表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/23

第14話 神官、給仕に回る

 昼下がりの金の小鳩亭の食堂。

 白のカッターシャツの袖を捲り、黒いパンツにエプロンを付けたイグナシオは、厨房の奥で真剣にパンを捏ねている。


「アグネスちゃん、どうしたんだい?」

「あ、女将さん……少し、考え事をしていて」


 イグナシオからもらったお城――迎賓館の使用料が入るようになってから、何故かわたしの不安は少しだけ増していた。

 また、お金がなくなるんじゃないか、という不安だ。ヴァルムのギルドが燃えたとき、一瞬で全て消えてしまったから。


(細々とでも、安定した収入があった方が良いのかなぁ……)


 教会に所属すれば給与が支給されるが、イグナシオももれなく付いて来るだろう。彼はなかなかの変わり者だ。二人揃って厄介払いされる未来しか見えない。


「何か良い仕事ないですかね」

「アグネスちゃん、Bランクの冒険者なんだろう? 神官さんは、Sランクだって……」

「冒険者って、いつ何があるかわからないでしょう? 毎日仕事があれば良いなぁって思って……」


 わたしがそう返すと、女将さんは少し考え込むように黙り込んだ。


「それじゃあ、うちの食堂を手伝うのはどうだい? 夕食の時間だけ。……勿論、宿にいるときだけで良いからさ」

「えっ? 良いんですか?」

「夜は混みやすくて、少しばかり手が回らないことがあってね……手伝ってもらえると助かるよ」


 「あの人が、宿を手伝ってくれると助かるんだけどね」と小さく笑った女将さん。

 首を傾げたわたしに、女将さんは「アタシの亭主も冒険者なのさ。冒険者は危険が付き物だし、もういい年なのにね……」と視線を落とした。


「『幻の秘宝を探してくる』なんて言って、もう一年近く帰ってきてないんだよ……今頃、どこでどうしてるんだか」


(女将さん……)


 「湿っぽい空気にしちまったねぇ……さ、夜の仕込みをしないとね」と笑顔で袖を捲った女将さんに、わたしは「良かったら、お手伝いさせてください」と近づく。


「それじゃあ、台拭きを手伝ってもらえるかい?」

「はい!」


 こうして、わたしは金の小鳩亭で手伝いを始めることになった。


 しかし――


「ご注文は?」


 イグナシオの声が響く。

 わたしは、厨房の中からホールに立つ彼の姿を見つめた。


「ホーンラビットのシチューを頼む」

「俺も、同じものを」

「ホーンラビットのシチューをお二つですね」


 伝票を持ったイグナシオが戻ってくる。


「ホーンラビットのシチューを二つお願いします」

「あいよ! ホーンラビット二丁!」


 初めは、わたしがウェイトレスだった。

 けれど、わたしが呼ばれる度に「ご注文をお伺いします」と颯爽とやって来るイグナシオを見かねた女将さんの計らいで、彼がホールに立つことになったのだ。

 おかげで、わたしは厨房で下拵えの手伝いをしている。お芋の皮剥きだ。


(お料理の勉強もさせてもらえるし、良かったのかな……)


 そのとき、若い女性の声が響いてわたしは顔を上げた。

 新しいお客さんは、獣人族の女戦士だった。なんというか、グラマーでスタイル抜群だ。


「お久しぶりね、神官さん。……あなた、S級なんですってね」


 微笑んだ美女に、イグナシオが顔を向ける。

 こんなふうに、彼の知り合いの女性を見るのは初めてだった。


(なんか、モヤモヤするなぁ……)


 二人が並んでいる姿から目を背けるように、わたしは視線を落とした。

 それなのに――聞くつもりなんてないのに、何故か二人に意識が向いてしまう。


「まさか、S級が食堂を手伝ってるなんてね」

「アグネス様のためです。いつも傍にいたいので」


 響いたイグナシオの声に、わたしは俯いたままで小さく唇を結んだ。

 嬉しいような、でも違うような――複雑な気持ちだ。


「……アグネスさんは、ここにいるの?」

「はい、厨房にいますよ。バディさん、ご注文は?」

「ベリンダよ! まさか私の名前を覚えてないなんてね」


 声を立てて大笑いした美女はベリンダさんというらしい。

 「あなた、本当に最高ね!」と滲んだ涙を拭う彼女の隣で、イグナシオは佇んでいる。


(何かイヤだなぁ……何でだろう)


 わたしは、再び視線を落とすと、剥き終わったお芋の皮を黙々と片付ける。

 何だか、イグナシオが少し遠くに行ってしまったような――そんな気分だった。

 今は、二人の様子を見たくない。


(お芋、もっとたくさんあったら良かったのに……)


 握り締めていた最後のお芋の皮を、袋にぎゅうと押し込む。


「アグネス様、どうかしたんですか」

「えっ?」


 いつの間にか、傍らにはイグナシオが立っていた。ひどく心配そうな表情だ。


「な、何でもないの。少しぼーっとしちゃって……」

「すぐに休みましょう」

「違うの。わたしは――」

「女将さん! アグネス様の体調が優れないようです。すぐに休ませます」


 イグナシオがわたしを抱き上げると同時に、女将さんが心配そうに振り返った。


「アグネスちゃん、大丈夫かい? 気が付かなくて悪かったね」

「女将さん、わたしは元気ですから――」

「今日は暇だから気にしないで大丈夫だよ! 後でミルク粥を持って行くから、ゆっくり休みな。神官さん。こっちはもう良いから、アグネスちゃんを頼むね」

「ありがとうございます」


 女将さんに頭を下げると、イグナシオは歩き出した。


「わたしは大丈夫だよ」

「……元気がありません」


 少し声を落としたイグナシオ。

 わたしは、それ以上何も言えなかった。


「アグネスさんよね? どうかしたの?」


 ホールに立ったままだったベリンダさんが、こちらを心配そうに見つめている。

 落ち着いた大人の声音。同性のわたしでも見惚れてしまうほどの美女だ。

 わたしは、思わずイグナシオの胸に顔を埋めた。


「アグネス様を休ませます。注文は女将さんにお願いします」

「わかったわ……アグネスさん、お大事にね」


 わたしは、何も返せないままイグナシオの胸元を握り締めた。

 これじゃあ、まるで小さな子どもだ。でも、何故かこうすることしか出来なかった。

 そうして、階段を登る音が響いて、気が付けば部屋のベッドに寝かされていた。


「アグネス様、大丈夫ですか」

「……うん」


 本当は大丈夫じゃない。

 でも、言えるわけがなかった。


「ゆっくり休んでください」


 わたしの肩まで薄手の毛布を掛けると、イグナシオは傍らに腰を下ろした。


「……ベリンダさんは良いの?」

「誰のことですか?」

「えっ……さっきのお客さんのことだよ」


 そう返すと、彼は少しだけ考え込んだ。


「……ああ、バディさんですね! 女将さんに任せましたから」


(名前、覚えてないんだ……)


 いつも通り微笑む彼に、ホッとする反面、どこか複雑な感情が胸に残る。


「ねぇ、イグナシオ……」

「どうしましたか?」


 わたしは、小さく手を握り締めた。


「イグナシオは……わたしのこと、どう思ってるの?」


 ほんの僅かに目を見開いた彼の瞳が、ふわりと弧を描く。


「愛していますよ」

「えっ……」


 時間が、止まった気がした。

 イグナシオがわたしを見て柔らかく微笑む。


「いえ……愛という言葉などでは、アグネス様への想いを表すことは到底できません。私のこの想いは――……アグネス様?」


 恥ずかしくなったわたしは、毛布を被って後ろを向いた。


(愛って、あれだよね。家族愛、的な……)


「アグネス様? どうしたんですか?」

「……何でもない。ちょっと眠くなったの」

「ゆっくり休んでくださいね」


 「傍にいますから」と優しい声が響いて、わたしは瞼を閉じた。

 胸の内を渦巻くこの感情が何なのか、わたしはまだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ