第30話 神官、感涙する
清々しい朝を迎えたわたしは、金の小鳩亭の厨房に立っていた。
先日手に入れた『人魚の涙』の納品で、お姫様の呪いは無事に解けたらしい。
王様から報酬としてもらった金塊は、ヴァルムとリベラのギルドと孤児院に寄付した。
いや〜、人助けって心が洗われるよね!
「アグネス様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だって! 今日はわたしが朝ごはんを作るんだから、イグナシオは座ってて」
心配そうな表情を隠せていないイグナシオを、窓辺の席へと座らせる。作っている姿を見られるのは恥ずかしいので、カウンター席はやめてもらったのだ。
「アグネスちゃん、食パンはこの厚さで良いかい?」
「女将さん、ありがとうございます!」
女将さんが切ってくれた食パンを並べる。
作るのはサンドイッチだ。
ちなみに食パンの耳はそのままだ。イグナシオから包丁を使うのを止められてしまった。
「アグネスちゃん、具材は何を入れるんだい?」
「卵です!」
こちらを心配そうに窺う彼の眼差しには気付かないふりをするしかない。
鼻歌混じりで卵を茹でて、冷水で冷やす。
そして、冷ましたゆで卵の殻を剥いていくわけだが、これがわたしには中々難しかった。
(ゆで卵を剥くのって、こんなに大変だったんだ……)
つるつるに剥きたいのに、ゆで卵がどんどんボロボロになっていく。
「熱っ……!」
「アグネス様!」
すかさず飛んできたイグナシオ。
ゆで卵の冷まし方が足りなかったようだ。
「大丈夫だから、座って待ってて」と彼を窓際の椅子に座らせると、わたしはまたゆで卵と向き合った。
(全然ダメだ……)
再び二つ目のゆで卵を剥き始めるも、やはり難しい。
イグナシオのために、美味しいたまごサンドを作りたいのに――
「アグネスちゃん、大丈夫だよ。潰してマヨネーズと和えるからね」
「女将さん、ありがとうございます」
マヨネーズは、女将さん特製のものを使わせてもらえることになっている。
ボウルの中で殻を剥いたゆで卵を潰し、たっぷりのマヨネーズと塩とブラックペッパーも振って混ぜ合わせる。
(美味しくなあれ……!)
わたしは、出来上がったペーストをスプーンで掬うと、少しだけ味見した。
「美味しい! 女将さんのマヨネーズ、すごく美味しいです」
「アグネスちゃんが作ったからさ」
女将さんに「へへっ」と微笑み返すと、わたしは食パンに卵のペーストをたっぷりと乗せてそっと挟んだ。
「出来た!!」
「良かったねぇ」
「はい!」
想像していたよりも見栄えはよろしくないが仕方がない。初めは皆こんなものなのだろうか……。
ヘレナさんがクラウスさんに美味しそうなお弁当を差し入れているのを見て、わたしも料理に挑戦したが――サンドイッチでこのレベルだ。ヘレナさんの女子力の高さが羨ましい。
「よいしょ、っと」
わたしは、完成したたまごサンドを二つお皿に乗せると、イグナシオの座るテーブルへと運んだ。
「はい。たまごサンドだよ! 初めて作ったから、あんまり上手じゃないけど……」
「アグネス様……私は、世界一の幸せ者です!!」
「大げさだよ〜」
「おや? 上のそれ、殻が――」
「アグネス様、それではいただきます」
女将さんが何か言いかけたとき、食前の祈りを捧げたイグナシオがたまごサンドをそっと口元へ運んだ。
彼はじっと見つめてから、大切そうに頬張る。
ジャリジャリジャリジャリ――
「えっ? なんか変な音するね?」
「とても……美味しいです」
イグナシオは、涙を浮かべながらサンドイッチを食べている。
ジャリジャリジャリジャリ――
(やっぱり……)
「もしかして、殻入ってるよね? ごめんね。それは良いから、こっちを食べてよ」
「アグネス様。……今は、アグネス様が作られた記念すべき一つ目のたまごサンドを味わっているのです」
(えっ? 泣いてる……?)
閉じられた瞼から一筋零れた涙。殻入りは相当不味かったようだ。
「あのさ……無理して食べないでね?」
「世界一美味しいです……!」
「っはよーございます! あれ? 神官さん、何食べてるんすか?」
現れたファビオさんに、イグナシオがサンドイッチを頬張りながら顔を向けた。
「これは、アグネス様お手製のサンドイッチです」
「見てわかりませんか? この形といい、素晴らしいでしょう。さすがはアグネス様です」と食べかけのサンドイッチを掲げたイグナシオに、ファビオさんは「ははっ。美味そうっすね」と笑っている。
(あんまり見た目良くないのにな……)
ご機嫌なイグナシオはファビオさんにサンドイッチを見せびらかしている。かなり恥ずかしい。
「ちなみに、たまごサンドです」
「そうなんすね」
「あげませんよ! これは、私のためにアグネス様が初めて作ってくださったものですからね」
「はい。わかってるっす」
そのやり取りを見ていた女将さんが、小さく笑っている。
「ファビオくん、今日はホーンボアと豆のカレーがあるよ。食べていくかい?」
「いただきます!」
そのとき、イグナシオの重いため息が聞こえた。
「イグナシオ、どしたの?」
「あと一つになってしまいました……」
お皿の上のサンドイッチを見つめる、悲しげな顔のイグナシオ。殻入りはいつの間にか完食されていた。
「二つ目を永久保存すべきか、ここで味わうべきか迷っているのです」
「……食べちゃいなよ。たまごサンドで良かったら、またいつでも作ってあげるからさ」
「本当ですか?!」
目を輝かせたイグナシオ。
絶品マヨネーズの作り方を女将さんに教わらなくては。
「ですが、アグネス様の御手を煩わせるわけには……」
イグナシオはそう言いながら、再び視線を落とした。
「別に煩わしくなんてないよ。いつもしてもらってばっかりなんだから、このくらい作らせてよ」
「アグネス様……」
彼は潤んだ瞳でわたしを見つめると、「それでは、二つ目もいただきます」と大切そうにたまごサンドを手に取り食べ始めた。
(あ……今度はジャリジャリしてない……)
今のところ、二つ目のサンドイッチに殻は入っていないようだ。
イグナシオは、一つ目と同じように瞼を閉じてたまごサンドを食べている。まるで、最高級のフルーツを味わっているかのようだ。
「……美味しい?」
「はい。今まで食べた食事の中で一番美味しいです」
「イグナシオ、褒めすぎだよ」
「そんなことはありませんよ。私のために作ってくださった、アグネス様の暖かな想いが伝わってきます」
「私にとって、最高のご馳走です」と幸せそうに微笑んだ彼に、何故か胸の奥が苦しくなった。
あまりに大げさなのに、彼の言葉は不思議と嘘を言っているようには聞こえない。
いつもそうだ。
彼はわたしに嘘をつかない。
今まで一度として、その言葉に偽りはなかった――
「イグナシオ、また作るね。……次はもっと上手に作るからね」
「ありがとうございます。とても楽しみです」
イグナシオは、いつもわたしのために何でもやってくれる。
わたしも、彼に喜んでもらえるように、料理を勉強しようかなと思ったのだった。
「女将さんのカレー、めちゃ美味いっす!」
「そりゃ良かった! おかわりもあるからね」
漂ってくる美味しそうなスパイスの香りに、きゅるるるる……と鳴ったお腹をそっと押さえる。
「アグネス様、ホーンボアと豆のカレーです。どうぞ」と彼から差し出されたお皿。彼の収納はまるで食糧保管庫だ。
「ありがとう! いただきます」とわたしは彼の向かいの席に腰を下ろした。
食前の祈りを捧げると、一匙掬って口へと運ぶ。
「イグナシオのカレー、とびっきり美味しい!」
「真心を込めていますからね」
「それ、神官さんが作ったんすか?」
「めちゃ美味そうっすね」と視線を向けたファビオさんに、イグナシオは「私のカレーはアグネス様専用ですからね」と返したのだった。




