第31話 神官、ちょっと本気を出す
「何? この騒ぎ……」
「どうしたんでしょうね」
依頼品の納品のためにギルドに来たわたしたち。まだ昼間だというのに、ギルド前の通りでは早々に屋台が引き上げられ、歩く人もほとんどいない。
ギルドからは冒険者たちが次々に飛び出していき、受付では珍しく職員たちが駆け回っている。物々しい雰囲気の中、皆必死な形相だ。
「クラウスさん、何があったんですか?」
「っ……スタンピードです!」
クラウスさんはわたしたちの姿に、縋るような視線を向けた。
リベラの南にある山の麓のダンジョンでスタンピードが発生し、魔物の群れがこの街へ向かっているらしい。この街に来たばかりの時に教えられた、アンデッドの出るダンジョンだ。
リベラには、相変わらず高ランクパーティーが少なく、緊急で他の街や王都へ応援を要請しているのだという。
「南門の外で防衛戦の予定です。ギルド長も防壁の外で待機してます!」
「行こう、イグナシオ!」
「はい」
「どうか気を付けてくださいね!」
祈るような眼差しのヘレナさんとクラウスさんに頷くと、わたしたちは街の南側へと急いだ。
響き渡るのは、叫び声と怒号。
そこで目にしたのは、魔物の群れから必死に逃げてくる人々の姿だった。皆、武装もしていない行商人や民たちばかりだ。
「こんなに迫ってきてるなんて……」
背筋が凍り付いた。
アンデッドだけじゃない。普段は見かけないような、禍々しい見た目の魔物たちが幾つもの列をなしてこちらへ向かっている。
「あっ……!」
逃げてくる人々の向こうで、小さな子どもが転ぶのが見えた。まだ五歳から六歳ほどの男の子だ。
大きな荷物を背負い、赤子を抱いて必死に駆ける家族らしき夫婦は気付いていない。
魔物の列の中から、黒い翼を持つ二足歩行の山羊のような魔物が飛び上がった。
「アグネス様、いけません!!」
(風の精霊よ、力を貸して……!)
わたしは駆け出すと、風の防壁で魔物の攻撃を防いだ。
走りながら、激昂した魔物に風の刃を幾つも叩き付ける。
おぞましい叫び声を上げた魔物は、傷だらけで地に崩れ落ちた。
「怪我はない?!」
「うん……」
震えている男の子を片腕で抱き締める。
目の前には、倒れ伏した魔物の残骸。
(あっ……)
その向こうから迫ってきている他の魔物たちの姿にわたしは身構える。けれど、それらは全て炎に包まれて燃え尽きた。イグナシオの攻撃だ。
(炎で綺麗に倒せるんだ……)
前にアンデッドと遭遇したときは、わたしが怖がったからイグナシオがメイスで弾き飛ばして退避したのだ。
「アグネス様!! ご無事ですか?!」
「わたしは平気だよ」とイグナシオに返すと、わたしは男の子へと向き直る。
「ボクは歩けるかな?」
「うん! おねえちゃん、ありがとう」
「フィル!!」
涙を浮かべ小さく笑った男の子の向こうから、両親らしき人たちが駆けてきた。
「おとうさん!」
「神官様、うちの子を助けていただきありがとうございます! なんとお礼を申し上げたら良いか……」
「大丈夫です!! 早く街の中へ! 急いで!!」
わたしが叫ぶと、その父親は男の子を抱き上げて防壁に向かって駆け出した。
彼らの背中を見送って、わたしは魔物の群れを振り返る。
南の山の麓から、不気味な魔物たちの大行列は続いていた。
「アグネス様、お怪我を……!」
「少し捻っただけだよ。平気平気」
急いだ時に、足首を少し捻ってしまったらしい。赤く腫れてはいるが、回復魔法をかけたらすぐに良くなる程度だ。
わたしは足首に手を翳した。じんわりと暖かな光が足首を包み込む。もう大丈夫だ。
「イグナシオ、どうしたの……?」
表情を失くしたイグナシオの横顔に気付いた。
それは、初めて見る表情だった。
その空色に澄んだ瞳は氷のように凍てつき、一瞬だけ――まるで炎のように赤く燃え上がったように見えた。
「許さない……」
イグナシオは魔物の群れを見据えた。
「お前たちなど……全て滅びてしまえ」
ひどく低い声が落ちた。
イグナシオが右手を翳し天に掲げると、彼の頭上から天高く大きな火柱が立ち上がった。
悲鳴を上げ小さくうずくまる人々。
渦を巻く火柱はあっという間に大きくなり、小さな村ならばまるごと呑み込まれてしまうほどの大きさになった。
けれど何故か、不思議と熱くはなかった。
「イグ、ナシオ……?」
「滅べ」
その巨大な火柱を、彼は魔物の群れ目掛けて叩き付けた。
大地震が起きたかのような地響きに、あたりの人々は皆地面に這いつくばっている。
(なに今の? 何がどうなったの?)
広がる草原の向こうには、南の山が見える。
果てしなくいたはずの魔物の群れは、まるで幻だったかのように一瞬で消えてしまった。
不可思議なことに、大地にも山にも、少しの傷もついてはいない――
まだ屈んでいる冒険者たちも、皆呆然と辺りを見回している。
「申し訳ありません、アグネス様。つい頭に血が上って……お怪我は大丈夫ですか」
目の前に跪いたイグナシオはいつもの表情だ。
けれど、わたしは思わず後ずさってしまった。
「アグネス、様……」
僅かに見開かれた空色の瞳。
彼は、わたしを守ろうとしてくれただけだ。それなのに、少しだけ恐ろしいと思ってしまった。
あまりに、大きすぎる炎だったから――
「イグナシオ……ありがとう、助けてくれて」
空を溶かしたような瞳が滲んだ。
その淡い微笑みは、今にも泣きそうに見えた。
「……お怪我をさせてしまい、申し訳ありません」と俯いた彼に、わたしは首を振った。
「もう、治ったから大丈夫だよ」
イグナシオのおかげで、わたしとこの街が救われたことに変わりはない。
「なんだ今の?」
「すごかったな……オレ、まだ震えてるぜ」
防衛戦のために集まっていた冒険者たちが、遠巻きにこちらを見つめている。
「アグネス殿、竜殺し、無事で何よりだ」
金属の擦れる音に目を向けると、立派な鎧を付けたダリオさんが歩いてきた。
見上げると、「いやぁ、久々に出したこの装備、無駄になっちまったなぁ」と照れくさそうに笑っている。
「ダリオさんもご無事で良かったです」
「ああ、来てくれて助かった。まさかこんなに早くスタンピードが起きるなんてな……」
険しい顔で山の麓を見つめるダリオさん。
幸い、今回のスタンピードで怪我をしたのは、ダンジョンの見張りの兵だけ。それも軽傷だそうだ。
「竜殺し……一応聞くが、さっきのはお前だよな?」
ダリオさんの真っ直ぐな眼差しに、イグナシオはほんの少しだけ視線を落とした。
「……ちょっと、本気を出してしまいました」
「ちょっとでアレか? 参ったな」
ダリオさんは、「竜殺し、お前はリベラの英雄だよ」とイグナシオの背中を叩いた。
(イグナシオって、ハーフエルフ……なんだよね?)
ハーフエルフには、特別な魔力でもあるのだろうか。わたしには、何年経とうがあんなことはできそうもないのだが……。
(ん? 何だろう……)
どこからか視線を感じて、わたしは空を見上げた。
そこには、どこまでも澄んだ青空が広がっていた。




