第12話 神官、勧誘される
「いらっしゃいませ。どのような薬をお求めでしょうか?」
イグナシオは街の薬屋に来ていた。
棚の上にずらりと並ぶ薬瓶を見やると、彼は店主へと視線を向けた。
「風邪を治す薬はその棚の上ですよね? おすすめを教えてください」
「左から順に、咳、鼻水、喉の痛み、発熱に効く薬です。効果は少しだけ落ちますが、全部に効果があるものはその大きな瓶です」
店主の言葉に、イグナシオは棚の上へと再び鋭い視線を送る。
「なるほど……全部ください」
「えっ? か、畏まりました」
イグナシオが代金を支払ったそのとき、リーンと澄んだベルの音がなった。新たな客が入ってきたのだ。
「いらっしゃいませ」
「回復薬をちょうだい」
現れたのは、獣人族の女性冒険者だった。豊かに波打つ長い赤毛に、同じ色の狐のような耳と尻尾。緑色の切れ長の目が印象的な美女だ。
靭やかな体に沿った革鎧に、細い腰に巻かれた黒いベルトには剣がぶら下がっている。
「へぇ……珍しいわね。白い神官さんなんて」
美女の挑発的な視線にも、イグナシオの表情は変わらない。
そのまま店を去ろうとした彼に、「待って!」と美女は立ちはだかった。
「私はベリンダよ。あなた、私のバディになる気はない?」
「バディ? 私はイグナシオですが」
「やあね、“相棒”って意味よ! 私、この街に来たばかりなの。これでも、少し腕は立つのよ」
「はぁ、そうですか」
イグナシオの気のない返事に、ベリンダは「あなた、良いわね」と小さく笑った。
「私が守ってあげるから、回復役と後方支援をお願いしたいの。取り分は半々でどうかしら」
「結構です。それに、私は回復ができませんから」
「……神官なのに、聖魔法が使えないの?」
僅かに眉を寄せたベリンダに、イグナシオは空色の瞳を細める。
「何か問題でも」
「いえ、珍しいと思ってね……回復ができないなら仕方ないわ。あなたのことは諦めるしかなさそうね」
「残念だわ。あなたみたいに下心の感じられない男性は初めてなのに」と肩を落とすベリンダ。
「私は神官ですからね。下心など持ち合わせていませんよ。……彼女が待っているので、これで」
「彼女って、恋人のこと?」
ベリンダの言葉に、イグナシオは振り返った。
「私たちは、そのような関係ではありません」
「イグナシオさん、じゃあ――」
「『神官』と呼んでください。私の名を呼んでいいのは彼女だけなので」
そう返したイグナシオに、ベリンダは立ち尽くした。
「アグネス様は、私の主であり、救い主であり……女神のような御方なのです」
ポカンとした表情のベリンダに、微笑みを浮かべたイグナシオは続ける。
「アグネス様は、この世の何よりもお美しく可憐で愛らしく、それは心優しい御方なのです。食欲は非常に旺盛で、健康で……」と続けたイグナシオは、紙袋を抱えたままハッとしたように顔を上げた。
「アグネス様のために、早く帰らなくては!」
「それでは、失礼します」と風邪薬の詰まった紙袋を大切そうに抱え直すと、イグナシオは店を後にした。
「面白い人ね……」
小さく笑ったベリンダは、ベルが微かに揺れるドアを見つめていた。
◇
「……へくちゅん!」
何度目かわからないクシャミをしたわたしは、鼻水を啜りながら毛布に包まっていた。
「アグネス様! 遅くなりました」
何やらパンパンに詰まった紙袋を抱えたイグナシオが部屋に飛び込んできた。ふわふわの金髪が、少しだけ乱れている。
「咳止め、鼻水、喉の痛み、発熱、総合感冒薬。これで治りますよね!」
(いや、買いすぎでしょ……)
テーブルの上にずらりと並べられた薬瓶。
口には出せないまま、「ありがとう、イグナシオ」とニコリと笑って礼を言う。
「どれから飲みますか?」
「いや、全部飲んだら死んじゃうよ」
笑いながらそう返すと、イグナシオの顔色がサッと変わった。握られた薬瓶が割れそうだ。
「あの薬師、毒物を掴ませるとは――私の【鑑定】でもわからない毒を使うなど……」
「落ち着いて! 薬を飲みすぎたら体に負担がかかるんだよ! そういう意味」
「そもそも、【鑑定】でわからない毒があるわけないじゃん。……たぶん」というわたしの言葉に、薬瓶に鋭い眼差しを向けたイグナシオは、「確かに、全て問題ないようですね」と小さく頷いた。
危うく、薬屋さんが消されるところだった。
「とりあえず、鼻水の薬をもらって良いかな」
「はい。……いえ、やはり毒見を――」
「大丈夫だよ」
その薬は、シロップのような甘い味がした。子どもの頃に戻ったような気分だ。
「アグネス様、大丈夫ですか?」
「うん、すぐに良くなる気がする」
「良かったです」と安堵の表情を浮かべたイグナシオ。
「これから、女将さんに教わってミルク粥を作ってきます。少しだけ、待っていてください」
「お芋のスープも作りますからね」と微笑んだイグナシオは、わたしの首まで毛布をかけ直し、頭をそっと撫でると静かに部屋を後にした。
“お芋のスープ”とは、蜜芋のポタージュのことだ。彼の料理の中でそれだけは、何故か昔からずっと美味しかった。
(楽しみだなぁ……)
女将さんに料理を習い始めたイグナシオは、薄味のスープばかり作っていた以前の姿が嘘のようにめきめきと腕を上げていた。彼の作るミルク粥も楽しみだ。
たまには、風邪を引くのも悪くないかもしれない――そう思いながら、わたしは温かな毛布に包まったのだった。
◇ベリンダ
獣人族の女戦士。セクシー美女。




