第2話 神官、ドラゴンを売る
わたしの傍にいつもいる、神官を名乗る青年――イグナシオ。
彼と出会ってから、十年が経った。
わたしはアグネス。
見習い神官だが、精霊使いでもある。
オルティス王国の中央部に位置する、リベラの街。王都の南の川の近くにある、冒険者や旅人が集まる豊かで賑やかな街だ。
街の中心にある大通りにはあらゆる店が軒を連ね、人々が行き交っている。
(良い匂い……)
近くの屋台では、猫のような耳と尾を持つ獣人族の青年が串に差した肉を焼いている。屋台に並んでいるのは、人族の親子連れだ。
この国は、人族と獣人族が共存している。
(エルフは……いないよねぇ)
人混みを見回すも、尖った耳は一人も見当たらなかった。噂通り、プライドが高いと評判のエルフは森の奥に引きこもって暮らしているのだろうか。
「アグネス様のお好きな串焼きですよ」
「我慢我慢……お金が入ってからね」
お腹が小さく鳴ったわたしは、イグナシオの手を引いて早足で歩き出す。
今日こそは、久しぶりにご馳走が食べられるはずだ。
わたしは期待に高鳴る胸に、目の前の建物を見上げた。
リベラの冒険者ギルド。
古びた赤茶色の煉瓦造の壁に、大きな木の扉。中からは、微かなざわめきが聞こえてくる。
イグナシオが扉を引くと、ぎぃ、とドアが軋む音が鳴った。
「おい、あれって……」
わたしたちが足を踏み入れると、賑やかだったはずのその場は、水を打ったように静まり返った。
「あれが噂の……」
「ヴァルムのギルドを燃やしたらしいな」
突き刺さるような視線に、わたしは少しだけ俯く。少しだけ長い、青い袖をきゅっと握った。
「あの神官見習い、可愛いな……」
その囁き声に、イグナシオがピタリと立ち止まった。
「私のアグネス様に何か?」
柔らかな中に棘を含んだ声音に、男性冒険者が息を呑んだ。
「おい、やめとけ。お前も燃やされるぞ」
「よくご存知ですね」
「いや、人はまだ燃やしたことないんですけど……」
視線を逸らした男性冒険者たちから向き直ると、イグナシオはわたしの背に手を添えた。
「アグネス様、行きましょう」
歩き出した彼はいつも通り淡い微笑みを浮かべ、女性たちの視線を攫っている。
柔らかく波打つ、ふわりとした金髪。少し切れ長の空色の瞳はどこまでも澄んでいる。
いつでも白く輝く神官服を纏う彼は、まるで天の使いのようだ――ただし、それは見かけだけの話だが。
「報酬が入ったら、何が食べたいですか?」
「えっ? ……うーん、お肉か――お魚も良いな。とびっきり美味しいのが食べたい」
「畏まりました」と嬉しそうに微笑んだ彼。
女性たちの視線が痛いが、彼の目には入らないようだ。
「よう、炎上コンビ! 首尾はどうだった」
男性の大きな声が響いて、わたしたちは顔を向けた。
「その呼び方はやめていただけますか」
「悪い悪い!」
美人の受付嬢の隣で待ち構えているのは、ギルド長だった。少し癖のある褐色の髪を後ろで一つに結び、日に焼けた体が逞しい彼は元S級冒険者らしい。胸元が少し開いたラフな服装は、失礼だがとてもギルド長には見えない。
「――で、ドラゴンは?」
「きちんと討伐しましたよ。彼が」
「討伐した証拠は持ち帰ったか? 爪か、鱗か……」
期待に満ちたギルド長の眼差し。
『当然です』と言わんばかりに微笑んだイグナシオが、宙に浮かんだ亀裂に右手を突っ込んだ――
彼の二の腕あたりまでが消えたかと思うと、それがずるりと引きずり出される。
「ひぃ……っ」
青褪めた受付嬢が、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
石床で地響きのような音を響かせたのは、少し焦げた赤いドラゴンの屍だ。
「あれって、王都から呼んだS級が倒せなかった奴だろ……」
ざわつく冒険者やギルド職員たち。
騒然とした雰囲気に、イグナシオは顔色も変えず佇んでいる。
「『竜殺し』の名は伊達じゃないようだな。……炎の使い手だと聞いてたが、腕っぷしも中々のようだ」
ドラゴンの頭から顔にかけてが、見事に潰されている。
このイグナシオのせいだ。ドラゴンがわたしを見た瞬間、彼がメイスと炎を喰らわせた。
「次に大物を仕留めるときは、頭を潰さないでもらえると助かる」
そう言って笑ったギルド長に、イグナシオはきょとんとした表情を浮かべた。
「何故ですか」
「いや……その方が、こちらも高く買い取れるしな」
綺麗なままだったら、更に良い値がつけてもらえるだろうにとわたしも思っていた――まぁ、倒してくれた彼に文句など言えないが。
「アグネス様が無事なら、どうでも良いです」
「討伐の報酬をいただけますか」と手を差し出したイグナシオに、ギルド長が苦笑いを浮かべる。
「それを買い取らせてもらいたいんだ。大物すぎて、商人ギルドにも掛け合わなきゃならんからな……少しだけ待ってもらえるか」
「えっ?」
思わず声が出た。
今夜こそは、野宿を卒業できると思ったのに――
「先に討伐依頼の報酬をください。今必要なんです」
爽やかな笑顔のまま、そう言ったイグナシオ。
こういうことが言えないわたしは救われた心地だ。しばしば困ることもあるが、彼は優しくてとても頼もしい。
「少し待っていてもらえるか」
ギルド長は奥の金庫へ向かうと、ずっしりとした革袋を持って戻ってきた。
それを受け取ったイグナシオが、袋の中を覗き込み満足そうに小さく頷いている。
これで、しばらくはちゃんとした暮らしが出来そうだ。今夜こそは、美味しいものでお腹をいっぱいにして、ふかふかのベッドで眠りたい。
「ありがとうございます。また、買い取りの分をよろしくお願いしますね」
「ああ、用意できたらこちらから連絡する。宿は……」
「決まったら、連絡しますよ」
革袋を手に笑ったイグナシオ。
わたしたちは彼らに頭を下げると、受付に背を向けた。
「……S級なのに、文無しなんてな――」
気の毒そうなギルド長の呟きが背後に落ちる。
そう、わたしたちはついさっきまで一文無しだった。
前にいた街で、全財産を失ったからだ――
「アグネス様、どんな宿が良いですか? 街一番の宿にしましょうか」
上機嫌のイグナシオは、いつもよりにこやかだ。
「ご飯が美味しい所が良い。あと、お高い宿はやめようね!」
無駄遣いはせず、お金は大切に取っておきたい。また、一瞬でなくなるかもしれないのだから。
「お金の心配ですか」と視線を落とした彼が、突然に跪くとわたしの手を取る。
「アグネス様。貴女のためなら、明日もドラゴンを狩りに行きましょう」
「いや、それは……」
「きゃあ! 神官様が跪いたわ!」
「あの子、どこかのお姫様なんでしょ?」
見当外れも良いとこだ。
わたしは、ただの孤児だと言うのに――
わたしは跪いている彼の手を握り返すと、ぐいと引っ張る。
「イグナシオ、早く立って! お腹がペコペコだよ」
「それはいけません! 早く串焼きを買いに行きましょう」
立ち上がったイグナシオと歩き出す。
「毎日三食ご飯が食べられて、平穏に過ごせればそれで十分だよ」
「美味しいご飯が良いけどね」と付け加えると、眩しそうに目を細めた彼は小さく笑った。
「アグネス様が平穏に過ごせるように、この大陸の魔物を一掃しましょうか」
思わず立ち止まったわたしに、淡く微笑んだ彼。
「はは……イグナシオはビッグマウスだなぁ……」
彼なら、やりかねない。
「……しなくて良いからね」
「アグネス様の仰せの通りに」
彼がゆっくりとギルドの扉を開く。
賑わっているリベラの街並み。どこからか、美味しそうなスープの匂いが漂ってくる。
今夜は、ご飯のとびきり美味しい宿が見つかりそうだ。
「アグネス様、いくつにしますか?」
「ホーンボアの串焼き、五本ください!」
◇アグネス
神官見習いの少女。少し食いしん坊。
◇イグナシオ
神官を名乗る青年。アグネスしか見ていない。




