第15話 神官、猪を呼ぶ
(これも、ミートパイのため……)
わたしは、ホーンボアを水球で包んだ。ホーンボアは食肉用としてよく狩られている魔物で、大きな猪に角が生えている姿をしている。
「ごめんね……」
大きなシャボン玉のような水球の中で、暴れていたホーンボアが次第に大人しくなる。
いつもイグナシオに頼り切りだったわたしが、今回は獲物を仕留めることにしたのだ。
(水の精霊さん、出来るだけ苦しまないようにお願いします)
わたしの願いに応えるように、水球がゆらりと微かに揺れた。
「アグネス様、無理をする必要はありませんよ。狩りは私に任せてください」
「でも、イグナシオに頼ってばかりはいけないでしょ。……それなのに、可哀想だなんて思っちゃって……」
「何とお優しい……さすがは私のアグネス様。まさに女神を凌駕する慈悲深さです!」
「いや、至ってフツーだと思うよ?」
動かなくなったホーンボアに、水球がぱちんと弾けて消える。
ぼとりと落ちたホーンボアの足をイグナシオが掴むと、そそくさと収納に仕舞った。
「今日は、ミートパイを教えてもらうんだよね?」
「はい! アグネス様がお好きなミートパイですよ」
「わぁい! 楽しみ!」
女将さんのミートパイは絶品だ。
まぁ、わたしは肉料理は全部好きだけどね。
「どのくらい狩りましょうか」
わたしは、あたりを見回す彼の横顔を見つめた。
「うーん……どうしよう。女将さんへの納品分と、ミートパイもたくさん食べたいけど……」
「わたしの収納は時間が止まるので、いくらでも保存ができますよ!」
(とりあえず、あと三頭くらいで良いよね……)
そう思っていたとき、突然にイグナシオが指笛を吹いた。高く、どこか不思議な音色が森に響き渡る。
「えっ? 急にどうしたの?」
嫌な予感しかしない。
「アグネス様のために、いつでもミートパイを作れるようにしたくて」
「ふふっ」と小さく笑ったイグナシオの向こうから、フゴフゴ、と鳴き声がした。
「……なんかさ……フゴフゴ聞こえるね」
「ホーンボアですよ。これで、アグネス様はいつでもミートパイが食べられますね」
目を輝かせたイグナシオ。
気付けば、わたしたちはホーンボアの群れに囲まれていた。
◇
昼下がり、わたしたちは金の小鳩亭へと戻った。
「これは……随分とたくさん仕入れたね! 今日は夕食のお客さんたちにミートパイをサービスしようかねぇ」
たくさんのホーンボアの肉に声を立てて笑った女将さん。
ちなみに、ホーンボアはイグナシオの収納にまだたくさん入っている。
「女将さん、ミートパイの作り方を教えてください」と腕まくりをしたイグナシオはやる気満々だ。
「それじゃあ、まずはこれを全部刻んどくれ」
彼は女将さんに教わりながら、新鮮な大量の野菜をみじん切りにした。その間に、女将さんがホーンボアの肉をミンチにしていく。
温めた大きなフライパンに、イグナシオが慣れた手付きで植物油を流し入れる。よく炒めたホーンボアのミンチにみじん切りの野菜と香草を混ぜて、パイの具が完成した。
「あの、わたしもお手伝いしても良いですか?」
「もちろんだよ!」
女将さんの隣で、イグナシオがパイ生地に具を包み、手のひらサイズの長方形のパイがずらりと並んでいく。
わたしは、フォークでパイの表面に模様を付ける真剣な彼の横顔をじっと見つめた。
(模様付けるのも、楽しそうだなぁ……)
わたしは、パイの表面に溶き卵を塗る担当だ。
「美味しくなあれ」とハケで溶き卵を塗ると、傍らのイグナシオが小さく笑った。
そうして、数え切れないほどのパイが作られていった。
「良い匂い……」
大型のオーブンの中では、ずらりと並んだミートパイが膨らんでいく。
香ばしいパイ生地と、肉と野菜、香草の美味しそうな香りが厨房中を満たしている。
「こりゃあ、宿のお客さんたち全員に配っても余りそうだね」
「女将さん、これ、少し分けてもらっても良いですか?」
「もちろんさ。好きなだけ持ってお行き」
わたしは、薄茶色の薄紙に包んだミートパイをいくつかカゴに入れるとイグナシオと宿を出た。
向かう先はギルドだ。
「おお! 差し入れか? 美味そうだな!」
「助かります」
冒険者ギルドの受付。
笑顔のダリオさんに、硬い表情のクラウスさん。いつも大変にお世話になっているお礼だ。
「アグネス様が狩ったホーンボアのミートパイですよ」
「良かったら、皆さんでどうぞ」
ヘレナさんに手渡すと、彼女は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。ミートパイは、副ギルド長の好物なんですよ」
その後ろで、クラウスさんがほんの僅かに頬を染めた。
思わず少しだけニヤリとすると、眼鏡の蔓に触れたクラウスさんが俯きがちに「……ありがとうございます」と小さく言ったのが聞こえた。
(よかったね。クラウスさん)
ほっこりした気持ちになった私は、イグナシオと微笑み合った。
その帰り道――
「あ! わたしの分忘れてた!!」
わたしとしたことが、うっかりしていた。
立ち止まったわたしに、イグナシオが微笑む。
「大丈夫です。確保してありますよ」
イグナシオが差し出してくれたのは、特大のミートパイだった。顔くらいの大きさだ。
「こんな大きいの作ってたの?」
「アグネス様のためです」
「さすがイグナシオ!」と褒めると、彼は幸せそうに目を細めた。
「ミートパイは、まだたくさんありますからね」
「いつもありがとう、イグナシオ」
「いえ……アグネス様の喜びは、私の喜びですからね」
微笑んだ彼に、何故か胸の奥が締め付けられた。
「アグネス様?」
「……何でもないよ。早く帰って食べたくて」
そう返すと、彼は小さく笑った。
(幸せなのに、どうして胸がざわざわするんだろう……)
いつの間にか、空はオレンジ色のグラデーションに染まっている。
無意識に掴んだ彼の白い袖。
それに目を留めた彼がクスリと笑みを零した。
「アグネス様の小さな頃を思い出しますね」
「……もう、子どもじゃないよ」
まだ、少し子どもっぽいかもしれないけれど……。
ちらと見上げると、微笑むイグナシオと目が合った。
「勿論わかっていますよ」
わたしは、差し出された大きな手を握った。
とても、温かな手だった。




