……お役に立てたなら何よりです」
「これで、アグネス様のために魚を焼けます」と頭を下げたイグナシオに、マキシマスさんも微笑み返した。
「お礼にこれを差し上げます」
そう言ってイグナシオが亀裂から取り出したのは、シルバーウルフの屍だった。
「いえ! お気持ちだけで十分です」
慌てて押し留めたマキシマスさんに、イグナシオはシルバーウルフを亀裂に押し込んだ。
「収納とは、実に便利なスキルですね……どのくらい入るのですか」
「わかりません」
イグナシオの答えに、僅かに眉尻を下げたマキシマスさん。
会話が途切れてしまった。
「あの……マキシマスさんって、お魚に詳しいんですね」
「祖父と父が漁師なので」
「漁師さん……いつも新鮮なお魚が食べられそうですね。羨ましいです」
まさか、マキシマスさんが海の男だったとは。
確かに、こうして見ると意外と海が似合いそうだ。
「竜殺し殿、パンをありがとうございます」
「これはアグネス様のお気に入りなんです」
「アグネス様、おかわりをどうぞ」と三つ目のパンを差し出され、わたしは受け取る。
とても残念なことに、魚のおかわりはなかった。
思わず、マキシマスさんの手にある魚に目がいってしまう。ふわふわの身が実に美味しそうだ。
「アグネス殿、どうされましたか」
「ああ、いや……マキシマスさんって、なんでそんなに強いんですか?」
「いえ、私など……」
「いやいや、強いですよ! 神官さんなのに珍しいですよね」
「……女神エイヴェリー様をお守りできるように、日々鍛錬をしているのです」
「いつの日か、顕現なさることがあるかもしれませんから……」と薄く微笑んだマキシマスさん。何だか、神官と神官見習いを名乗っていることに罪悪感を感じる。
(マキシマスさんって、本当にエイヴェリー様が好きなんだな……)
彼の信仰は、ただ“信じている”というだけではないのだろう。彼の言葉や行動から、それがとても伝わってくる。
ふわふわの焼きたてパンに齧り付いていると、マキシマスさんが静かに口を開いた。
「あの、アグネス殿……つかぬことをお伺いしますが」
「何ですか?」
「アグネス殿は――何処かの王女殿下だと伺ったのですが……」
「えっ?! 誤解です! わたし、ただの孤児なので」
「そう、なのですか……?」
眉を少しだけ寄せたマキシマスさんは、探るようにイグナシオの方を窺い見た。
「アグネス様は、アグネス様ですよ」
「それでは、何故竜殺し殿は敬称を……」
怪訝そうな顔のマキシマスさんは、何かを言おうとして口を噤んだ。
わたしたちは、無言で焼き立てのパンを齧った。




