第2.5部 岩手・介護修行編 「見えてしまう人間たち」
この作品は、現代を舞台にしたフィクションです。
人の流れや空気、
「なんとなくそうなってしまうこと」をテーマにしています。
特別な能力があるようで、
どこか現実にもあるような話です。
ゆっくり読んでもらえたら嬉しいです。
岩手の施設は、古かった。
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壁も、床も、設備も。
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全部が少しずつ古い。
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でも。
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それなりに、機能していた。
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人も同じだった。
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完璧な人はいない。
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でも、なんとか回っている。
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最初は、ついていくだけで精一杯だった。
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食事、排泄、入浴、記録。
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一つでも抜ければ、誰かに迷惑がかかる。
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怒られることも多かった。
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「遅い」
「気が利かない」
「見て動け」
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見て動け。
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その言葉だけが、引っかかった。
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見ているつもりだった。
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でも、足りないと言われる。
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ある日、夜勤に入った。
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施設は静かだった。
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利用者は寝ている。
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廊下の電気も落としてある。
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巡回していると、一人の入居者が目を開けていた。
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「……まだ来てないね」
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ぽつりと、言う。
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「何がですか」
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「転ぶ人」
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意味が分からなかった。
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でも。
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その直後。
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別の部屋で音がした。
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急いで向かう。
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利用者がベッドから落ちかけていた。
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ギリギリで支える。
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大事にはならなかった。
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戻る。
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さっきの入居者は、もう寝ていた。
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(……なんだ、今の)
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偶然で片付けるには、出来すぎていた。
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別の日。
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一人の職員が、妙に仕事が早かった。
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無駄がない。
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迷いもない。
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動きが、決まっている。
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「先にそっちやっといた方がいいよ」
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言われて動く。
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その通りになる。
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何度も。
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「なんで分かるんですか」
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「なんとなく」
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また、それだった。
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もう一人。
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口調が強い職員がいた。
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怒鳴るわけじゃない。
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でも。
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言葉に圧がある。
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「早くして」
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それだけで。
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利用者も、職員も、動く。
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空気が押される。
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(……なんだこれ)
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さらに一人。
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いつも黙っている職員。
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でも。
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その人が触ると、動きが安定する。
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移乗も、介助も、スムーズになる。
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ただ。
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あるとき気づいた。
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その人の手。
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小さな傷があった。
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血が出ているのに、気づいていない。
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そして。
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一番きつかったのは、これだった。
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ある利用者の前に立ったとき。
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見えた。
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数字。
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その人の横に、ぼんやりと浮かんでいる。
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日数のような。
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時間のような。
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瞬きをする。
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消える。
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(……疲れてるな)
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そう思った。
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でも。
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何度も見える。
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見える人と、見えない人がいる。
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そして。
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見えた人は。
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だいたい、その通りにいなくなる。
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「……やめろよ」
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思わず、呟く。
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誰に言っているのか分からない。
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この頃から。
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なんかいる、が。
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確実にいる、に変わっていった。
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でも。
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誰にも言わなかった。
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言っても、説明できない。
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自分でも、分かっていない。
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ただ。
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見えてしまう。
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それだけだった。
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その頃。
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「19」に行く回数が増えた。
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ゆきがいる日と、いない日がある。
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でも。
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いる日は、分かる。
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ドアを開ける前から。
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(……今日いるな)
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そう思う。
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それが当たる。
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ある日。
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カウンターの奥に、ゆきがいた。
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「慣れてきた?」
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いきなり言う。
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「まあ」
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それだけ答える。
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「見えてるでしょ」
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一瞬、固まる。
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「……何が」
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ゆきが笑う。
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「いろいろ」
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それ以上は言わない。
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でも。
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隠しても無駄だと分かる。
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「……ちょっとな」
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認める。
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ゆきは頷く。
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「それでいいよ」
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「いいのかよ」
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「いいよ」
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即答だった。
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「見えないふりする方が、あとで崩れるから」
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その言葉が、重く残る。
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「みんな、何かしら持ってる」
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ゆきが続ける。
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「でも、使い方知らないまま終わる人がほとんど」
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「……じゃあ、知ってるやつは?」
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少し間があく。
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「壊れるか、残るか」
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簡単に言う。
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「お前はどっちなんだよ」
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聞く。
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ゆきは、少しだけ目を細める。
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「私は、見てるだけ」
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それだけだった。
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「卑怯だな」
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思わず言う。
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ゆきは笑う。
「でしょ」
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否定しない。
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その笑い方が、少しだけ腹立たしかった。
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でも。
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どこかで、安心もしていた。
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この頃の俺はまだ。
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自分が何かの中にいることを、理解していなかった。
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そして。
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震災が来る。
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揺れは、突然だった。
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大きくて、長かった。
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施設も、街も、全部が揺れた。
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利用者を守ることだけ考えた。
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それしかできなかった。
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そのあと。
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死が増えた。
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直接じゃない。
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でも、確実に。
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体調を崩す人。
持ちこたえられない人。
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そして。
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見えていた人から、いなくなる。
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何もできなかった。
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見えていても。
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止められない。
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それが、一番きつかった。
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ある日。
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外に出る。
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空気が違う。
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街も、人も。
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どこか変わっている。
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その中で。
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ゆきがいた。
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何も変わらない顔で。
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「……来たね」
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「……何が」
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「選ばされるやつ」
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その言葉が、残る。
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「ここに残るか」
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「外に出るか」
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「どっちでもいいけど」
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「ちゃんと自分で選びなよ」
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風が吹く。
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何かが、動き始めていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は、
「流れのままに生きること」と
「自分で選ぶこと」の間にある違和感から生まれました。
能力の話ではありますが、
本質は「どう生きるか」という話です。
完璧じゃなくても、
自分で選んだと思えること。
それだけで少し違う、
そんな感覚が伝わっていれば嬉しいです。




