第25話 神官、再会する
「なんというか……素朴な宿ですねぇ」
(うわっ! 出た……)
その日の夕刻、金の小鳩亭の食堂に来店したのは、少し前にドナーテ村で遭遇した冒険者たちだった。エラルドという名の嫌みなエルフが仕切っていた五人パーティだ。
「いらっしゃいませ」
イグナシオが水の入ったジョッキをトレーに並べ、席へと運ぶ。
「あなたは――確か、イグナシオといいましたか。二人揃って宿屋で下働きするなんて、余程生活に困っているんですね」
そう言って嗤ったエラルドさんに、一瞬だけ止まったイグナシオ。
彼は、エラルドさんを睨むとジョッキをドンッ!と机に置いた。
「『神官』で結構です!」
「え……」
(えっ? 怒るポイント、そこ……?)
固まったエラルドさんたちに、わたしは厨房を飛び出した。
「お客様、すみません! イグナシオ! お客さんにそんな態度はダメでしょ?!」
「アグネス様、申し訳ありません……」
「いや、謝るのはわたしにじゃなくて――」
そのとき、ヒールの音がコツリと響いた。
ベリンダさんだ。
「こんにちは! また来たわよ」
「バディさん、いらっしゃいませ」
相変わらずのイグナシオに、ベリンダさんはクスリと笑みを零した。切れ長の翡翠の瞳がわたしへと向けられる。
「アグネスさん、お久しぶりね。その後、体調は平気なの?」
「はい。ご心配、おかけしました」
そう返してペコリと頭を下げると、ベリンダさんは微笑んだ。
「その年で私と同じB級なんてすごいわよね! 良かったら、今度ゆっくりお話したいわ」
「わたしと……?」
「私、ソロでしょ。知り合いが少ないのよ。……アグネスさんが良かったら、仲良くしてもらえると嬉しいわ」
「神官見習いでB級?!」という声が聞こえてきたので、私は聞こえないフリをする。
一応B級だが、わたしはそこまで強くはない。S級のイグナシオのおこぼれに預かっているから、このランクになれたのだと思う。
「あら、そこの神官さんなんてS級よ」
目を細めて、意味深に笑みを浮かべたベリンダさんに、エルフの率いるパーティは息を呑んだ。
「おい……まさか、S級の神官って、『竜殺し』じゃ……」
「前に、連れの神官見習いに近づいた男を燃やしたらしいな」
「まだ人は燃やしたことないですよ」
そうフォローしたが、イグナシオを恐ろしげに見る視線は変わらなかった。
顔色を変えたパーティメンバーの中で、エラルドさんだけが鼻で笑っている。
「あなたがS級? まさか」
「『神官』と呼んでください。良いですね?」
(噛み合ってない……)
「アグネスさん、今日のおすすめは何かしら?」
「今日のおすすめは、ホーンボアのステーキです。豆のポタージュも付きますよ」
「じゃあ、それでお願いするわ」
「畏まりました」
わたしは厨房に戻ると女将さんに注文を伝えた。豆は、ファビオさんのお母さんから納品されたものだ。
「五番テーブル、ホーンボアのステーキを五つお願いします」
トレーを手にイグナシオが戻ってきた。
五番テーブルは、エラルドさんのいるテーブルだ。
(はぁ、さっさと食べて早く帰ってくれないかな……)
お客さんとはいえ、あのエルフは苦手だ。早くお引き取りいただきたい。
そうして、わたしが皿洗いをしていたときだった。
「とても美味しかったわ。ご馳走さまでした」
「わざわざ有難うね」
カウンターまでお礼を言いに来たベリンダさんに、女将さんはニコニコ顔だ。
「じゃあ、また来るわね」
「ありがとうございました!」
そうして、ベリンダさんは帰っていった。
仲良くしたい云々言ってくれていたが、本気だろうか?
少しドキドキしている胸に、わたしは冷たい水で手を洗って気持ちを引き締めた。
(まだいるよ……)
わたしはお芋の皮剥きをしながらホールを見つめた。お客さんは次々入れ替わっていくのに、あのパーティは居座っている。
「神官さん、アグネスさん、お疲れっす!」
そこへ笑顔で現れたファビオさんに、イグナシオがトレーを手に近付いた。
「いらっしゃいませ」
「ファビオ君いらっしゃい! 美味しい豆、使わせてもらってるよ!」
「こりゃどうも! 女将さん、ありがとうございます!」
ファビオさんのお母さんからもらった豆を女将さんにお裾分けし、それを気に入った女将さんがファビオさんの実家と契約することになったのだ。
女将さんは、他にもポンテ村の野菜を仕入れることを考えているらしい。ヘルシーなメニューが増えそうだ。
「じゃあ……豆のカレーで」
「畏まりました。豆のカレーを一つお願いします!」
「あいよ! 豆のカレー一丁!」
「神官さん、これを三番テーブルに頼むよ!」と女将さんに呼ばれたイグナシオが厨房へと戻って来る。
「鉄板に気を付けるんだよ」
「はい」
女将さんに呼ばれたイグナシオが、三番テーブルに四つのプレートを運ぶ。器用に両手と両腕に乗せた鉄板の上では、ホーンボアのステーキがジュウジュウと音を立てている。
「お待たせ致しました」
「美味そうだな!」
「おい、兄ちゃん! こっちにエールのおかわりを頼むぜ」
「畏まりました」
イグナシオは幾つものジョッキを下げると、たくさんのエールを運ぶ。
そのとき、エラルドさんが鼻で嗤ったのが見えた。イグナシオを眺めながら、エールを煽っている。
(何アレ。むかつくなぁ……)
「アグネスちゃん! ファビオくんにサラダを持っていっとくれ」
「はい!」
サラダをファビオさんに出しに行くと、彼はエラルドさんを横目に顔を険しくした。
「なんすかアレ。めちゃ感じ悪いっすね」
「ああ……なんか、“銀の森で一番の精霊使い”らしいですよ」
「えっ? 銀の森って……」
そう呟いたファビオさんは、バッとエラルドさんを見つめた。
「えっ? あれがエルフって冗談すよね? 神官さんの方がずっとイケてるじゃないすか」
(確かに……)
エラルドさんはエルフだけあって美形なのかもしれないが、聖像より美しいと評判のイグナシオと比べるまでもなかった。
「エルフって、もっと美形だと思ってました。いやあ、人に寄るんすね〜」
「アグネスさんの方が綺麗だし」とお世辞を言われ、わたしは慌てて否定した。
(あっ……)
エラルドさんと目が合ってしまった。
人が変わったように静かにポタージュを啜る彼に気まずくなる。聞こえていたのかもしれない。
「当然です。アグネス様は、世界一綺麗で可愛いですからね」
トレーを手にやって来たイグナシオに、ファビオさんが笑う。
「はは、そうっすよね!」
「お待たせしました。豆のカレーです」
テーブルに置かれた皿からはホカホカと湯気が上がり、美味しそうなスパイスの匂いが広がる。豆は勿論ファビオさんのお家の豆だ。
「うわ! めちゃ美味そうっすね! いただきま〜す」
「ファビオさん、ごゆっくりどうぞ」
「美味い……!」
バクバクとカレーを食べ始めたファビオさんに頭を下げると、わたしたちは厨房に戻った。
そうして気が付けば、あのパーティは帰っていた。
(エラルドさん、もしかして凹んでたりして……)
銀の森で一番の精霊使いエラルド――彼とまた会う日は来るのだろうか。
わたしは、何気なく食堂の入り口に視線を向けた。
「よう、マリー! 帰ったぞ」
(マリー?)
お客さんもまばらになった食堂に、少し薄汚れた帽子に薄手のコートを羽織った中年男性が入ってきた。無精髭に、頬には古傷が刻まれている。
茶色の筒を大切そうに抱え、背負っているのは使い込まれた剣だ。
「アンタ!!」
厨房から飛び出してきた女将さんが、その男性に掴みかかるように飛びついた。
「どこまで行ってたんだい?! どれだけ心配したか……」
「待たせて悪かった……これをお前にと思ってな」
その男性が、抱えていた筒を空けた。中から取り出したのは、大きな花びらの赤い花だ。
「これって……」
「お前、この花が好きだったろう」
花を見つめる女将さんに、その男性は瞳を伏せて笑った。
「幻の花は見つけられなかったんだ……代わりに、お前の好きな花に魔法を掛けてもらった」
「百年は枯れないそうだ」と笑った男性の胸を、女将さんは拳で何度も叩いた。
男性は女将さんの旦那さんで、花に魔法を掛けてもらうために遠い北の国に行っていたそうだ。
二人が結婚したばかりの頃、女将さんから“幻の花”の話を聞いた旦那さんは密かに探し続けていたのだと――
「そんなの、アタシはいらなかったんだよ! そんなことのために、アンタは――」
震えている女将さんの背中を、旦那さんはそっと包んだ。
「お前を、喜ばせたかったんだよ……」
「アタシは何にもいらないよ……もう、どこにも行かないでおくれ……」
「ああ。これからは、お前の飯を毎日食べるよ」
微笑んだ旦那さんに、女将さんは涙を零しながら何度も頷いた。
(女将さん……)
感動の再会を目にしてジーンと来ていると、どこからか鼻をすする音が聞こえた。
「……俺、涙出てきたっす……」
豆のカレーを完食したファビオさんは、袖で目元をゴシゴシと拭っている。
「女将さん、良かったねぇ」
「そうですね」
柔らかに微笑むイグナシオ。
お客さんたちも皆、温かな雰囲気の中で静かに笑い合っていた。
それから女将さんの旦那さんは、リベラの街の近郊で冒険者として活動しながら、宿の食堂で出す魔物肉を狩ることにしたそうだ。夜は、女将さんと一緒に食堂に出たり、宿の仕事をするらしい。
「バートといいます。うちの宿のことで、色々とご迷惑をおかけしたようで」
「アグネスちゃんも神官さんも、本当にありがとうねぇ」
「とんでもないです! お世話になっているのは、わたしたちの方ですから」
「ね、イグナシオ?」と言うと、傍らの彼も微笑んだ。
食材狩りや食堂のお手伝いはお役御免になってしまったけれど、女将さんの嬉しそうな顔にわたしも幸せな気持ちになったのだった。
「ねぇ、イグナシオ。幻の花ってさ……」
「はい、幻の花がどうかしましたか」
「ううん……」
わたしは、青白く光る花飾りをそっと見つめた。
これはわたしの花だ。
女将さんの“幻の花”は――
「女将さん、幸せそうだね」
「そうですね」
「あれは、想いの込められた花ですからね」とイグナシオは淡く微笑んだ。
あの赤いお花は、宿の受付の奥に大切に飾られている。




