第3部 東京・施設① 「侵食される側」
この作品は、現代を舞台にしたフィクションです。
人の流れや空気、
「なんとなくそうなってしまうこと」をテーマにしています。
特別な能力があるようで、
どこか現実にもあるような話です。
ゆっくり読んでもらえたら嬉しいです。
東京は、人が多い。
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それだけで、少しだけ楽だった。
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岩手でのことは、まだ整理できていなかった。
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震災。
施設。
死。
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全部を理解する前に、次に進んだ。
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「外を見てみたい」
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理由は、それで十分だった。
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本当は違う。
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ここにいたら、何かに押し潰される気がした。
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それだけだった。
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東京の施設は、大きかった。
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設備も整っている。
人も多い。
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岩手とは違う。
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「ここなら、ちゃんとやれる」
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そう思えた。
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俺は、特別なポジションで入った。
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ケアマネ兼、現場。
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期待されているのは分かった。
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でも、それ以上に。
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やり直せる気がした。
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最初に出会ったのが、岡田だった。
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フロア責任者。
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年齢はそこまで離れていない。
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でも。
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この人は違った。
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現場を見ている。
人を見ている。
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全部、ちゃんと見ている。
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「無理すんなよ」
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最初に言われた言葉。
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それだけで、分かった。
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この人の下ならやれる。
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岡田のフロアは、回っていた。
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完璧じゃない。
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でも、崩れない。
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誰かがミスしても、誰かが補う。
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流れが、できている。
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(……いいな)
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そう思った。
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でも。
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長くは続かなかった。
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最初の違和感は、会議だった。
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岡田が話している。
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内容は正しい。
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現場を見ている。
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でも。
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誰も、乗らない。
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「それだと効率が悪いですよね」
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毛呂が言う。
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軽い口調。
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でも。
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空気が変わる。
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「嵯峨さんの案の方がいいと思います」
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誰かが言う。
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また一人。
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また一人。
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気づけば。
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全員が、同じ方向を見ていた。
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嵯峨久美。
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そこにいた。
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変わっていない。
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明るくて、
自然で、
誰にでも同じ距離で話す。
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でも。
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決定的に違う。
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中心にいる。
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「私の案っていうか……」
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少し困ったように笑う。
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「みんなで決めた方がいいと思うんですけど」
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その一言で。
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また、流れが変わる。
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「そうですね」
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「その方がいいですね」
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誰も、逆らわない。
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(……なんだ、これ)
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嵯峨は、何もしていない。
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ただ、そこにいるだけ。
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それなのに。
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全部が、そっちに流れる。
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岡田が、少しだけ黙る。
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「……そうか」
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それだけ言った。
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その瞬間、分かった。
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崩れる。
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そこからは、早かった。
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岡田の判断が通らなくなる。
人が離れる。
空気が変わる。
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理由は、説明できない。
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でも。
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確実に起きている。
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俺は見ていた。
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流れ。
視線。
感情。
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全部が。
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嵯峨の方に向かっていく。
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(……これ、能力だろ)
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やっと、言葉になる。
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でも。
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遅かった。
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岡田の周りの人間が減っていく。
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助けようとする人間もいた。
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でも。
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続かない。
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「なんでだよ……」
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声が漏れる。
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岡田は変わっていない。
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正しいことを言っている。
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それでも。
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通らない。
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嵯峨は、変わらず笑っている。
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その奥に、何もなかった。
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ある日。
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岡田が呼ばれた。
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戻ってこなかった。
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異動。
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理由は説明された。
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でも。
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納得している人間は、少なかった。
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ただ一人を除いて。
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嵯峨は、少し困ったように言った。
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「なんでだろうね」
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その言葉が、一番きつかった。
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(……分かってないのか)
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本当に。
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そのあと。
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全部が崩れた。
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現場は回らない。
人が足りない。
判断が遅れる。
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でも。
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嵯峨の周りだけは、回っている。
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(……おかしいだろ)
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でも。
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誰も言わない。
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言えない。
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それが、一番怖かった。
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俺は分かっていた。
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でも。
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止められなかった。
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そして。
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残ったのは。
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何もできなかった自分だけだった。
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退職を決めたのは、その少しあとだった。
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理由はいくらでもつけられる。
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でも。
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本当は一つだけだ。
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居場所がなくなった。
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正しさでは勝てない。
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能力にも勝てない。
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そして。
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一番きつかったのは。
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それでも。
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嵯峨久美を、嫌いになれなかったことだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は、
「流れのままに生きること」と
「自分で選ぶこと」の間にある違和感から生まれました。
能力の話ではありますが、
本質は「どう生きるか」という話です。
完璧じゃなくても、
自分で選んだと思えること。
それだけで少し違う、
そんな感覚が伝わっていれば嬉しいです。




