第35話 神官、教会に目を付けられる
リベラの中央広場。
晴天の休日は、様々な屋台が並んで賑やかだ。
「カレーの屋台もあれば良いのにね」
「収納に出来立てのカレーがありますよ」
「さすがイグナシオ! 帰ってすぐに食べよう!」
わたしは温かい袋をそっと抱き締めた。中には買ったばかりの揚げパン。カレーと一緒に食べたら最高に美味しいはずだ。
「ホーンボアのカレーだよね! 楽しみ♪」
「女神エイヴェリー様の祝福を」
(ん?)
硬い靴音と共に響いたのは、抑揚のない低い声。
振り返ると、そこには若い男性神官が立っていた。
「失礼。私はエイヴェリー教会本部に所属するマキシマスと申します。S級冒険者のイグナシオ殿でしょうか」
(うわっ、教会本部……?!)
短く整えられた黒髪に、少し浅黒い肌。神官にしては少しガッシリとした体躯に、飾り気のない黒い詰襟の神官服が威圧感を更に増している。
端正な顔立ちだが感情の読み取れない――なんというか、兵隊の人形のような人だ。
「私のことは、神官と呼んでください」
微笑んでそう返したイグナシオに、マキシマスさんは時を止めたように立ち尽くした。
「……どうしてですか」
「“イグナシオ”という名は、アグネス様だけが呼ぶ特別な名なのです」
「……そうなのですか?」
「いや、別にわたしがそう決めたわけじゃないんですけど……」
もはやイグナシオにツッコむ気力すら起きない。
わたしとイグナシオを交互に見つめて怪訝そうな顔をしたマキシマスさんに、わたしはため息を飲み込んだ。
「では、貴方の正式な名を教えてください」
「ですから、神官と呼んでください」
「それはできません。私も神官ですから」
「私は気にしませんよ」
これでは埒が明かない。
「あの、すみません。……彼のことは、“竜殺し”と呼んでもらえますか? ギルドでもそう呼ばれてるので」
「お手数ですが」と申し訳なさそうに付け加えると、マキシマスさんは「わかりました」と答えた。渋々と言った様子だ。
まあ、“竜殺し”と呼ぶのは男性職員だけだけど――
(ついに教会からマークされたのかな……)
胸の内をぐるぐると不安が渦巻いている。
――『女神なんていないというのに、憐れな――』
あの、エイヴェリー祭での発言を告げ口されたのだろうか。それとも、別件か? 白い神官服で目立ちすぎたのか。
もし、『神官を名乗るな』と言われたらどうしよう――このイグナシオが素直に従うとは思えなかった。
「竜殺し殿。失礼ですが、どちらの教会で修練を積まれたのですか」
「……リーテの教会にいましたが」
リーテの教会といえば、わたしが育った場所だ。
聞いていた通り、イグナシオはリーテの教会に勤めていたのか。
「ふむ、リーテですか。……大体何年頃か教えていただいても?」
「そうですねえ……確か――千六百年頃でしたか」
「「えっ?!」」
わたしとマキシマスさんは同時に声を上げた。
今は星暦二〇二六年。まさか四百年前の話が出てくるとは思わなかった。
「……ああ……ハーフエルフの方でしたね」
マキシマスさんは、わたしたちの耳にチラリと視線を向けた。
「しかし、星暦千六百年……まさか――リーテ出身の大神官ニコラウス様をご存知なのでは?!」
「ニコラウス……ああ、そういえば、熱心に祈っている神官がいましたね。彼の言葉は、よく覚えていますよ」
「おお! なんと……ぜひ今度お話をお聞かせいただきたい!!」
イグナシオが珍しく嫌な顔をしたが、「神よ、この巡り合わせに心からの感謝を!」と何やら祈りを捧げているマキシマスさんは気付いていない。
しかし、イグナシオが四百年以上も生きているということに驚いた。ハーフエルフはどのくらい生きるものなのだろうか――
イグナシオを見上げると、彼は柔らかく微笑んだ。
「それでは、私たちはこれで失礼します」
「待ってください! まだ聞きたいことが――」
「何ですか」
「大神官ニコラウス様のお言葉をぜひお聞かせいただきたいのです!」
今にも手を握りそうな勢いのマキシマスさんから、イグナシオはそっと一歩後ずさった。
そして、胸に手を添えて淡く微笑む。少しだけ瞼を伏せたその顔は、まるで聖像のようだ。
「……私は、女神様に救われました。闇に閉ざされていた私の世界に、光が差したのです――そう、よく言っていました」
(闇……)
『闇の中にいました』というイグナシオの言葉を思い出す。
目の前のマキシマスさんは両手を組み、感激に震えている。
「おお! なんと素晴らしい……! さすがは大神官ニコラウス様……」
「それじゃあ、帰りますね」
「どうかお待ちを――! 星暦千六百二年の春、ニコラウス様が祈られた際に、女神エイヴェリー様が顕現されたことがあったと――竜殺し殿も勿論ご存知ですよね?」
「……生憎ですが、私はそういったことに興味がないので」
目を見開いたマキシマスさん。
「もう帰って良いですか」と小さくため息を吐いたイグナシオに、マキシマスさんの眉がピクリと動いた。
僅かに、張り詰めた空気が流れる。
「竜殺し殿、エイヴェリー教の五大教義を――いえ……聖典の第四章、冬の祈りは暗唱できますよね?」
(えっ? 神官って、聖典暗記しなきゃいけないの……?)
記憶は朧げだが、リーテの教会の神官たちは、確かいつも聖典を手に読んでいたが――イグナシオが聖典を読む姿など一度も見たことはなかった。
彼には悪いが、とても聖典を覚えているようには思えない。
そんなわたしの心配をよそに、イグナシオは静かに瞼を伏せた。
「――凍てつく冬風の中にも、花の女神の慈しみは絶えず。氷に閉ざされた大地の下にも、新たな命は静かに眠る。春を待つ種のように、我らもまた希望を胸に抱き。願わくば女神の息吹が我らを導き、その花冠の祝福が長き夜を越える祈りにならんことを……」
そう滑らかに紡いだイグナシオに、マキシマスさんは目を瞬かせた。
瞼を開け優美に微笑んだイグナシオ。
彼の傍らでは、立ち止まった老夫婦が涙を流しながら祈りを捧げている。
(イグナシオ、聖典覚えてるんだ……)
リーテの教会では、真面目に神官の務めを果たしていたのだろうか。見直したが――なんというか、わたしには想像できない。
わたしがいうのも何だが、神官を名乗る冒険者は名ばかりの――言ってしまえば、不良神官ばかりだ。冬の祈りを知らないどころか、食前の祈りすら捧げない者もいる。
イグナシオが祈るのは食前くらいだったはずだ。他は記憶にない。
チラとマキシマスさんを窺うと、彼は低く咳払いをした。
「失礼致しました……確かに、教会で真摯にお勤めをされていたご様子ですね。お見事です」
「神官ですからね」
「竜殺し殿、教会本部に所属されませんか? ぜひ、その貴重な経験を――」
「それは遠慮させていただきます」
微笑んでそう返したイグナシオに、マキシマスさんは少し残念そうに声を落とした。
「そう、ですか……もし、気が変わられたらぜひ――」
「私は、女神エイヴェリーを信仰していませんからね」
「えっ?」
イグナシオの余計な宣言に、マキシマスさんは固まっている。
「イグナシオ〜、そろそろ行こうか」
慌ててイグナシオの袖を引っ張るも、時既に遅し。
マキシマスさんは、震える手で口元を覆った。
「おお! なんと! 神官でありながら、神を否定するとは……!!」
「私は神を否定しているわけではありませんよ。女神エイヴェリーを信じたければ、どうぞご自由に」
傍らの噴水では、瑞々しい花冠を付けた美しい女神像が佇んでいる。
イグナシオに非難がましい視線を向けるマキシマスさんは、女神像を両手で大きく指し示した。
「女神エイヴェリー様に今すぐ謝罪を――いえ、許しを請うのです!!」
「……あなたの女神は、信仰しない者に天罰でも与えるのですか」
「女神エイヴェリーは、すべての命を慈しむ慈愛の女神ですよね?」とイグナシオが問うと、マキシマスさんは震える唇をきゅっと結んだ。
「この国は、自由信仰のはず……それに、私は既に教会を出ています。信仰の対象が、女神エイヴェリーでなくとも問題ないはずですが」
淡々と言い放ったイグナシオに、マキシマスさんは拳を強く握り締めた。
「では……あなたは何を信仰しているというのですか」
「私にとっての女神はこの世に唯一人。その方にすべてを捧げているのです」
「行きましょう、アグネス様」とイグナシオは私の手を引いて歩き出す。
「すみません、失礼します」と私は深く頭を下げた。
マキシマスさんは、呆然とした顔でその場に立ち尽くしていた。
◇
リベラの教会の一室。
眉間に皺の跡をくっきりと残したマキシマスは、簡素な木の椅子に腰を下ろした。
机の奥に置かれた台座の上には、純白の小さな女神像。彼は少しだけ顔を伏せると、両手を組んで女神への祈りを長々と紡いだ。
そして、どれくらい経っただろうか――彼は十二回深呼吸を繰り返すと、机に置いた黒い手帳を静かに開く。
良く手入れのされた羽根ペンを取り出し、整った文字をサラサラと綴り始めた――
『五月十二日、調査一日目。
私は、エイヴェリー教会本部所属の調査官マキシマス。
調査報告書の作成にあたって、個人的な記録を付けることにする。
調査対象のイグナシオという名のS級冒険者は、神官見習いの少女と共にリベラの街を拠点に活動しているらしい。
彼の名は――色々あり、彼のことは“竜殺し”と呼ぶことになった。
二人はハーフエルフらしく、女神エイヴェリー様の子孫とされる尊いエルフの血を引くだけあって、聖像のような美しさだ。
事前に聞いていた情報通り、彼は星暦千七百五十年に廃止された白い神官服を身に着けていた。
襟元や縁の刺繍も、記録の通りだった。
真新しく見えるが、どこで手に入れたのだろうか。非常に興味深い。
そして何より、驚いたことに彼は星暦千六百年頃にリーテの教会に勤めていたというのだ。
かの高名な大神官ニコラウス様と同じ時を同じ教会で過ごしていたとは、非常に羨ましい限りだ。
いつか、女神エイヴェリー様は私の祈りにも応えてくださるだろうか……その日のために、私は一層の修練を重ねる所存だ。
そして、地方の教会の神官はどうせ覚えていないだろうと高を括っていた聖典の冬の祈りの暗唱は、それは見事なものだった。
さすが、大神官ニコラウス様の出身地リーテの教会で勤めただけはある。
だが、なんと、信じられないことに! 彼は女神エイヴェリー様を信仰していないと言うのだ!!
全くもって許し難いことだが、「自由信仰」を語られ、何も言い返すことができなかった。とても悔しい。
共にいる神官見習いの少女がとても心配だ。
あのような神官の元で、一体何を見習うと言うのだろうか。
引き続き、彼らの調査を続ける。
おお! 慈しみ深い女神エイヴェリー様!!
どうか罪深い彼と気の毒な少女――そして無力な私をお導きください!』
マキシマスは静かに手帳を閉じると、再び祈りを捧げた。
◇マキシマス
熱心なエイヴェリー信者。




