行く道4
すっかり夏の匂いだが、それでも前の世界のように朝からうだるような暑さ、と言うわけではなく、夜明け前にはそれなりに冷えた空気が流れ、草の匂いを運んでくる。
耳を澄まして街道を見張る、というよりは眺めていると、どこか遠くで鳥が一声鳴いた。
やがて、毛布の擦れる音がした。
「もう朝か」
ヘレンが起き上がり、短く息を吐く。すぐ隣ではリケも目を開け、寝ぼけた様子のまま包みを畳み始めていた。
「おはようございます、親方」
「おはよう。よく眠れたか」
「はい。地面は硬いですけど、眠れました」
「それならよかった」
ヘレンは立ち上がると、朝の薄明かりの中で背を伸ばした。顔をしかめるでもなく、寝ていた場所の周りと、馬車の向こうを一度見回す。
「アタイが寝た後も静かだったみたいだな」
「ああ。周りは問題なかった。ただ、リディが北のほうに少し気になるものがあるかもしれないって」
俺が聞いたままを二人に伝えると、 ヘレンは腕を組み、北へ向いたまま鼻を鳴らした。
「アタイにも見えるものは何もないな。おかしいと思ったら、目的のものがあっても戻る。そうだったな、エイゾウ」
「ああ」
俺は頷いて、この話はそれで終わった。
携行してきた干し肉とパンを取り出し、3人で手早く腹へ入れる。硬いパンを噛むたび、口の中の水分が持っていかれるが、文句を言うほどでもない。
食べ終わる頃には、朝の光が野営地へ届き始めていた。
俺たちは包みをまとめ、寝ていた場所を整える。焚き火には土をかけ、残った熱がないことを確かめた。昨夜の火があった場所は、もう土にしか見えない。
出発できる形になってから、俺はフランツさんのそばへ行った。
「フランツさん。そろそろ出られそうです」
「はい……おはようございます」
フランツさんはすぐに目を覚まし、身を起こした。俺は残しておいたパンと干し肉を渡す。
「朝食です。こんなので悪いですが」
「いえ、十分です。ありがとうございます」
フランツさんは礼を言ってから、手早く食べ始めた。すぐに食べ終えると、馬のほうへ向かう。
「北の方に、少し気になることがあるらしいんです」
俺は御者台へ上がる前のフランツさんへ声をかけた。
「ですが、急がせるつもりはありません。ただ、気になるので休むときはなるべく見通しのいい場所を選んでもらえますか」
「承知しました」
フランツさんはそれだけ答え、馬の様子を見て、荷の偏りと車の具合を短く確かめた。問題はなかったらしい。やがて御者台へ座り、手綱を取る。
馬車がゆっくりと動き出した。
街道はやがて、道の脇に畑のある地域にさしかかった。朝から働き始めたらしい人影も、遠くには見える。煙突から上がる細い煙もあった。
だが、それもすぐに終わり、進むにつれて人家はまばらになった。
畑は草地へ変わり、草地の向こうには低い丘が増えていく。道はまだきちんと続いているが、道の外側には人の手が届いていない場所が増えてきた。
荷台で、リディは目を閉じていた。
眠っているようにも見えたが、呼びかければすぐ答えられるだろう。横に置いた手は力まず、ただじっとしている。
しばらくして、リディが小さく言った。
「先ほどより、少し気配がハッキリしてきました。でも、まだ何かは分かりません」
「分かった」
俺はそれだけ返して、空に目をやる。
北の空は明るい。雲はゆっくり流れ、丘の草も風に揺れている。目に見える異変など、どこにもない。
ヘレンは荷台の後ろや道の脇へ、時々視線を送っていた。けれど、その顔色が変わることはなかった。
リケも口数は少ない。手元の包みを膝へ置き、その上にそっと手を重ねている。灯りや足元のことを、きっと頭の隅で考えているのだろうが、今は何も言わなかった。
昼へ近づくころ、道は荒れた丘の間へ折れた。
その先、遠くの斜面に、自然の起伏とは少し違って見える地形の切れ目があった。人の手が入った跡にも見えるが、この距離では断言できない。
見える景色は静かなままで、正体の分からない重さだけを連れて、俺たちはどんどんと北へ進んでいた。
日森よしの先生によるコミック版32話②が公開されています!
魔物討伐隊遠征編もいよいよ終わりのただいまの回です。
https://comic-walker.com/detail/KC_002143_S/episodes/KC_0021430004000021_E?episodeType=first




