第33話 神官、対峙する
「私は神官のイグナシオと申します」
「ほう、其方がS級の冒険者か。……にわかには信じ難いが、ギルドの紹介なら間違いないのだろうな」
その貴族の男性は、わたしたちの姿に目を細め髭を撫でた。あまり好意的な雰囲気は感じられない。
「……そちらの娘は」
「わたしは、B級冒険者のアグネスと申します」
「ふむ、二人ともエルフか。……実に美しい」
「いえ、わたしはエルフでは――」
(イグナシオ……?)
“ハーフエルフ”だと訂正しようとすると、イグナシオにやんわりと制された。
王都のダリ伯爵の邸は、豪華絢爛な豪邸だった。
邸に着いたときから少しだけ張り詰めた雰囲気だったイグナシオは、部屋の中でも静かに視線を巡らせている。
「話には聞いているだろうが、我が娘ミランダが魔物風情に誘拐された。娘の将来に関わる問題だ。速やかに救出してもらいたい。場所は――」
その魔物は人型を取っているそうで、『決して言葉を交わしてはならない』、『見つけ次第すぐに気絶させ、捕縛して連れ帰るように』としつこく念を押された。
人型の魔物なんて聞いたこともない。どれほど強い魔物なのだろうか……。
(でも、なんで退治じゃないんだろう……)
ちらと伯爵を窺うと、切れ長の瞳がすっと細められた。
「お嬢さん、何か言いたいことがあるのかね」
「いえ……」
「それでは、すぐにでも娘の救出に向かってくれたまえ。魔物は、必ず生け捕りするように……そのために、わざわざS級を寄越してもらったのだからな」
伯爵はそう言うや否や、壁に貼られた大きな鏡で髪の毛をコームで整え、満足そうに笑んだ。さぞ自慢のヘアスタイルなのだろう。
傍らのイグナシオは、珍しく静かだった。
わたしはモヤモヤを抱えたまま、イグナシオと伯爵邸を出たのだった。
◇
「ねぇ、イグナシオ」
「なんでしょう」
「この依頼、変だよね」
「……何故、そうお思いに」
「だって、娘さんをさらった魔物を生け捕りにしろだなんて……普通はさ、娘が無事なら何でも構わない! とかじゃないの?」
わたしがそう言うと、イグナシオは微かに微笑んだ。
「すべての親が、そうではないのでしょうね」
「……娘さん、無事だよね?」
「大丈夫ですよ。アグネス様の心配なさることはひとつもありません」
辿り着いた廃墟は、王都の外れにあった。割れた窓には、破れたボロ切れのようなカーテンが下がっている。
随分前に没落した貴族の邸らしく、いわく付きだとかで買い手がつかないまま打ち捨てられているそうだ。魔物よりも、お化けが出そうで怖い。
「アグネス様、結界を」
イグナシオが手を翳すと、周りの空気がふわりと温かくなった。
彼がそっと扉を開けると、ギィと木が軋む音がいやに響いた。わたしたちは、静かに中へと足を踏み入れる。
「えっ? イグナシオ、あれって……」
屋敷の中央階段の上に、黒いローブを纏った人影があった。その傍らの椅子には、わたしより少し年上の少女がぐったりと座っている。どうやら、眠らされているようだ。
(助けなきゃ……!!)
風の精霊の力を借りようとわたしが手を翳すと、イグナシオの手がわたしの手を包んだ。
「大丈夫ですよ。アグネス様」
「でも――」
「ああ……あなた様は……」
静かに降ろされた黒いフード。
そこに立っていたのは、以前『カナリア』の前で見かけたハーフエルフらしい青年だった。
彼は、こちらを呆然と見下ろしている。
「何故、あなた様がここに――」
「それ以上口にしないでください。帰れなくなりますよ?」
二人の視線が交錯し、張り詰めた空気が流れる。
「イグナシオ、やっぱり知り合いだったの?」
「私は知りませんよ」
(じゃあ、わたしの知り合い……?)
記憶を辿っても覚えのない魔族の青年。
イグナシオは薄っすらと笑っている。
唇だけで笑うその横顔が、まるでわたしの知らない人のように思えた。
「あの……どうして娘さんを攫ったんですか? あなた、ハーフエルフですよね?」
「違いますよ! オレは魔族です」
「魔族? でも、耳が……」
「魔族は皆こうですよ」
知らなかった。
そもそも、『魔族』という存在が実在していることに驚きだ。もっと悪魔や魔物的な禍々しい存在だと思っていたのに――
「耳が違うでしょう? よく見てください」
耳を見せつけるように顔を傾けた魔族の青年。
確かに、一見わたしたちと似ているけれど尖り方が違っている。
(紛らわしいなぁ……)
魔族と会う機会なんてそうないだろうけれど、これからは間違えないように気をつけなくては。
「伯爵から、あなたを生け捕りにして連れ帰るように命じられています。一体、何があったのですか」
「……少し前に、伯爵に喚び出されたんです」
その魔族の青年は、ある日ダリ伯爵に召喚され、“伯爵の願い”を叶えたそうだ。
けれど、伯爵は対価を払わなかった――よって、その娘であるミランダを攫ったのだという。
「契約に従わなければ、伯爵には相応の罰が下るはず。何故娘を攫う必要が――」
「してません」
「えっ?」
思わず声が出た。
少しの沈黙の後に、イグナシオが怪訝そうな顔を魔族の青年に向ける。
「契約、してないんですか?」
「はい」
「……あなた、バカなんですか?」
「ちょっと、イグナシオ……!」
魔族の青年は、「だって、召喚とかされたことなかったし……契約のやり方、覚えてなかったんです!」と涙ぐんだ。
「……それで、対価を得るために娘を攫ったのですか」
(対価ってまさか、魂とか……?)
そう思い浮かんで、背筋がゾッとした。
何とも頼りない雰囲気の魔族だが、“魔”がつく種族だ。願いを叶える対価は、それ相応のモノを求めるだろう――
「こちらに人族が二人います。その令嬢と交換しましょう」
イグナシオが宙に浮かんだ亀裂から引き摺り出したのは、以前わたしたちの名を騙っていたニセモノ二人組――ピートさんとベッキーさんだった。
「えっ? 出られたの?」
「ありがとうございます……! 一生真面目に生きるので、どうか許してください!!」
「この二人と、その令嬢を交換してください」
「「えっ?!」」
二人の視線が、魔族の青年とぐったりと眠る令嬢に向けられる。
「あの……イグナシオさん、あれは誰ですか?」
「魔族と、人質の伯爵令嬢です」
「えっ?!」
「私のことは、神官と呼んでくださいね」と微笑んだイグナシオに、ピートさんとベッキーさんは青い顔で跪いた。
「何でもするので、どうか命だけは助けてください!」と泣きながら土下座する二人の姿に、魔族の青年はブンブンと首を振った。
「そんなの要りません! あの男、パティシエの一人を斡旋してくれると言ったくせに、反故にしたんですよ!? 許せますか?!」
「許せるわけないですよ! ケーキ、楽しみにしてたのに!!」と悔し泣きし始めた魔族の青年に、わたしたちは唖然と立ち尽くした。
「だから、この娘とパティシエを交換してもらうんです!」
魔族の住処から地上まで出てきて人気店に並ぶくらいだ。彼は余程の甘党なのだろう。
気持ちは、よくわかる。
「……約束は、守らないとダメだよね」
そうポツリと口にすると、「わかってもらえますか」と魔族の青年は潤んだ瞳でわたしを見つめた。
跪いたままのピートさんとベッキーさんは過去を思い出したのか、暗い顔で項垂れている。
「……そもそも、あのつるっぱげがあんなにフサフサになったのは、オレのおかげなんですよ? それなのに、今度はハゲる薬を作れだなんて、あんまりですよ!」
「ハゲる薬?」
(ちょっと待って。どういうこと……?)
魔族によると、伯爵は元はハゲていて、魔族が作った『ハゲ治療薬』を使った。
そして、フサフサになった途端、以前自分を嘲笑っていた者たちに、『ハゲる薬』を使ってやるのだと息巻いたらしい。
――『どいつもこいつも馬鹿にしおって……ハゲの気持ち、あ奴らにも味わわせてくれるわぁ!』と叫ぶ伯爵の姿が浮かんだ。
「とにかく、その令嬢とこの二人を交換してください」
「お断りです! オレたちだって、毎日ケーキが食べたいんですよ!!」
(わたしでも毎日は食べてないけどね……)
そのとき、ピートさんがそろりと手を挙げた。
「あの……俺、ケーキなら焼けますけど」
「えっ……本当ですか?!」
魔族の青年に見つめられたピートさんはこくりと頷いた。
「はい。冒険者になるまでは、毎日じいちゃんにしごかれてたんで……」
「じいちゃん?」
なんと、彼はケーキ店『カナリア』のオーナーパティシエの孫らしい。
それを聞いた魔族の青年は、途端に目の色を変えた。獲物を前にしたシルバーウルフの目だ。
ベッキーさんは、慌てたように「わ、私は皿洗いでも掃除でもなんでもやるから!」と声を上げた。
「オレは……なんと幸運なんだ!!」と目を輝かせた魔族の青年。彼は、カナリアのケーキが相当お気に入りらしい。
「ぜひ、うちの城で働いてください! 三食まかない昼寝休憩付きで週休完全二日制! 地上への里帰りも勿論可能。給金も弾みますよ!!」
いつの間にか階段を降りてきていた魔族の青年とピートさんはガッチリと手を握り合った。
こうして、眠る人質令嬢ミランダと二人は交換された。
(これで、とりあえず一件落着、なのかな……?)
『生け捕りにしろ』とうるさかった伯爵は納得しないだろうが仕方がない。対価も払わずに更にこき使おうだなんて、あまりに非道だ。
「あれ……?」
「……アグネス様」
「なんか、眠くなってきた……」
急に睡魔に襲われたわたしは、イグナシオの胸に寄りかかった。
「大丈夫ですよ。私がいますから」
彼の腕にふわりと包まれる。
幼い頃にその腕で眠ったように、わたしは心地よい微睡みに落ちていった――
「アグネス様、良い夢を……」
微笑んでアグネスを抱き寄せたイグナシオに、魔族の青年が一歩近づいた。
「あの――」
「帰ってください。……ここで見たことは、忘れてくださいね」
人差し指を口に当て微笑んだイグナシオ。
何か言いたげな魔族の青年は、言葉を呑み込んで頷いた。
彼はフードを目深に被ると、ピートさんとベッキーさんの二人を伴って邸を後にした。




