第21話 神官、否定する
「わ! 綺麗〜!」
「アグネス様より美しいものなどありませんよ」
春の花々で彩られたリベラの街並み。
通りには花を飾った屋台が並び、笑顔の人々で溢れている。
今日は、女神エイヴェリーを讃える年に一度の祭典の日だ。
淡い色合いの花冠に、白いドレス姿の少女たちの姿に目を奪われる。未婚の乙女たちは皆、祝福を受け分け与えるために女神の扮装に身を包むのだ。
(良いなぁ……)
わたしは、少しだけ長い青い袖をじっと見つめると、傍らのショーウィンドウに視線を向けた。
ガラスには、いつものわたしが映っている。
青い帽子に、同じ生地のケープ付きの青いローブ。帽子も飾り気もない黒の神官装束よりも可愛いと評判のデザインだ。
この見習い神官の装束は、初めて着たときはとても眩しく、誇らしかった。けれど、毎日着ていればそれは“特別”ではなくなる――
「アグネス様? 大丈夫ですか」
「……うん」
「――あそこに、花の形の飴細工がありますよ! いくつ食べますか?」
「ありがとう……でも、今は良いや」
「……アグネス様」
飴細工の屋台にも、花冠の少女たちが並んでいる。何故か、そこに並びたくなかった。
オルティス王国では、女神エイヴェリーを崇めている。わたしの育った教会でもそうだった。
エイヴェリーは、エルフの祖といわれる美しい花の女神で、妖精の女王でもあるという。慈しみ深く、花や植物を芽吹かせるとされている。
そのとき、イグナシオがため息を吐いた。
「どこへ行っても、女神女神。ここまで来ると笑えてきますね……」
「ククッ」とほんの僅かに引き攣った笑みを零したイグナシオを見上げると、彼は近くにある女神像を見て薄く笑んだ。
「こんな女神なんていないというのに、憐れな――」
「ちょっと! イグナシオ、なんてこと言うのよ」
慌てて彼の口を塞いだ。
これでは破戒神官だ。慌てて辺りを見回すと、一人の小さな男の子がわたしたちを見つめていた。
「ママー! あのひと、めがみさまがいないって――」
「しっ! マー君、見ちゃいけませんよ!」
子どもの手を強く引いて早足で去っていく母親。教会に報告されないことを祈るしかない。
「鐘が鳴ったら、広場へどうぞ! 女神エイヴェリー様の神話劇をやりま〜す!」
「ありがとうございます」
花冠を付けた若い女性から渡されたチラシには、花々に囲まれた美しい女優の姿が描かれている。まるで本物の女神のようだ。
「綺麗……」
そういえば、間近で女神像を拝んだのはいつだったろう。
わたしは、そのチラシを握り締めた。
「……見に行きますか」
「えっ……良いの?」
「行きましょう。広場はすぐそこですよ」
わたしは、彼に手を引かれて歩き出した。
◇
「……よりによって、これですか」
イグナシオの低い呟きは、よく聞こえなかった。
観客でひしめき合う薄暗いテントの中。
わたしはイグナシオの腕に庇われるように、立ち見席から舞台を見つめていた。
上演されているのは、『花の女神と炎の魔王』。女性客に特に人気の演目なのだとか――
(さすが、役者さんだなぁ……)
銀色の髪の美青年が演じるのは、炎の魔王バルザリオンだ。
「エイヴェリー、許してくれ……」
スポットライトを浴びたバルザリオンが、苦しげに黒いローブの胸元を握り締めた。
「この許されぬ想いは……俺の炎は、いずれ愛しい貴女を焦がし――灼き尽くしてしまうだろう」
「バルザリオン……この天を出て、どこへ行くと言うのです」
透き通る切なげな声。潤んだ眼差しで見上げるのは、蜂蜜色に波打つ髪に白い花冠を乗せた美しい女優――女神エイヴェリーだ。
彼女の美しい頬に、バルザリオンがそっと触れる。
「俺は地の果てへ――貴女の光が届かない場所まで……」
「バルザリオン……!」
バルザリオンの胸元に女神が飛び込み、二人は見つめ合った。
そして、顔が近づき――
「う……っ」
「イグナシオ? 大丈夫?」
口元を押さえているイグナシオ。彼は微かに震えていた。
「全く……不愉快な劇ですね。アグネス様、こんなのデタラメですよ!」
「イグナシオ……!」
彼の口を塞ごうとした手を掴まれる。
揺れる空色の瞳は、わたしを見下ろした。
「イグナシオ……?」
「アグネス様、バルザリオンは――」
「お客さん、困りますよ!」
そのとき、険しい顔で声を掛けてきたのは、係員の男性だった。
慌てて「すみません」と返すも、イグナシオが鋭い眼差しを係員に向けた。
「困っているのはこちらですよ。こんなふざけた劇を上演するなんて――」
「なんだって?! これは神話に基づいた脚本で、一番人気の作品なんだ! アンタ神官のくせに――」
「本当にすみません! イグナシオ、もう行こう!」
わたしは頭を下げると、イグナシオの手を引いてテントを飛び出した。
テントから離れ、人のいないところで彼を振り返る。
「イグナシオ! 舞台の邪魔しちゃ駄目でしょ?! それに、人がいるところで言うのは禁止だよ?」
「アグネス様……申し訳ありません」
「良いよ。具合悪そうだったし……無理してたんでしょ?」
イグナシオは俯いて唇を結んだ。
彼は、女神エイヴェリーを信じていない。
それなのに、何故“神官”を名乗るのか不思議だが――女神の演劇も、見たくはなかったはずだ。
「アグネス様に元気になってほしかったんです……それなのに、私のせいで……」
しょんぼりと項垂れたイグナシオは、まるで叱られた子犬のようだ。
「……ねえ、そんな顔しないで、飴買いに行こうよ! 私、二本食べたいな」
顔を上げた彼の顔は、パッと明るくなった。
「アグネス様、飴細工の屋台ごと買いましょうか」
「そこまでしなくて良いよ」
わたしが笑うと、彼は眩しそうに目を細めた。
何故かざわめいた胸を隠すように、わたしは彼の手を引いて歩き始めた。
そして、イグナシオは飴細工を五本買った。
わたしが二本目を食べ終わる頃、花びらが辺りに舞い始めた。女神エイヴェリーの祝福を表す、民による儀式のようなものだ。
花で溢れた籠を持った乙女たちが、花を撒きながら街中を練り歩く。
「女神エイヴェリーの祝福を!」
降り注ぐ花々の一つを手にしたイグナシオが、わたしの髪にそれを挿した。淡い桃色の小さな花だ。
「アグネス様は花がよく似合います……誰よりも」
顔が少しだけ熱い。
彼のお世辞なんて、慣れているはずなのに――
間近には柔らかく澄んだ空色の瞳。
わたしは、微笑む彼から視線を逸らしたのだった。




