第3話 神官、彼女を崇拝する
「「糧を与え給う神に感謝を……」」
日が沈み、わたしたちは久しぶりのご馳走にありついていた。
「アグネス様、美味しいですか?」
肉を頬張ったままコクコクと頷くと、イグナシオは嬉しそうに笑った。
大通りに続く路地にある『金の小鳩亭』の食堂は、たくさんの冒険者や旅行客で賑わっていた。少し古びた煉瓦造の壁には、宿の名前でもある小鳩のレリーフ。カウンターには、赤い花が飾られている。
肉やスープの美味しそうな匂いで満ちるテーブルには、所狭しと料理が並んでいく。
「おまちどおさま! たくさん食べておくれよ」
テーブルに山盛りの肉が乗った大皿を豪快に置いてくれたのは、宿屋の女将さんだ。茶色の髪に白い頭巾とエプロンの似合う、恰幅の良い中年女性だ。
(美味しそう……!)
「お嬢ちゃん、パンのおかわりはいくらでもあるからね! 遠慮せず、たんとお食べ」
「ありがとうございます」
焼き立てのパンと、新たに置かれた煮魚が良い香りの湯気を立てている。
最高だ!この街で一番食事が美味しいと評判の宿を選んで正解だった。
「それにしても、白の神官さんは初めて見たよ」
「神官はやっぱりこれですよね」
「ああ、アンタによく似合ってる」
女将さんに褒められたイグナシオが誇らしげに微笑む。
神官服は黒、見習い神官の服は青と決まっている。なのに何故か、イグナシオはずっと白を纏っている。
わたしたちは、教会に属していない流れの神官だ。そのせいか、今のところ誰にも咎められたことはないが……。
「アンタたちは、どこから来たんだい?」
「……西の方からです」
わたしがそう答えると、女将さんは目を見開いた。
「西といったら――まさかヴァルムかい?」
小さく頷くと、女将さんが心配そうに眉を顰める。
「少し前に、ヴァルムは魔物の群れに襲われたって……アンタたちは大丈夫だったのかい?」
「ええ、おかげさまで」
そう答えたイグナシオに、「そりゃあ良かった」と女将さんは安堵の微笑みを浮かべた。
「アタシがいうのもなんだけど、この街は中々良い街だよ。しばらくゆっくりすると良い」
女将さんの気の良い笑みに、わたしは微笑み返した。
「アンタたちはエルフだろう? 兄妹かい?」
女将さんが、イグナシオとわたしを交互に見た。
わたしはハーフエルフらしいが、人族からはほとんど見分けがつかないらしい。
彼の耳も、わたしと同様に尖っている。
わたしは癖のない亜麻色の髪で、彼とは顔立ちも似ていないと思うが――こうして兄妹に間違われることは少なくはなかった。
「私は、この方のために存在――んぐっ!」
イグナシオの綺麗な口に、慌てて骨付き肉を突っ込む。
「ほら! このお肉、すごく美味しいでしょ?」
「ハーフエルフの、ただの神官と見習いですよ〜!」と笑顔で誤魔化すと、女将さんは「そうかい」と微笑んだ。
厨房から声がかかった女将さんは、「いつでも呼んでおくれね」とわたしたちに笑顔を向けると戻っていった。
「イグナシオ。変なこと言わないでよ!」
思わず少しだけ睨んでしまい、彼は叱られた子犬のように視線を落とした。これでは、まるでわたしが悪者だ――
「ありがとう。……こうして食事ができて、この宿に泊まれるのは、イグナシオのおかげだよ」
「アグネス様……」
恍惚とした――まるで女神を拝むかのような眼差しに、わたしは胸の内でため息を吐く。
「アグネス様、許してください」
「許すも許さないもないって……いつも、守ってくれてありがとう」
幼い頃、教会が火事になったあの日。炎の中からわたしを救ってくれたのは彼だ。
その日からずっと、何故か彼はわたしを守り続けてくれている――
けれど、彼は微笑んで小さく首を振った。
「貴女の微笑みを守るのは、私の使命です。……私を闇の中から救い出してくれたのは――アグネス様、貴女なのですから」
真っ直ぐな空色の瞳に、微かに胸が鳴る。
彼の大袈裟な言葉を、何故か否定できなかった。
視界の端――厨房のフライパンから炎が上がった。香草の香しい匂いがふわりと漂う。
「アグネス様、どうかしましたか?」
「昔のことを、少しだけ思い出したの……」
その言葉に、彼は瞼を伏せた。
色素の薄い睫毛が、聖像のように美しい顔に翳りを落とす。
ほんの少しだけ重くなった空気。
厨房では、炎に煽られたフライパンが音を立てている。
朧げに浮かぶのは、教会の静かな食卓。
香草の香りの薄い野菜スープに、硬くなったパン。でも、あの頃はそれが当たり前だった気がする。
「あ〜、美味しそうな匂い! ほら、熱いうちに食べよう」
そう言って四本目の骨付き肉を頬張ると、彼の澄んだ瞳が弧を描いた。
「アグネス様に喜んでもらえて何よりです」
「イグナシオもちゃんと食べてね」
「はい」
綺麗な顔で骨付き肉に齧り付く彼に、微笑み返す。
(でも、何でここまでしてくれるの……?)
目の前の彼は、淡く微笑んだままだ。
「「乾杯!!」」
ジョッキがぶつかる音に顔を向ければ、女将さんの笑顔と賑やかな笑い声。
この宿は、とても居心地が良さそうだ。
「女将さん! お肉もう一皿お願いします!」
「あいよ! 肉の大盛り一丁!!」
(あっ、大盛りになっちゃった……)
窓の外は闇に染まり、壁の燭台の炎がゆらゆらと揺れている。
その夜――宿の周囲には、イグナシオによって魔物どころか虫一匹近づけない結界が張られていたことを、わたしは知らなかった。




